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2014.04.18  あすなろ150 イソップ

2014.04号


「うさぎとかめ」ってご存じですよね。

日本人にとっては、「遅い動物=カメ」という共通認識を定着させるほど身近な話(西洋人にとって遅い動物=カタツムリ)ですが、これがイソップ童話と認識している人って、どのくらいの割合でいるものでしょうか。

日本の歴史も古いですので、昔話の歴史も相当長いです。

例えばかぐや姫(竹取物語)の話は、遅くとも平安初期の一〇世紀には成立していたと考えられています。それ以外の代表的な昔話(さるかに、かちかち山、花咲じいなど)は、室町時代には完成していたようです。桃太郎と浦島太郎に至っては、元ネタが神話ですから、古事記の完成した七一二年には、すでに日本のどこかに伝わっていた話です。つまりこの二つは、一三〇〇年以上前からあった話だということになります。

 ※古事記とは、日本各地に伝わる神話を一本化したものだと思ってください。多くの場合、一つの神に対して、「またの名は○○といふ」と複数の名前が登場するのですが、これは別の地域で信仰されている別の神を同一の神として扱うことで、一つの流れに組み込んでいるためです。また、同様の話から「だから天皇には日本を治める正統性がある」と「証明」するための「論文」が、日本書紀です。

これに対して、イソップ童話の作者といわれるイソップは、紀元前六世紀の人です。現在は二一世紀ですから、ということは、今から二六〇〇年くらい前のことです。古事記では到底勝てそうにない古さです。

6+2126? さあ何故でしょう)

イソップさんは、元々はある主人に仕える奴隷だったそうです。しかし、主人の行動に対して、「これはこうした方がいいですよ。何故なら~」と語る例え話が秀逸だったので、後に、その例え話(寓話)を集めたのがイソップ童話の原型だったようです。

ここで一応注釈しておきます。

一言で奴隷といっても、様々な形態がありました。奴隷というと足首の鎖に鉄球とムチなんて連想をするかもしれませんが、そんなものばっかりとは限りません。借金、敗戦、犯罪などで売られた身分というだけで、労働内容は賃金で雇われた人と同じ、ということもよくありました。

また一般市民にとっては、高価な農機や自動車を買って使うようなものだったようです。もちろん維持費がかかるのは当たり前ですし、大金を出して買った物ですから、荒っぽい使い方をして壊れてしまっては元も子もありません。

農耕馬のようなものと考えてもいいでしょう。昔の農家では馬や牛が大事な労働力で、家族同様に暮らした、ということを考えれば、家族同様に過ごした奴隷がいても変ではないということがおわかりかと思います。

イソップもたびたび主人に意見していたようですし、主人もイソップの意見を参考にしていたようですので、この主従関係も良好なものだったのでしょう。少なくとも、よく漫画などで見かける「待ってください!この人は熱があるんです!」「ええいうるさい!ビシッ!」「フン。死んだか」なんてイメージにはあたらない、ということです。

と、イソップさん自体は実在の人物なのですが、その話が全てイソップ作のものとは限らないようです。どうも、その周辺に伝わっていた様々な話を、あれもこれもイソップ伝説にしちゃった、というようなところがあるみたいです。

これは別に珍しいことではありません。例えば、「一休さん」というテレビアニメの元ネタの大半が、実際には「彦一とんち話」を初めとする古今東西の話の引用だった、なんてこともありました。もちろん、一休禅師は実在の人物です。

そんなイソップ童話ですが、あまりにも日本にとけ込んでいて、まるで日本の昔話のような気がしてくるものまであります。以下に挙げるあたりが有名どころかと思いますが、お話を想像できますか?

「アリとキリギリス」「田舎のネズミと街のネズミ」「犬と肉」「ウサギとカメ」「オオカミと少年」「北風と太陽」「黄金の卵を産むガチョウ」「キツネとツルのごちそう」「金の斧と銀の斧」「3本の棒」「すっぱいブドウ」「ネズミの相談」「卑怯なコウモリ」......もちろんまだまだあります。

このうち、「3本の棒」は、毛利元就の「3本の矢」と、ほぼ同じ話です。また、「ネズミの相談」は、誰がネコに鈴を付けるか、の話です。ここから、「鈴を付ける」ということわざ?慣用句?にまでなっていますよね。「オオカミ少年」は言わずもがなです。

なぜこれほどまでに日本に定着しているかというと、イソップ物語が最初に日本に伝わってきたのが、秀吉の時代にまで遡るからなのです。その後の江戸時代には、翻訳本が庶民の読み物として多数出回っていました。その名も「伊曾保物語」です。

さらに、明治の初期にも新たな翻訳本「通俗伊蘇普物語」が登場して、しかもそれが修身(現在の道徳)の教科書に採用されたので、そこからは、ますます日本人におなじみとなったのです。

ところで、「伊曾保物語」は、およそこんな感じの本でした。私が持っている「絵入り伊曽保物語を読む」という本からです。

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が「京都の鼠と田舎の鼠」、右が「鼠、談合する話(ネズミの相談)」です。

うん。どう見たって日本の昔話ですね。

なお当時は、「京の夢大阪の夢」「京に田舎有り」と「いろはかるた」にもあるように、都会=京都でした。

また、伊曾保物語にはイソップ自身の話もいくつかあるのですが、そこにはイソップ本人も描かれています。それがこちらです。

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ほら、右上の枠内にちゃんと「いそほ」って書いてあります。お、よく見ると帯刀していますね。ということは、いそほさんは江戸時代、ギリシャのお侍だったんですね。

学塾ヴィッセンブルク 朝倉  


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