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2017.08.01  あすなろ189 愛知時計電機

2017.07号

塾生はご存じかと思いますが、当塾には振り子時計があります。
本物の機械式ですので、月に一回、ゼンマイを巻いています。

この時計、購入したのは平成27年(2015)で、
ネットオークションでたまたま出ていた新品を入手したものです。
製造年は不明ですが、おそらく昭和の末期のものでしょう。
それまで使っていた時計は大正時代のもので、
精工舎(現セイコー)の外ガンギ......
って言っても意味わかんないですよね。
やめます。

いやあ、新しいっていいですね。
大正モノと比べると、笑っちゃうくらい正確です。


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この時計のブランドは「アイチ」。
愛知時計電機という会社です。
現在では水道やガスなどの流量メーターのメーカーで、
時計の製造からは撤退してしまいましたが、
社名は愛知時計電機を名乗り続けています。

この会社は明治からこれまで、時計以外にも色々なものを製造してきました。
そんな話をご紹介します。

明治26年(1893)の創業当時は、柱時計の製造を手がける会社でした。
愛知時計製造合資会社としてスタートしています。

その当時、時計と言えば精密機械でした。
そのため、日露戦争が始まると、
明治37年(1904)からは陸軍の砲弾の信管などを受注するようになります。
翌年には海軍からも依頼があり、機雷や魚雷発射管などの製造から、
艦砲の射撃盤の国産化に協力するに至ります。
それに伴って、大正元年(1912)には社名を愛知時計電機と改称します。

大正9年(1920)、今度は海軍が設計した航空機の製造を依頼されます。
そこからは航空機技術者の育成に努め、
大正14年(1925)にはドイツ機のライセンス生産を始める一方で自社設計も始め、
昭和11年(1936)には完全自社設計の水上偵察機が初めて制式採用されます。

そして昭和14年(1939)には、
名機「九九式艦上爆撃機(九九艦爆)」が制式採用されています。
「九九艦爆」は、大戦初期にはパイロットの練度が高かったこともあって、
驚異的な命中率何度も記録しています。
九九艦爆は大戦中、連合軍の艦船を最も多く沈めた航空機だと言われています。

他にも、戦艦などの艦載機として最も多く採用された「零式水上偵察機」と、
その後継の「瑞雲」も愛知製です。
また大戦末期、初めての急降下・水平兼用爆撃機となった「流星」や、
潜水艦から発進してパナマ運河を爆撃する予定だった「晴嵐」も愛知製です。

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なお、「九九艦爆」の後継となる「彗星」は、海軍が設計したものですが、
愛知でも生産されていました。
また「彗星」に搭載されていた液冷(水冷)エンジン「アツタ」は、
ダイムラーベンツ製ノックダウンの改良型ではありますが、愛知製です。
このエンジンは先述の「晴嵐」にも積まれています。

さらに愛知では、あの特攻ロケット兵器「桜花」も製造していました。
ただし、こちらも「彗星」同様、設計は別です。

......何言ってるのかわからないですよね。
はい大丈夫です。
正常な証です。

そんな愛知ですが、昭和20年(1945)6月の熱田空襲では
攻撃の主目標となって壊滅的打撃を受けて、そのまま終戦を迎えます。

戦後は、愛知時計電機は量水器や時計の生産を、
愛知航空機は自動車の生産を始めます。

そして作った自動車が、オート三輪の「ヂャイアント」であり、
軽自動車の「コニー」です。
コニーといえばグッピーが有名......
だと思ってるのは私だけですかそうですよね。

まあともかく、
昭和22年(1947)から「ヂャイアント」の生産を始めた愛知機械(旧愛知航空機)は、
オート三輪の衰退を察知した昭和34年(1959)からは軽四輪にスイッチして、
昭和45年(1970)まで四輪車を生産しています。

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しかし昭和40年(1965)に
日産のエンジンやトランスミッションの製造を請け負うようになってからは、
どうも下請けの方が儲かったようで、自社製の四輪からは撤退してしまいます。
そこからは、日産の「チェリー」、「サニートラック」、「バネット」、「セレナ」の
製造を担当していたのですが、平成13年(2001)以降は完成車の製造からも撤退しています。
現在は、エンジンやトランスミッションの生産に特化しているようです。

一方、愛知時計の方は、
最初に書いた通り時計業界からは既に撤退しているのですが、
いつから時計をやめたのかについては、どこをどう調べてもわかりませんでした。
残念。

と、長くなりましたが、塾にあるのは、こんな歴史を持つ会社の時計です。

――今回はですね、
もうどうせ全部は説明しきれないと思って、開き直って趣味全開で書いてみました。
すみませんほんと。

学塾ヴィッセンブルク 朝倉  



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