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2015.02.06  あすなろ159 パラオ

2015.01号

二〇一五年は終戦七〇年だそうです。あの日からもう七〇年ですか。懐かしいですねえ。そういえばまだ生まれてませんでしたけど。

その節目の年に、天皇陛下がパラオを訪問されることが決まりそうです。

パラオといえば、インターネット上では親日国として有名な場所ですが、普通の小中学生はそんなことも知らないと思いますので、ここにご紹介します。

パラオ共和国は、オセアニアのミクロネシアのあたりにある島国です。ざっくり言うと、オーストラリアの北東方向の細かい島の一つ、といったところです。面積はだいたいつくば市・常総市・下妻市を合わせたくらい(488km2)で、そこに下妻の半分くらいの人(20000人少々)が住んでいます。太平洋の珊瑚礁にある、いわゆる「南の島」です。

パラオを含むミクロネシア付近一帯は、一六世紀ごろから白人がやってきて、スペインの植民地となり、続いてドイツの植民地となっていました。しかし第一次世界大戦でドイツが負けると、代わって日本が委任統治するようになります。

スペインやドイツの植民地時代は、現地人に農業、鉱業などをさせて搾取しますが、道路や水道に金をかけることはありませんでした。もちろん、教育なんて無駄なことに金をかけることなんてしません。ある意味正しい植民地支配でした。

しかし日本が委任統治をするようになると、なんせ日本人というのはくっそまじめなものですから、せっせと学校、病院、道路の整備を始めます。その実現のために、日本人が大量に移り住んで、パラオにいる四人に三人は日本人、という状態にまでなります。

学校では日本語で教育をするために、まず日本語が教えられました。そのため、現在でもお年寄りは日本語が話せますし、日本語由来の言葉も多数有ります。このあたりは台湾や朝鮮と同じですね。次の表は、現在のパラオに残る日本語です。

パラオ語

意味

例文

モンダイ

 

モンダイナイ(問題ない)

スコウジョウ

飛行場

 

チチバンド

ブラジャー

 

バショ

場所

 

ドブ

 

 

ヤッコチャン

オウム

 

サシミ

 

 

ニツケ

煮付け

 

シゴト

 

 

エモンカケ

ハンガー

 

トーボー

逃げること(逃亡)

Youトウボウ(逃げたね?)

ゴミ

 

 

ヤスミ

休み

 

センキョ

 

 

デンワ

 

 

デンキ

 

 

シューカン

習慣

 

アメ

 

ツナミ

津波

 

タンジョウビ

 

 

アタマサビテ

だめだなあ・・・

Youアタマサビテ(だめだなあ・・)

アタマホコリ

だめだなあ・・・

You アタマホコリ(だめだなあ・・)

アタマグルグル

混乱している

Youアタマグルグル(混乱しているね)

ツカレナオス

ビールを飲む

イッショニ ツカレナオス(ビールを飲みましょう)

アジダイジョウブ

美味しい

 

ゼンゼンワカラナイ

 

 

チョットマッテクダサイ

 

 

ヤサスィー

優しい

 

ツカレテ

疲れた

ツカレテ?(疲れた?)

ショウガナイ

 

Very ショウガナイ(本当にしょうがないなあ)

ジャマ

じゃま

Very ジャマ(本当に邪魔)

ホントウニ

 

 

ダイジョウブ

 

 

アッテル

お似合い

Youアッテル(お似合いですね)

オイスィー

美味しい

 

サビスィー

寂しい

 

ソノママ

 

 

クルスィー

苦しい

 

アバレテ

怒っている

Youアバレテ(怒っていますね)

ワスレテ

忘れている

 

ハラウ

払う

 

タメス

いかがですか?

ビンロージュ タメス(噛みタバコどうですか?)

アリマス

 

 

クダサイ

 

 

バラス

バラバラにする

 

アナタ

 

 

イッショニ?

一緒に

 

トクベツ

特別

 

オハヨウ

 

 

コンニチハ

 

 

スミマセン

 

 

モシモシ

もしもし?

 

サムイネ

寒いね

 

アチュイネ

暑いね

 

ヨロシク

 

 

アリガトウ

 

 

ゴメンナサイ

 

 

マタアシタ

また明日

 

http://it-net.ddo.jp/Album/yoko-news/14/Japanese_which_is_Palau_language.html

しかし第二次世界大戦で、アメリカに攻められた日本軍は、太平洋諸島から撤退します。その後はアメリカが支配するのですが、アメリカは軍事基地を置く代わりに大量の援助をした(動物園政策)ために、働く必要が無くなった若い住民は堕落して、自国の産業が破壊されてしまいます。

パラオの人たちは、どうもそのあたりから「やっぱり日本の頃が良かった」と親日感情へと傾いていったようです。この構図は、日本が撤退してから入ってきた中国人の野蛮っぷりにゲッソリさせられて親日になった台湾人と同じですね。

日本統治時代の有名な逸話が、ペリリュー島にあります。出典は、この近辺の戦いで鬼神のごとく戦って生き残ったことで有名な船坂弘の著述です。

ペリリュー島のサクラと神社

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。

「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」

沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

大東亜戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。老人は村の若者達と共にその作業に参加した。日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

日本人は仲間だと思っていたのに...みせかけだったのか。裏切られた想いで、みな悔し涙を流した...

船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。

『サクラサクラ―ベリリュー島洞窟戦』船坂弘著 (1967) (毎日ノンフィクション)

著者は故人ですので、この話が本当かはすでに知る由がありませんが、ペリリュー島の住民は実際に、アメリカが侵攻を始める前に全員疎開させられていて、民間人の死者はゼロだったと言われています。

パラオと言えばもう一つ、国旗が日の丸に似ていることでも有名です。青地に黄の、海上に浮かぶ月をイメージした旗です。ついでに、バングラデシュも同じような構図の国旗を使っていますね。

三国旗.png

この類似性に関しては「パラオは日の丸をまねたけど日本に遠慮してマルをずらした」なんて都市伝説がありますが、この国旗をデザインした人は、それは違うと明確に否定しています。ただ、最終的には国民投票で選ばれて決まったデザインですので、これに投票した人たちが日の丸を意識していたことは、ほぼ間違いないでしょう。

一方、バングラデシュの方は最近まで「単なる偶然」とか言われていましたが、バングラデシュの現首相が来日した際に、「父が国旗を制定したときに日の丸のデザインを取り入れた」などと発言しています。

【毎日新聞 20140527日】来日中のバングラデシュのシェイク・ハシナ首相は27日、東京都内の早稲田大学で講演し、父親で初代大統領などを務めたラーマン氏が、独立に伴う1972年の国旗制定時に「日本に魅せられ、日の丸のデザインを取り入れた」と述べて日本への親近感をアピールした。(以下略)

他にも、韓国が作ったけど早々に落ちた橋を、日本の援助で作り直して「友好の橋」と命名されているとか、子供に日本名が氏名性別問わず付けられている(キョウタ シゲオ、オカダ スズキなど)とか、そんな話題に事欠かない国がパラオです。

日本大好きな国は、他にも世界各地にあります。また次の機会にでもご紹介しましょう。

学塾ヴィッセンブルク 朝倉  



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