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HOME雑記帳(あすなろ)あすなろ147 アンパンマン(過去記事)
2014.01号
平成25年も、すっかり暮れてきました。
私が一年間、娘に着せる服のことばかりを考えているうちに、世間様ではいろいろなことがあったようです。
その中で、ヲタクな私的に最も大きかったニュースは、やなせたかし氏の訃報でした。
94歳の大往生でした。
やなせたかし(以下敬称略)は、ご存じのとおりアンパンマンの作者です。
漫画好きな私にとっては、日本漫画協会の理事長・会長という一面もありました。
また、昔は高島屋の冊子(?)に載っていた「リトル・ボオ」というマンガを目にしていたので、名前だけは子供の頃から知っていました。
やなせたかしの人生やアンパンマンが生まれたエピソードに関しては、各方面へのインタビューに語り尽くされていますが、それでも改めて紹介してみたいと思います。
最初にアンパンマンが登場したのは1969年のことで、「十二の真珠」という短編集の中の一話でした。
これは、妙な格好のおじさんが、戦時下の空を飛んで、飢えた子供にアンパンを届けるという話でした。
しかし、大人からも、アンパンを受け取った子供からも、努力は全く認められず、最後は高射砲に撃たれて終わり、という救われない結末でした。
同じ頃に書いた「チリンのすず」という話もあるのですが、こちらは、オオカミに復讐するために化け物になったヒツジが、ついに復讐を果たすもののもう仲間の所には戻れずにどこかへと去っていく、というものです。
その少し前、やなせが書いた「やさしいライオン」は、犬に育てて貰ったライオンが、年老いたその犬を看取りに帰ったところで、人間に撃たれて終わる話でした。
どうもこの人は、こういった話を書く人だったようです。
やなせは終戦まで中国大陸で兵役を務めていました。
その後終戦によって正義が逆転する様子を見ているので、「本当の正義とは?」という自問があったようです。
同時に、前線では無かったにせよ、戦地に赴いていたためか、今の日本人とは死生観が違っていたのかもしれません。
死生観が違うと言えば、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるの場合は、こんなもんじゃないです。
水木は最前線で敵の攻撃に仲間がバタバタ死ぬのを見ていて、自分も左腕を失ってからは単独で現地人の襲撃から逃げ回ってきたという経験を持っていますので、彼の漫画では実にあっさりと人が死にます。
なお、彼のいた部隊は、その後玉砕しています。
初代アンパンマンから2年後、「何でも屋だった」やなせは、フレーベル館から幼稚園向け絵本の執筆を依頼されます。
しかし、
その頃の幼児絵本というのは、「くまちゃん でてきて ころころ」とかですね、「ぶらんこ ぶらぶら うれしいな」みたいなやつなんですよ。
こんなものは描けねえ。
とやなせ本人が語るとおり、幼児向けの絵本なのに、小学生以上向けのつもりで話を作ってしまいます。
これが、二代目アンパンマンでした。
それでも一応、子供向けということで、頭をアンパンにして、最後はまた元気よく飛んでいくというラストに仕立てています。
が、
頭のアンパンを飢えた人に与えていく度に、自分は減っていってしまいます。
しかも、
最初の登場シーンから、マントは既にボロボロです。
上記「くまちゃん」の世界からは、かけ離れているということがわかります。
この本のあとがきに、やなせ自身は、
子どもたちとおんなじに、ボクもスーパーマンや仮面ものが大好きなのですが、いつもふしぎにおもうのは、大格闘しても着ているものが破れないし汚れない、だれのためにたたかっているのか、よくわからないということ
です。
ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。
(後略)
と書いています。
これが、現在まで続くアンパンマン精神の始まりでした。
しかしこれを発表した当初、幼稚園や評論家からはクレームが大量に来て、出版社からも「もうあんなものは描かないでください」と言われたそうです。
まあ、そうですよね。
汚い格好した人が自分を食べさせて、顔半分とか顔無しとかの状態で飛んでいくわけですから。
大人視点では残酷モノです。
しかし、実際には園児に大ヒットしてしまいます。
いつも貸し出し中となってしまうほどの人気になってしまったために、もっと頭身を幼児向けのルックスに直した続編「それいけ!アンパンマン」シリーズを描き始めることになります。
そうやって、絵本が本格的に売れ始めたのが1980年頃。
その頃、やなせは既に60歳を超えていました。
88年にアニメ化したときも、最初は売れない時間帯で開始イベントもスポンサーも無く、しかも関東限定でした。
しかしすぐに人気番組になって全国放送が始まり、現在に至ります。
実に遅咲きの人生でした。
ところで、やなせの功績は色々と言われていますが、私が個人的に考える一番の功績は、
「幼児グッズからディズニーを駆逐したこと」
だと思っています。
アニメのアンパンマン登場以前は、幼児向けキャラというものが、国産では基本的にはありませんでした。
比較的近いドラえもんは、せいぜい小学校低学年までです。
もっと下の未就学児向け、特に三歳以下向けの服では、名のあるキャラといえば「くまプー」がほぼ唯一だったのです。
ミッフィーなどの他の外国勢キャラも確かにありましたが、ほぼ「くまプー」席巻状態でした。
それが今や、赤ちゃん服やスタイも、「文字を学ぼう」レベルの本も、ゲームコーナーの幼児用筐体も、アンパンマン一色です。
日本のキャラクター界における、最後の外国勢を倒したヒーローがアンパンマンではないか。
私は、そんな解釈をしています。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義