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2017.01.23  あすなろ51 五行、干支(過去記事)

2006.01号

もういくつ寝るとお正月ですとも。
ええそうですとも。

ところで、平成十八年の「えと」って、何だったかご存じでしょうか?

って云われたら、まあ普通は「いぬ」と答えるでしょうし、現代に於いては正解ですけど、
細かいことを云い始めると、厳密には半分だけ正解、五十点です。

正解は、「ひのえいぬ」。

「いぬ(戌)」というのは、十二支です。
厳密には「えと」ではありません。
漢字で書くと「干支」となることからもわかるとおり、
「干+支(=十二支)」で、初めて干支です。

じゃあ、「干」とは何か?

ちょっと、一度話題を外れます。

むかしむかし、科学的知識が今ほど普遍的でなかった頃のお話。

この世界を構成している物は、結局何に集約されるのか、
世界中の人たちか、様々な説を考え出しました。

今でも有名なのは、
地・水・風・火の四大元素がこの世界を構成していて、それぞれに
ノーム・ウンディーネ・シルフ・サラマンダーという精霊が棲んでいる、という、
十六世紀の錬金術師パラケルススの世界観。
RPGを何本かやっている人なら、一度は聞いたことがあると思います。

同じような考え方は、東洋にもありました。
古代インドでも、やはり地水火風が四大元素と考えられ、
この組み合わせで世界はできているとされています。

ところが、中国に於いては、これとはまた別の、五つの要素を考え出した人がいました。
こっちは、木・火・土・金・水が構成要素とされ、世界の全ての現象を
この五つに当てはめて考えます。
これを五行思想と呼びます。
風水の原型ともいえるでしょう。
とにかく、世界のありとあらゆる物を五種に分類して、
その法則性を見つけようとしたようです。


五時 春 夏 土用 秋 冬

五色 緑 紅 黄 白 黒

五方 東 南 中 西 北

五臓 肝 心 脾 肺 腎

五情 喜 楽 怨 怒 哀

五感 目 耳 鼻 口 皮膚

五塵 色 声 香 味 触

五味 酸 苦 甘 辛 鹹(塩味)

五穀 麻 麦 稲 黍 大豆


......ナドナド。
(土用とは、季節の変わり目のこと。強引に五種に分けた結果か?)

また、それとは別に、世界にある物質は、全て
「陰」と「陽」で対になっているという考えもありました。
これもほぼ同時期の中国での話です。
女と男で対、夜と昼で対、高いと低いで対......というようなものです。
こちらは、陰陽思想(おんようしそう)と呼ばれています。

この二つの考えが、仏教と一緒に日本に渡ってきました。
これらと、さらに同時に渡ってきた道教とが日本に於いて融合され
(中国で合わさったという説もあり)、できたのが陰陽道(おんようどう)とされています。
先述した五行や陰陽の内容を見てもわかるとおり、呪術や占術の類ですね。
ちなみに、陰陽道を司る官職は、陰陽師(おんみょうじ)と呼ばれました。
安倍晴明が有名なアレです。

さて、五行の構成要素は五つ。
陰陽は二つです。
これを両方とも合わせるための方法が、五行の各要素を、
全て陰と陽に分けてしまうことでした。
木を兄と弟の二つに、火を兄と弟に、と繰り返し、五行と陰陽を共に納得させたのです。
ここで、要素は合計十個になったので、これを十干(じっかん)と呼びます。

さらに、この十個の要素全てに名前を付けます。


木の兄=きのえ  木の弟=きのと

火の兄=ひのえ  火の弟=ひのと

土の兄=つちのえ 土の弟=つちのと

金の兄=かのえ  金の弟=かのと

水の兄=みずのえ 水の弟=みずのと


そうです。
これだったのです。
この、十干と十二支を両方合わせた物が干支なのです。

平成十七年は「きのととり」でした。
そして、平成十八年は「ひのえいぬ」となり、平成十九年は「ひのとい」、
平成二十年は「つちのえね」となります。
干支というのは、こうやって回っていきます。
「ひのえうま」くらいは聞いたことありますよね。
あの年に生まれた女性は「男を喰う」と云われています。

では、このまま回って、再びひのえいぬが来るのは何年後でしょう。
って、簡単ですね。十二と十の公倍数である、六十年後です。
六十年で暦が一回りするので、これを暦が戻ると考えて、還暦と呼びます。
六十歳のことを還暦と呼ぶのは、こうした理由からです。

で、十二支の由来なんですが、
やっぱり世界中のあちこちで、時間や方位を十二に分ける考えはありました。
月は十二周期で一年ですし。
これの中国版が十二支です。
本来はそれだけのことだったのが、民間に於いては覚えやすいように、
それぞれに動物を当てただけの話だと云われています。

十二支もやはり中国由来なので、各要素には十二個の漢字が当てはめられています。
もちろんこれは、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥のことです。
同様に、十干にも漢字が当てられています。
それが、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸です。
下妻市民なら、この一部は地名で見たことありますよね。
これに順にきのえ・きのと・ひのえ......と訓を当てて読みます。
従って、「壬申の乱」は「みずのえさる」の年にあったことがわかります。
甲子トンネルというトンネルもあります。

ついでに。

先述の通り、十二支は時間や方位にも用いられました。
全方位を十二に分けて、北から東回りで子丑寅卯......と名付けていきます。
(時計の文字盤を見て、十二時を北と考えるとわかりやすくなります)
すると、南の方角は午となります。
地球の経線のことを子午線と呼ぶのは、
子の方角から午の方角へと引かれた線だからなのです。

また、北東の方角は、丑と寅の中間なので、丑寅と呼ばれます。
いわゆる鬼門が丑寅と呼ばれるのも、そういう理由からです。

時刻も同様に、一日を十二の「刻」に分けていました。
今で云う二時間が「一刻」にあたり、
深夜十一時から一時までを子の刻、一時から三時までを丑の刻......
と呼んだわけです。
またさらに、一刻を四つにわけて、三十分ごとに順に一つ、二つ......と呼びました。
というわけですので、丑三つ時とは午前二時から二時半の間のことです。

時刻に関しては諸説がある上、江戸時代の初期と後期では
呼び方が変わったと云われていますので、他にもいろいろな区分があります。
その話は、始めると長くなりそうですので、また今度ということにしておきます。

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