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HOME雑記帳(あすなろ)あすなろ97 チョコレート(過去記事)
2009.11号
みんな大好きチョコレート。
人の好みは様々であるはずですが、その中でもチョコレートは、あまり「嫌い」だという話を聞いたことがありません。
どういうことなんでしょうねえ。
チョコレートの原料となるカカオは、中南米を原産とする木の実です。
しかし紀元前2000年頃から15世紀までは、カカオの実を粉にして、それを水に溶いたものを飲んでいました。
これにバニラ、ペッパーなどの香辛料を入れて飲んでいたので、苦くて香りの高い飲み物だったようです。
また、水に溶いてはいたものの、カカオには油分が多いためにあまり水には溶けずに、かなり濃厚な液体でした。
また、カカオ特有の酸味もあったようです。
赤道付近の国では一般的に、香辛料の強いものを飲食して、汗をかいて体を冷やす食文化があります。
インドのカレーやタイの唐辛子料理がそうですよね。
中南米におけるチョコレートも、やはりそのようなものだったのでしょう。
ですからでしょうか、カカオはまた、大変珍重され、貨幣の代わりとして流通した時代もありました。
さて、15世紀末に、コロンブスという男が中米を見つけちゃったものですから、そこからは西洋人の侵略が始まります。
そして、スペイン人が持ち帰ったものの中に、カカオの実とチョコレート加工器がありました。
スペインの侵略者コルテスとチョコレートとの出会いに関しては、子供の頃に本で読んだことがあります。
それによれば、進軍の途中に出会った現地人から貰った、ということになっていましたが、本当は少し違うようですね。
コルテスがアステカ王国を訪れたとき、国王から客人にふるまわれた高級飲料、というのが真相のようです。
ところでこの頃、それまで苦い飲み物だったチョコレートに、砂糖を入れる「発明」がなされています。
ですからスペインが中米を征服したころには、チョコレートは比較的飲みやすい味になっていました。
スペインにおけるチョコレートは、暖かい飲み物として普及します。
赤道直下の中米と比べると、スペインは「寒い地域」だからなのかもしれません。
しかしこの飲み物は、スペイン上流階級だけの「秘密の飲み物」であり、およそ一世紀の間は門外不出でした。
しかしその後、フランスのルイ13世がチョコレート好きのスペイン王女と結婚したため、フランスにもチョコレートがもたらされることになります。
さらにその息子のルイ14世も、同じくチョコレートの好きなスペイン王女と結婚します。
こうやって、スペイン王家からヨーロッパ全土へと、チョコレートが浸透していくことになります。
そして1828年、オランダのバンホーテンが、カカオからココアバターを分離する方法を発明します。
さらにその二代目は、アルカリを加えることによって酸味を無くし、水に溶けやすくします。
これにより、それまで油分でドロドロの液体だったチョコレートは、お湯に溶けたさらりとした飲み物になりました。
バンホーテンとはもちろん、有名ココアのブランドの、あのバンホーテンのことです。
これがイギリスに伝わると、今度は牛乳が加えられ、夕食後の楽しみとして普及します。
アフヌーンティーとは別のポジションに収まったわけですね。
紅茶を飲む喫茶店のように、チョコレートを飲むチョコレートハウスなるものが流行し、大衆化していきます。
1847年、イギリスにて、それまで取り除くだけだった油分のココアバターを、ココアパウダーと合わせて加工して、「食べるチョコレート」を発明します。
そして1876年、今度はスイスで、粉乳を加えた「ミルクチョコレート」が発明されます。
ここからようやく、本格的な固形チョコレートの歴史が始まるのでした。
国産チョコレートの第1号は、1878年に米津凮月堂によって作られました。
ただしこれは外国産チョコレートを加工した物で、カカオ豆からの製造は1918年、森永製菓によるものが最初です。
そういえば、「チョコレートはめ♪い♪じ♪」というキャッチフレーズがありますけど、元祖は森永じゃねえか。
何か、うまく騙された気分だわ。
先に書いたとおり、カカオ豆はまずココアバターとココアパウダー(非脂肪分)に分離されますが、このうちココアパウダーを使わないで作られたのがホワイトチョコレートです。
日本で最初にホワイトチョコレートを製造したのは、北海道土産のバターサンドで有名な六花亭でした。
ちょっと意外。
つまり、原料のカカオマスを脂肪分と非脂肪分にわけたあと、前者を使ったのがココア飲料、後者を使ったのがホワイトチョコレート、両方使うのがミルクチョコレートやダークチョコレート、ということですね。
でもここでまた、少しややこしい話をします。
いわゆるココアと、ホットチョコレートという飲料は、別の物だという定義もあります。
歴史上の順序で言えば、バンホーテンが今のココアの形を作り出した時点では、まだ固形チョコレートは登場していませんでした。
ですから、その当時は、チョコレートとはすなわち今のココアのことです。
そして現在も、アメリカでは大抵、ホットチョコレート=ホットココア、となっています。
しかしイギリスなどでは、ホットチョコレートといえばココアとは別物で、固形チョコレートが溶かし込んであります。
つまり、ココアバターが入っている、昔の形に近い物を指すようです。
特に、ヨーロッパ1番のチョコレート伝統国・スペインでは、今でもホットチョコといえばドロドロの飲み物で、中には温かくて柔らかい、半溶けの塊が入っているそうです。
これにチュロスを浸して食べるのが、伝統的な朝食なんだそうです。
おやつとしてはおいしそうですけど、朝からこれ食べて学校に行くのはちょっと抵抗がありますね。
それと、バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は、日本の菓子メーカーの陰謀だの騙されているだけだのと、よく言われていますよね。
でも本当は、19世紀のイギリスで起こった行事らしいです。
ただ、それを始めたのはチョコレート会社ですけどね。
それはいいのですが、その頃になると出回る外国産のチョコレートって、なんで国産に比べて味が悪いんでしょうね。
味が粗雑というかワイルドというか。
舌の繊細さにかけては、日本人が一番だと実感する瞬間です。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉