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2015.11.01  あすなろ111 氷雪の門(過去記事)

2011.01号

子供の頃、一度しか見たことがないのに、強烈に覚えている映画というものが、いくつかあります。そういうものは、何十年ぶりかで見たいと思うこともあるのですが、なかなかそういう機会ってないものですね。

そんな「私のまた見たい映画リスト」の中には、「幻の映画」があります。

当時、七〇万枚も前売りが売れたにもかかわらず、公開日を目前にして突如公開中止となり、二〇一〇年まで三六年間、ほんの一部例外を除いて、事実上の放映禁止状態だった映画です。なぜかそれを、テレビで一度だけ見たことがありまして、今までずっと覚えているのです。

『氷雪の門』という、日本の戦争映画です。ご存じでしょうか。

舞台は樺太の真岡(まおか)郵便電信局。時は一九四五年八月一五日から二〇日までの五日間。つまり、終戦前後の話です。

樺太とは、北海道の北にある長大な島のことです。当時、南樺太は日本領でした。日露戦争で勝った時のポーツマス条約で、正当に日本に編入された日本本土です。


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樺太

 
太平洋戦争の開戦は一九四一年一二月ですが、それに先立つ同年四月、日本とソ連は、日ソ中立条約を結びました。それまで、その二年前に起こったノモンハン事件という軍事紛争により、日本とソ連の関係はあまりよくなかったのですが、とりあえずこれにより、日本はソ連侵攻の脅威から逃れることができた、ということになりました。

そして、太平洋戦争に突入し、日本は東南アジアからイギリス・フランス・オランダを追い出したのですが、代わりにアメリカに追いつめられます。そしてヨーロッパでもドイツの負けが濃厚になってきたころ、ヤルタ会談というものが行われます。一九四五年二月のことでした。


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ここで、「この戦争が終わった後、敗戦国をどうするか」という話し合いが行われました。

その頃、日本とソ連の間には、先に述べた日ソ中立条約があったので、ソ連はドイツ戦だけに戦力を注いでいました。しかし、対日戦がまだまだ長引きそうだと感じたアメリカは、ソ連の協力が欲しかったので、「ドイツ戦が終わったら、九〇日以内に日本に攻め込め。そのかわり、南樺太と千島、満州鉄道の権益はお前にやる」と、以前からソ連をけしかけていました。そしてこのヤルタ会談で、ソ連がそれを了承します。

そしてドイツが降伏しておよそ三ヶ月後の八月九日、ソ連は日本に宣戦布告と日ソ中立条約の一方的破棄を宣言して、満州に侵入を開始しました。丁度この日は、長崎に原爆が投下された日でもあります。これに衝撃を受けた日本政府は、その日のうちにポツダム宣言の受諾を決定して、翌一〇日には、連合国にその旨を通告しています。その後、内容について再照会することになって、改めて一四日に会議をし、受諾を決定。一五日にご存じ玉音放送となったのです。

日本政府から、各軍に停戦命令が出されたのは八月一六日です。その後、アメリカとの戦闘は原則として行われなくなりました。

一方ソ連は、八月九日に満州に侵攻して以降、南樺太にも順次攻撃を始めていました。樺太の日本軍は、八月一五日までは南樺太を守りきります。そしてポツダム宣言受諾を聞いて、武装解除を始めていました。

しかし、一六日早朝、ソ連軍は樺太日本領への上陸作戦を開始します。日本軍は、すでに終戦であるから、と停戦交渉に赴くも使者は処刑される、ということが何度も起こります。民間人は無差別に機銃掃射を受け、樺太南部の豊原市では、駅前広場に白旗と赤十字の対空表示を掲げ、全ての民家の屋根に白旗を掲げていたにもかかわらず、猛烈に爆撃を受けました。

最終的に八月二四日に停戦するまで、軍民あわせて六〇〇〇人以上の死者が出たようです。

同じ頃、千島列島でも同じようなことが起こっていました。

武装解除後の八月一八日、千島列島北端の占守島(しゅむしゅとう)にてソ連との激しい戦闘が起こり、二〇日まで続いています。武装解除が行われた二三日以後も、ソ連は各島への占領を続け、最終的に歯舞群島を占領したのは九月五日のことでした。

日本が降伏文書に調印したのは、九月二日のことです。国際条約は、調印された日から施行されますので、ポツダム宣言が法的効果を持つのは、九月二日以降ということになります。ですから、ソ連としては九月二日までは戦争中という言い分があります。一応。

しかし実際には、戦闘をやめないソ連に対して、マッカーサーが再三警告しています。

ソ連の本当の狙いは、北海道でした。九月二日までに北海道北部を占領して、そのままソ連領であることを既成事実化する、という目標がありました。しかし、日本軍の頑強な抵抗に、予想通りに侵攻が進まず、マッカーサーからは要求が強まる中、最終的に北海道はあきらめることになりました。

さて、そんな中の話が、最初に挙げた映画『氷雪の門』の舞台です。南樺太にソ連が上陸を始めた頃、電話交換手として勤務していた女性職員達がいました。ソ連軍が迫る中「我々が逃げたら非常電話が通じなくなる」と判断して、最後まで通信業務にとどまって、最後は集団自決をするという、事実に基づいた話です。

この映画、制作当時は、巨額の制作費や陸自の協力など、かなりの話題作でした。文部省やPTAなどの推薦もありました。しかしソ連大使館の「反ソ的映画」という評価を受けて、大手映画チェーンは放映を自粛するようになります。

今年の七月から、この映画は、全国で順次放映されるようになりました。また、通販のみではありますが、購入もできます。できますけど、わたしゃレンタルを待ちますよ。

学塾ヴィッセンブルク 朝倉  




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