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2016.01.04  あすなろ68 昔の農民の生活水準(過去記事)

2007.06号

日本の歴史の話です。

数年前から、中学校の歴史の教科書について、
いろいろと世間を騒がせている問題があります。
ここではその内容については省略しますが、それ以外の点においても、
私としては疑問に思う内容がいくつかあります。

教科書通りでは、江戸時代までの庶民は常に重税にあえぎ、戦の度にとばっちりを食い、
爪に火をともすような生活をしていたように書かれています。
私もそう習いましたし、子供向けの歴史の読本にはみなそう書いてあります。
しかし、どうも違うようだということを、最近になって知りました。
それに自分の考えを合わせて、少し書いてみます。

まず、日本の歴史は、世界の他地域の歴史と同様、やはり争いの歴史でした。
現在に至るまで、数々の戦を繰り返しているのは、ご存じの通りです。
ただ、日本が特殊なのは、基本的に異民族との争いが無かった点です。

歴史的な争いの種といえば、世界の一般的には
まず宗教、次に民族、そして権力です。

しかし日本においては、宗教の対立で国内が二分したり、
殺し合いが何年も続いたことはありません。

異民族との衝突も、全く無かったとは言いませんが、
そのために全面戦争が何年も続いたようなことはありません。
強いて言えば、日露戦争と第二次世界大戦くらいになるでしょうか。
日本民族の存亡を賭けて戦ったのは、他には無いと思います。

大和朝廷が全国を平定して以来、日本では千年間もずっとこんな歴史でした。
ですから、まず戦争というものの概念が、他の地域とは根本的に違ってきます。

まず、異民族同志の争いではありませんから、戦に勝って手に入れた土地では、
住民を無駄に殺したりはしません。
貴重な生産力である上、時には傭兵にもなってもらうわけですから、
あまり反感を買いすぎるような統治はできません。

これが民族同士の争いだと、征服した土地に住む住民は、原則皆殺しです。
もしくは奴隷化です。
よしんばそのまま生かしておいても、他民族に征服された住民は、
かならずいつか蜂起します。
結局、皆殺しが最も確実な方法なのです。

宗教で対立した場合は、相手は悪魔、自分は神軍です。
お互い、自分はどうなっても神に守られるわけですから、
死ぬまで考えを変えないでしょう。
説得は死ぬまで不可能です。

このあたり、例えは悪いかもしれませんが、オウム真理教の信者を見れば、
多少わかるかもしれません。
昔々の西洋人は、みんなあんな感じの熱心な信者だったのです。
本格的な争いになれば、やはり最後は、
皆殺しか奴隷化になるまで終わらないのです。

そんなわけですから、権力者のやることも日本に比べて極端です。

戦争というもの自体が、「自軍以外は虐殺」なのですから、
「自分達以外」を殺すことに慣れきっています。
ですから、支配者層以外を「自分達以外」と見なせば、
領地に住む住民の生死はたいした問題とは思えなくなります。
必然、農民や市民の生活を顧みられないまま、富が支配者に一極集中するのです。
それが、いわゆる封建社会というものでした。

そのため、西洋の封建時代というのは、とにかく
農民や市民の反乱→大量処刑の繰り返しでした。

しかし、日本では少し事情が違っていました。
鎌倉幕府ができて以降、権力者で「栄華を極めた」と言われているのは
足利義満と豊臣秀吉と、あとはせいぜい織田信長くらいしか聞きません。
それ以外は、質素倹約を良しとする武士道精神と、
徳を持って統治せよという儒教思想が浸透していたため、
権力=富とはなりませんでした。

また、江戸時代に日本に来た西洋人は一様に、
「日本の農民は貧しくても笑顔にあふれている」
と記録しています。
西洋のような、徹底搾取型の封建制では考えられない豊かな社会が、
そこにあったということでしょう。
農民一揆なんて、飢饉でもない限り起こす必要が無かったのです。

同様に、「市民の知的水準には驚くべきものがある」という記録もあります。

一般市民がその日を生きるのに精一杯なら、
読み書きを習うなどという余裕はないはずです。
実際、西洋でも中国でも、読み書きをできるのは支配者層と僧侶くらいでした。
朝鮮においては、
「必要ない知識を身につける恐れがあるから、庶民に字を教えてはいけない」
とされていたくらいです。
しかし日本では、街角に文字を書いた立て札(高札)を立てるだけで、
町民への通達が事足りていました。

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なお、同時期の西洋諸国では、王からのお触れがある時は
広場に住民を集めた前で、伝令係が大声で読み上げていました。
識字率が5%未満の世界では、これしか方法が無かったのです。

江戸時代ではさらに、子供向けの読み物も大量に出版されました。
子供が普通に字を読めた、ということと、
子供が文化的に遊ぶ余裕があった、という証左です。
産業革命時代(18~19C:幕末)のイギリスにおいて、
子供が単なる安価な労働力だとされていたのとは、天地ほどの差があります。

ただ、鎌倉以前の時代になると、平家や藤原家や、
もっと前には蘇我氏などが「贅沢を極めた」という話が登場し、
農民の生活はどうだったか、学校で習う内容には全く登場しません。
私も、詳しくは知りません。
しかし、それほどひどい生活では無かったのではないか、と考えております。

その根拠は、万葉集です。

万葉集には、防人歌(さきもりのうた)というものが多数あります。
これは、兵役を科された人々やその家族の、悲しみや心配りを歌ったものです。
が、よく考えてみれば、それを歌った人たちは、いわゆる庶民です。
もっと言えば、おそらくは主に農民でしょう。

万葉集が編纂されたのは、七世紀後半から八世紀後半にかけてです。
このころはまだ、日本語表記の手段としては漢字しかなく、
万葉仮名と呼ばれる「当て字」で書かれていました。
平仮名や片仮名が登場する前の話です。

要するに、日本ではそんなはるか昔から、
数多くの農民が歌を詠んでいた、ということになります。
しかも、それを貴族が聞き集め、公式文書として書き留めたということです。

これは、実はすごいことです。

例えば支配者層が、農民を卑しいものとしか考えないような人間ならば、
このような民の声を、わざわざ政府公式の貴重な書物に書き留めるようなことは
ありえないでしょう。

また、圧政に虐げられるだけで何の余裕もないような農民ならば、
優雅に歌を詠むこともないでしょうし、そもそも歌を詠むという文化的行為が、
農民に知られていたというだけでもかなりのものです。

といったわけで、
日本人ははるか昔から、基本的にはみんな優雅に楽しく暮らしていた、
という解釈はいかがでしょうか。

学塾ヴィッセンブルク 朝倉  



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