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2016.12.05  あすなろ181 蜘蛛の子の散らし方

2016.11号

「蜘蛛の子を散らすよう」という言葉があります。
散り散りになって逃げる様子を表しているのですが、
ここでなぜクモなのか、何をモチーフにした言葉なのか、
そのあたりって案外知られていないんですね。
最近、そんなことに気付きましたので、ちょっと書いてみます。

クモは、ほとんどの種類で、卵をまとめて卵嚢(らんのう)という袋に入れておきます。

卵嚢という言葉でよく知られているのは、カマキリあたりでしょうか。
カマキリの卵嚢は泡状のタンパク質でできていますが、
クモの卵嚢は糸で包むことによって作られます。

この時の糸は、卵嚢専用の、ふわふわした糸が使われています。
この状態で巣につけておく種類もいますが、
さらに別の丈夫な糸で包み込んで、しっかりとした袋にしておく種類もあります。

卵嚢の中で孵化したクモは、中でさらに脱皮して、
充分に歩ける状態になってから出てきます。
そしてその後はしばらくの間、近くで子グモ同士固まって暮らします。
ただ集まっているというよりは、本当に文字通り固まって、
子グモだけで玉が作られています。

181-1.png

181-2.png

この状態のことを、クモのまどい(団居)と言います。

そんな状態のクモは、ちょっと指先で触れたり、または風に吹かれたりすると、
びっくりしてワラワラと散り始めます。

これが、「蜘蛛の子を散らすよう」という様子です。
これが元ネタ。

驚いて散り始めたクモは、少しすると戻ってきて、元のような団子になります。
しばらくそんな生活をした後、子グモは自分の糸を風になびかせて、
それをタンポポの綿毛のようにして風に乗って飛んで行くのです。

ということで、慣用句というかことわざというか、冒頭の言葉の説明は終わりなのですが、
これがですね、笑っちゃうんですよ。

ちょっと広辞苑を開いてみますね。

・広辞苑 第三版(昭和五八年版)

(蜘蛛の子の入っている袋を破ると多くの子が四方に散ることから)群衆などが
ちりぢりばらばらに逃げ散るさまなどにいう。

ぶははははははは! 

なんだそれ!

なぜわざわざ破る?

確かにクモは、前述の通り卵嚢の中で孵化しますから、
卵嚢を破ると中から子グモが出てくることはあります。
でも、卵嚢はそこそこ丈夫にできていますので、
わざわざ両手でつまんで引きちぎったりしない限り、
何かの拍子についうっかり破れる、なんてことはありません。

ああ、小学生ならいいですよ。
私も小学生の頃にやりましたから。

でもわざわざそんなことをしなくても、
クモのまどいを見たことがあればすぐにわかることなのですが、
きっと広辞苑の編集スタッフは誰も知らなかったのでしょうね。

一方、クモのまどいについて書かれているウェブサイトでは、
ほぼ漏れなく「『蜘蛛の子を散らす』とはこれのこと」などの記述があります。

で・す・よ・ねー。
だってそのものを見れば、そんなのは一発で理解しますから。

試しに、他の国語辞典も見てみますね。

・大辞泉 第一版(一九九五年)

《蜘蛛の子の入っている袋を破ると、蜘蛛の子が四方八方に散るところから》
大勢のものが散りぢりになって逃げていくことのたとえ。
「悪童どもは―・すように逃げ去った」

広辞苑とほぼ同じ。
袋を破っていますね。

手許にある他の辞書も開いてみます。

北原学長の明鏡
 ――同じく袋破ってます。

新解さんこと新明解
 ――袋破ってます。

大野晋先生の角川
 ――袋破ってます。

期待してない明治書院
 ――袋破ってます。

子供用ベネッセ
 ――意味の説明はあるのですが、なぜクモなのか全く触れず。

そして旺文社の大ことわざ辞典である成語林
 ――期待していたのにまさかの袋破り。がっかりだよお前には。

実は、広辞苑という辞書は、日本で最初の「日本語大辞典」なのです。
ですから他の辞書は、ほとんどが広辞苑を参考にしながら作られていますんですね。
広辞苑に書いてあることですから、疑いもしないのでしょう。

というわけで、クモの生態を知らない国語学者様たちは、
今日もせっせとクモの袋を破り続けているというわけです。

ところで、この蜘蛛の子の話から、いつも連想する表現があります。

宮沢賢治『注文の多い料理店』。
超有名な話ですが、その一部より。

 風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。

このうち、問題は木の「ごとんごとんと鳴りました」のことです。

これ、何の事だと思いますか。

木って、鳴るんですよ。
「ゴンッ!」って。

強風の日に森に入ると、高い所から響いてくることが、ごくたまにあります。

隣同士の木がぶつかっているのか、それとも、普段はもたれかかっている幹が
風に煽られて一瞬離れてぶつかるのか、そのあたりまではわかりません。
しかし、確かに鳴ります。
そして鳴るためには、風が「どう」というほど一気に吹いてくる必要があります。

賢治は、それを体験していたのです。
だからこそ、この表現が出てきたのでしょう。
『風の又三郎』でも同様の表現が見られます。

しかし、それを研究している文学屋さんは、そんなことを知らないので、
「賢治独特の斬新な表現」とか書いちゃうわけですね。
しかし、実際に起こっていることについての言及は見たことがありません。
ネット上でも同様です。
賢治を他言語に翻訳する際に、この表現を無視してしまう例まで見かけました。

私はこの表現については、誰からも教えてもらっていません。
自分の耳でその音を聞いて、初めて本当の意味を理解したのです。

もっと外を歩きましょうよ。

そうすれば、もうクモの袋を破らなくてもいいのです。

学塾ヴィッセンブルク 朝倉  
 













2016.11号

「蜘蛛の子を散らすよう」という言葉があります。散り散りになって逃げる様子を表しているのですが、ここでなぜクモなのか、何をモチーフにした言葉なのか、そのあたりって案外知られていないんですね。最近、そんなことに気付きましたので、ちょっと書いてみます。

クモは、ほとんどの種類で、卵をまとめて卵嚢(らんのう)という袋に入れておきます。

卵嚢という言葉でよく知られているのは、カマキリあたりでしょうか。カマキリの卵嚢は泡状のタンパク質でできていますが、クモの卵嚢は糸で包むことによって作られます。

この時の糸は、卵嚢専用の、ふわふわした糸が使われています。この状態で巣につけておく種類もいますが、さらに別の丈夫な糸で包み込んで、しっかりとした袋にしておく種類もあります。

卵嚢の中で孵化したクモは、中でさらに脱皮して、充分に歩ける状態になってから出てきます。そしてその後はしばらくの間、近くで子グモ同士固まって暮らします。ただ集まっているというよりは、本当に文字通り固まって、子グモだけで玉が作られています。






この状態のことを、クモのまどい(団居)と言います。

そんな状態のクモは、ちょっと指先で触れたり、または風に吹かれたりすると、びっくりしてワラワラと散り始めます。

これが、「蜘蛛の子を散らすよう」という様子です。これが元ネタ。

驚いて散り始めたクモは、少しすると戻ってきて、元のような団子になります。しばらくそんな生活をした後、子グモは自分の糸を風になびかせて、それをタンポポの綿毛のようにして風に乗って飛んで行くのです。

ということで、慣用句というかことわざというか、冒頭の言葉の説明は終わりなのですが、これがですね、笑っちゃうんですよ。

ちょっと広辞苑を開いてみますね。

・広辞苑 第三版(昭和五八年版)

(蜘蛛の子の入っている袋を破ると多くの子が四方に散ることから)群衆などがちりぢりばらばらに逃げ散るさまなどにいう。

ぶははははははは! 

なんだそれ!

なぜわざわざ破る?

確かにクモは、前述の通り卵嚢の中で孵化しますから、卵嚢を破ると中から子グモが出てくることはあります。でも、卵嚢はそこそこ丈夫にできていますので、わざわざ両手でつまんで引きちぎったりしない限り、何かの拍子についうっかり破れる、なんてことはありません。

ああ、小学生ならいいですよ。私も小学生の頃にやりましたから。

でもわざわざそんなことをしなくても、クモのまどいを見たことがあればすぐにわかることなのですが、きっと広辞苑の編集スタッフは誰も知らなかったのでしょうね。

一方、クモのまどいについて書かれているウェブサイトでは、ほぼ漏れなく「『蜘蛛の子を散らす』とはこれのこと」などの記述があります。

で・す・よ・ねー。だってそのものを見れば、そんなのは一発で理解しますから。

試しに、他の国語辞典も見てみますね。

・大辞泉 第一版(一九九五年)

《蜘蛛の子の入っている袋を破ると、蜘蛛の子が四方八方に散るところから》大勢のものが散りぢりになって逃げていくことのたとえ。「悪童どもは―・すように逃げ去った」

広辞苑とほぼ同じ。袋を破っていますね。

手許にある他の辞書も開いてみます。

北原学長の明鏡――同じく袋破ってます。

新解さんこと新明解――袋破ってます。

大野晋先生の角川――袋破ってます。

期待してない明治書院――袋破ってます。

子供用ベネッセ――意味の説明はあるのですが、なぜクモなのか全く触れず。

そして旺文社の大ことわざ辞典である成語林――期待していたのにまさかの袋破り。がっかりだよお前には。

実は、広辞苑という辞書は、日本で最初の「日本語大辞典」なのです。ですから他の辞書は、ほとんどが広辞苑を参考にしながら作られていますんですね。広辞苑に書いてあることですから、疑いもしないのでしょう。

というわけで、クモの生態を知らない国語学者様たちは、今日もせっせとクモの袋を破り続けているというわけです。

ところで、この蜘蛛の子の話から、いつも連想する表現があります。

宮沢賢治『注文の多い料理店』。超有名な話ですが、その一部より。

風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。

このうち、問題は木の「ごとんごとんと鳴りました」のことです。

これ、何の事だと思いますか。

木って、鳴るんですよ。「ゴンッ!」って。

強風の日に森に入ると、高い所から響いてくることが、ごくたまにあります。

隣同士の木がぶつかっているのか、それとも、普段はもたれかかっている幹が風に煽られて一瞬離れてぶつかるのか、そのあたりまではわかりません。しかし、確かに鳴ります。そして鳴るためには、風が「どう」というほど一気に吹いてくる必要があります。

賢治は、それを体験していたのです。だからこそ、この表現が出てきたのでしょう。『風の又三郎』でも同様の表現が見られます。

しかし、それを研究している文学屋さんは、そんなことを知らないので、「賢治独特の斬新な表現」とか書いちゃうわけですね。しかし、実際に起こっていることについての言及は見たことがありません。ネット上でも同様です。賢治を他言語に翻訳する際に、この表現を無視してしまう例まで見かけました。

私はこの表現については、誰からも教えてもらっていません。自分の耳でその音を聞いて、初めて本当の意味を理解したのです。

もっと外を歩きましょうよ。そうすれば、もうクモの袋を破らなくてもいいのです。

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