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HOME雑記帳(あすなろ)あすなろ53 二十四節気、節句(過去記事再掲)
2006.03号
年が明けて、早くも節分が終わりました。
もう桃の節句の季節です。
時の流れを早く感じるのはトシのせいではないかという疑惑はとりあえず置いておくとして。
節分と節句。
両方とも「節」がつきます。
共に「時節」に関する言葉ではありますが、この二語の関係が、ちょっと変だということに最近気づきました。
そんな話です。
その言葉の話を直接解説する前に、二十四節気(にじゅうしせっき)というものをご存じでしょうか。
ものすごく簡単に説明すると、二十四個の季節の分け目の日です。
四季では表しきれない微妙な季節の移り変わりを、さらに細かく分けたものと思ってもらって結構です。
その原型は、例によって中国大陸から渡ってきたとされています。
以下に、具体的な語を挙げます。
できればひととおり知っておいて欲しいので、一応全部挙げておきます。
春
一月
立春 りっしゅん
雨水 うすい
二月
啓蟄 けいちつ
春分 しゅんぶん
三月
清明 せいめい
穀雨 こくう
夏
四月
立夏 りっか
小満 しょうまん
五月
芒種 ぼうしゅ
夏至 げし
六月
小暑 しょうしょ
大暑 たいしょ
秋
七月
立秋 りっしゅう
処暑 しょしょ
八月
白露 はくろ
秋分 しゅうぶん
九月
寒露 かんろ
霜降 そうこう
冬
十月
立冬 りっとう
小雪 しょうせつ
十一月
大雪 たいせつ
冬至 とうじ
十二月
小寒 しょうかん
大寒 だいかん
以上、二十四節気です。
立春から啓蟄の前日までを一月とし、立春から立夏の前日までを春と定めています。
節気というのは、その区切りとなる日のことです。
その昔、中国から伝わってきました。
二十四節気のうち、重要なのは立春、立夏、立秋、立冬の四つです。
重要な区切りになりますので、その前日にも名前が付いています。
それが、節分という呼び名です。
月の終わりの日が特別に晦日(みそか)や晦(つごもり)などと呼ばれるのと同じです。
ところで、日本では古来より、季節の変わり目には鬼(邪気)が生じると考えられておりました。
今でも「季節の変わり目には体調を崩しやすい」とされていますので、まんざら嘘でもないとは思います。
で、一年の中で最も大切な季節の変わり目(節分)となる年末、邪気を払う儀式が生まれました。
これが、今に伝わる節分祭です。
節分祭は、元々は宮中行事だったそうです。
それが貴族→武士→平民と伝わり、江戸時代には一般行事化しました。
日本の歴史においては、まあよくある話です。
さて、それでは節句です。
こちらも、元々は季節の変わり目の儀式でした。
変わり目の日のことを節日(せちび)と呼び、お供え物をしたそうです。
その供え物を「節供」と呼び、後に転じて節日自体を節供→節句と呼ぶようになったとのことです。
その昔、中国から伝わってきました。
ってあれ?
この「季節」って、さっきの季節と時期が若干違うような......
この二つの「季節」の不整合について、私が調べた限りでは、うまい説明が見つかりませんでした。
思うに、別の考えが別の頃に日本に伝わってきたのでしょう。
漢字の音読みが何通りもあるのと同じではないかと。
んで、全部ちゃんぽんで気にせず取り入れてしまっただけではないかと。
まあ、やっぱりこれも、日本史においては良くある話ですよ。
んで、元々はいろんな節句があったのですが、江戸幕府はその中から、五つの節句を公式な「式日」(今でいうところの祝日)として定めました。
これを以下に挙げます。
・一月七日
人日(じんじつ)
別名 七草の節句
・三月三日
上巳(じょうし)の節句
別名 桃の節句・雛祭り
・五月五日
端午(たんご)の節句
別名 菖蒲の節句
・七月七日
七夕(しちせき)の節句
別名 笹の節句・たなばた
・九月九日
重陽(ちょうよう)の節句
別名 菊の節句
最初の人日を除いて、みんな奇数のゾロ目です。
これは、中国の陰陽思想においては、奇数が陽であるから縁起がいいという発想から来ています。
なので、それが重なっている日は特に縁起がいいと祝ったのが、節句の始まりとのことです。
中でも、最大の陽の数である九が重なった日を重陽と呼び、これもまた宮中行事としては重要だったようです。
菊の節句は、雨月物語の「菊花の契り」という話に登場しますよね。
......何?
知らない?
じゃあ読め。
江戸時代に書かれた怪話集です。
ちょっと、二十四節気の話に戻ります。
見てわかるとおり、夏至が五月にあり、冬至が十一月になっています。
これはいわゆる旧暦ですのから、現在とは約一ヶ月のずれはあります。
ただ、それを考慮しても、二月の旧正月に春が始まるってのは、現代の我々の感覚からすると、早すぎの感があります。
何故、年の初めが立春であるのか。
どうやら、春夏秋冬という言葉の定義自体が、ただ単に、一年を四つに分けたときの呼称であったらしいのです。
最初は、わかりやすい日である冬至を年の初めと定めたそうです。
月が一番「小さく」なる状態を「新月」と定めたのと同じような感覚で、日が一番「小さく」なる状態を「新年」としたのでしょう。
ですが、後に「冬至と春分の中間点を年の初めとする」と変更になりました。
これは多分、こっちの方が農耕に都合がいい区切りだったからではないかと思います。
中国の気候はよく知りませんが、多分。
この、年始が変更されたのが戦国時代といいますから、だいたい紀元前五世紀から前三世紀あたりまでのどこかでしょう。
秦の始皇帝が中国全土を最初に統一するよりも前のことです。
要するに、かなり昔のことです。
今では、世界中で同じ時に新年を迎えます。
それは、世界中で同じ暦=グレゴリオ暦を使っているからですが、この暦が発布されたのは1582年です。
その雛形となったユリウス暦は、紀元前45年から実施されています。
ユリウス暦のさらに元となったとされるローマ暦は、年の初めが明確に決まっているものではありませんでした。
国王が今日からと宣言したときが年始となり、農閑期になると暦を刻むのを終了したそうです。
という時代系列から見るに、年の初めを今の位置に最初に定めたのは古代中国で、ユリウス暦はそれを参考にして一月を制定したのではないのでしょうか。
多分。
「西暦」、つまり「西洋の暦」の原型のようなものが中華にあるなんて、面白いと思いませんか?
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義