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2014.12.17  あすなろ20 一神教と多神教(過去記事)

2003.06号

「神国アメリカ」による「聖戦」が一段落つきましたね。
私はこの戦争で、アメリカ人の愛国心と云うものを強く思い知らされました。
自分の国が一番と思う、自分の国が正しいと思う、国民のその頑なな思いが、
自国の独走を支えたのでしょう。
アメリカと云う国は良くも悪くも、国民が一人の指導者の基に
一致団結する力が非常に強いようです。

日本と云う国ではどうなのでしょうか。

私としては、今の日本人は、アメリカ人のように、
自国の誇りを胸に、強い指導者の基に団結するような国民ではないように思えます。
なぜなら、今の日本には、バックに神がついていないからです。
いや、正確には、日本では「神の力」が及んでいないからと云うべきでしょうか。
宗教的な観念の話です。

アメリカや中央アジア諸国の人々は、現在も神の建国した国に住み、
神に祈りをささげることを欠かしません。
神の力は偉大です。
しかし、現在の日本では、神仏に毎日挨拶をしている人は、もはや少数派です。
それどころか、初詣でに行っても、神に願い事をするだけで、
神に感謝の祈りをささげることはまずありません。
この違いはどこから来るのでしょうか。

本来、地球上のどの地方でも、
神はすべてのモノ、すべての現象に宿るところから始まりました。
いわゆる八百万の神です。
自然発生宗教は、基本的に多神教なのです。

ところが、そのうちにカリスマ伝道師が現れ、人工宗教を形成して行きます。
そして信者による布教が始まります。
ただなんとなく発生した、定義のあやふやな自然宗教よりも、
筋道の立った教義のある人工宗教の方が、いろいろな意味でわかりやすく、
説得力があるに決まっています。
こうして人工宗教は世界中に広まっていったのでしょう。

ところで、キリスト教とイスラム教は一神教です。
現在キリスト教とイスラム教を信仰している民族は、
多神教から一神教に考えを改めたということになります。
それに対し、現在の仏教には唯一神がなく、多神教です。

この違いこそが民族性なのではないかと、私は思います。

例えば中央アジアは、自然環境がかなり厳しい地域です。
こういう環境で生き抜くためには、強い指導者のもとに
民族が強く結束する必要があったことでしょう。
よって、神においても強い力を持つ唯一神が求められたのではないかと思われます。

キリスト教も同じく中央アジアで発生しましたが、その地に根付かなかったために、
神はイスラム教ほど権力を持つに至りませんでした。
ただ、中央アジアほどではなかったといえ、ヨーロッパ諸国も
民族移動が起こるほど気候が厳しい地域であります。
大衆にとって一神教を信仰することは、さほど違和感なく受け入れられたことでしょう。

さて、アジア諸国は温暖湿潤です。
基本的にあまり食糧に困ることはありません。
それぞれが好き勝手に暮らしていても、なんとか生きていけます。
神様も、それぞれが好き勝手な神様を拝んでいればいいと、
唯一神にこだわる必要がなかったのでしょう。

神話を比較してもおもしろいです。

例えば、北欧神話の場合。

まず、何もないところから、巨人ユミルが生まれます。
ユミルからはオーディンなどの三神が生まれますが、この三神は、
巨人族と戦ってユミルを殺し、他の巨人もほとんど滅ぼしてしまいます。
その後、オーディン達は、この巨人の死体を使って大地を創造していきます。

ギリシャ神話の場合。

カオスから最初に大地母神ガイアが生まれ、ガイアは天空神ウラノスを生み、
ガイアとウラノスによってあらゆるものは生み出されて行きます。
しかしウラノスは、自分の子である巨人族を冥界に押し込めてしまいます。
そこで巨人族のうちの一人のクロノスは、ウラノスを殺して巨人族を解放します。
しかしこのクロノス自身も、後に自分の子であるデウスに追放されてしまいます。

両方とも、なーんか殺伐としていますよね。

それに対する日本の神話。
古事記より。

何も無いところから神が生まれ、宇宙を創ります。
やがて生まれてきたイザナギ、イザナミは地球を創り、
地球上で国造りを始めようということになります。
ここで、
「飛び出たところをくぼんだところに差し入れて、子を作ろう」
なんて話になって、国を産みはじめます。
その後、火の神を産んだ時にイザナミは死んでしまうのですが、
黄泉の国にイザナミに会いに行ったイザナギは
約束を破ったために現世に逃げ帰って来ます。

この後、スサノオが天上界で乱暴を働いたためにアマテラスが岩屋に隠れたり、
天界を追放されたスサノオがヤマタノオロチを退治したりと話は展開していくのですが、
死人は殆ど出ません。
それどころか、のんきに性の会話なんてしています。
一番の騒乱が「便を撒き散らす」「馬の死体を投げ入れる」といった程度です。

要するに、日本は平和だったわけです。
他民族が攻め込んでくることもありません。
攻め込む必要もありません。
民族の存続の為に戦い続けた西欧、アラブ諸国との人々から見て、
「無神論で愛国心も大して持たない国民性」に見えるのも当然です。
だって神も愛国心も必要なかったんだもん。

こんな考えもあります。

日本人にとって、数少ない恐怖は疫病と台風でした。

疫病はたいていヨソから入ってきます。
それに対する策としては、とりあえずヨソモノとの接触を控えるのが一番確実です。
こうしてヨソモノとあまり付き合わない村社会ができあがりました。

台風は、じっとしていれば過ぎ去って行きます。
つまり、嫌なこと、悪いことがあっても、時間がすべて解決してくれます。
ここから、良くも悪くも過去をひきずらない国民性が生まれました。
また、そういう時には抵抗するのは馬鹿を見るだけ、
何もしないで流れに身を任せるのが一番です。
ここから、お上のやることに反抗しない国民性が...

結構当たっていると思いません?

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