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あすなろ194 チバニアン(過去記事)

2018年3月13日投稿

 

 

 

2017.12号

 

チバニャン来ましたねえ。ほぼ確定なんだそうですね。

 

この話は確か、半年くらい前からありまして、当時のネット上では半分ネタ扱いだったのですが、正直言って本当に通っちゃうとは思っていませんでした。

 

ご存じの方はご存じでしょうが、地質年代の新名称の話です。

 

この度、77万年前から12.6万年前までの時代は、チバニアンと呼ばれるように「内定」しました。

千葉県市原市にある地層が、この地質年代の世界基準となることになったというわけです。

生物学で言うところの「タイプ標本」に決まったというわけですね。

この場所が基準とされる決め手となったのは、77万年前の地磁気反転の様子が、もう一つの候補であるイタリアの地層よりも明瞭だったから、なのだそうです。

 

……と、先日たまたま見えた千葉テレビでも、女性アナウンサーが嬉々として放送しておりました。

が、この人はどこまでその意味を理解してしゃべっているのかなあ、なんて思ったものですから、今回はそんな話です。

 

まずは、「地磁気反転」という言葉の意味について、といったあたりでしょうか。

 

地磁気とは、地球の磁気です。地球は巨大な磁石となっていて、北にS極、南にN極があります。

ですから、地球上に磁石を置くと、置いた磁石のN極は、地球の北にあるS極に引かれて北を向くわけです。

 

次は、地球が磁石になっている仕組みです。

 

地球の中心部には、核と呼ばれる巨大な鉄の塊があります。

この核のうち、最深部にある内核は、鉄の固体です。

しかしその周囲の外核は、高温の液体の鉄だということがわかっています。

そしてその鉄が対流することで、磁場が発生していると考えられています。

 

なぜ鉄の対流で磁場が発生し続けるかは、ダイナモ理論というのがあるのですが、あのですね、これ、何度読んでも理解できないんですよね。

要するに、磁場の中を電導性の流体が流れると電気が発生して、それによって磁場ができるからまた電気が発生して、だからずっと磁力を維持できる、という話なんだってさ。

へー。

ふーん。

 

おおざっぱには、電磁誘導とその逆みたいなもんだと思っちゃってもいいらしいです。

 

では、外核が対流する理由はというと、内核の熱による熱対流と、地球の自転による力との複合効果だと言われています。

 

また、最初に対流が起こったきっかけは、マントル内部に大陸プレートの残骸が蓄積され続けた結果、マントルを突き抜けて外核まで落下したためという説もあります。

これは、プルームテクトニクスという話にもつながるのですが、今回は別にいいですよね。

 

※ 2006年4月(No.54)に、そんな話を書いています。

 

ともかく、外核の鉄の対流で磁力が発生していますので、なんらかのきっかけでその流れが乱れると、磁力の向きが変わってしまって、地磁気が逆転することがあります。

そのあたりも、力武モデルという理屈があるのですが、これもまた、さっぱりわかりませぬ。

 

ところで、今挙げた「力武(りきたけ)」は、日本の地球物理学者の名前です。

いや、そもそも、世界で最初に地磁気反転説を提唱したのは、日本の地球物理学者の松山基範です。

そしてその功績から、258万年前から77万年前までの、地磁気が今と逆転していた時代は、「松山期」と名付けられています。

 

松山期のあと、77万年前から現在まではブリュンヌ期というのですが、そのブリュンヌ期を細分化したうちの最初の時代を、千葉期(チバニアン)と命名しよう、というのが、今回のお話なのでした。

地質時代に日本名が付くのは、千葉が最初ではないのです。

 

この77万年前の境界がはっきりと観察できるのは、今のところ世界で3カ所だけで、そのうちの一つが、冒頭の千葉の市原にある地層なのだそうです。

 

この市原の地層を調べた結果、地磁気逆転の年代がそれまでの定説より1万年ずれていたことが、2015年に判明しています。

そしてその研究と、今回の千葉時代の提唱をしたチームのリーダーは、茨城大学の岡田教授です。

 

我らが茨城大も、何気にすごいです。

 

ただこれは、地磁気を観測している「気象庁地磁気観測所」が、茨城県石岡市の柿岡にあるということも関係ありそうです。

 

この柿岡(旧八郷町)では、1912年(大正元年)からずっと、地磁気の観測が続けられてきました。

現在では、「赤道間電流の強さの指標を決定する観測所の一つ」となっています。

あ、わからなくてもいいです。

ちなみにこれは、世界に4ヶ所しかありません。

 

ともかくそんな場所であるため、ここでの地磁気の観測に影響を与えないように、特に周辺地域の鉄道には、電流の扱いについては厳しい規則が法律で定められています。

 

鉄道好きはご存じかもしれませんが、常磐線の「取手~藤代」間には、電気が切れる場所があります。

かつては、電車がここを通過する瞬間、車内灯が一瞬停電していました。

今は電灯を消えないようにバッテリーを積んでいますが、モーターやエアコンは今でも何秒間かだけ停止します。

 

これは、地磁気観測所に影響を与えないように、直流と交流を入れかえるためです。

つくばエクスプレスの「守谷~みらい平」間にも、同じくこういう場所があります。

 

この近辺で電車を通すには、こういったコストのかかる仕組みが必要となるために、電化をあきらめた鉄道もあります。

それが、当塾の目の前を通る関東鉄道常総線です。

常総線が今どき、北国でも無いのにディーゼルの車両を走らせているのは、そんな理由です。

 

実は案外、茨城に関係の深い話なのでした。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義