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あすなろ200 日本の歴史と天皇

2018年7月3日投稿

 

 

 

2018.06号

 

「天皇制」という言葉があるようです。

用例は、「天皇制反対」「天皇制廃止」など。

ここからも分かるとおり、これは日本の天皇が気に入らない人達が使う用語です。

 

と書いてはみましたが、本当は、こういう言葉は日本に存在しません。

いや、存在しないって言われてもここにあるじゃん、と言われるかもしれませんが、でも、無いんです。

 

というのも、日本に天皇がいるのは、制度で定められたわけではないからです。

「天皇制」と言う以上は、きっと「国が定めた天皇という制度」と言いたいんだろうと思いますが、この考え方は根本的に間違っています。

 

国が決めたから天皇がいるのではありません。

日本国の法に従って天皇家があるわけではありません。

 

天皇があるから、日本があるのです。

 

仮に今、天皇が後継も含めて全ていなくなったら、日本国は日本国ではなくなります。

国の名前も、別のものになります。

例えば日本共和国とか。

その後は、現在の政府は一旦全て無くなって、全く新しい政府を建てて、憲法を一から作るところから始まることになるでしょう。

国旗も国歌も国鳥も国花も……全ての物を、一から作り直すことになります。

 

どうしてそんなことになってしまうのかというと、日本国の政治はあくまで、天皇に運営を委任されているものだから、なのです。

だから、依頼主の天皇がいなくなったら、今の政府は存在意義が無くなるのです。

要は、

「本当の政治の頂点は天皇だけど、実際の運営は君らに任せるわ」

というのが、日本の政治なのです。

 

実際に、新しい内閣総理大臣が決まったときには、必ず天皇に任命される「式」が執り行われます。

天皇が、「政治は君に任せた」と示す儀式です。

 

また、年の最初の国会では、天皇が国会議事堂に行って開会宣言をします。

天皇の開会宣言がないと、日本国の政治は始まりません。

国の運営権が天皇にあるからです。

 

すごい国でしょ。

 


こんな話は、これまで何回か授業で話したことがあるので、聞いたことがある生徒もいると思います。


 

さて、日本の歴史だけを見ているとあまり感じないかもしれませんが、国を統治する政府には、時に「正統性」を求められます。

 

例えば今、なんだか怪しい白人がやってきて、「今日からこの国は、ワターシタチが治めマース」とか言われても、「いやお前ら外人だろ」となりますよね。

または、突然首相が撃ち殺されて、撃ったやつが「ついに倒したぞー! 俺が首相だー!」とか叫んでも、普通は誰もそんな奴を首相とは認めませんよね。

なぜかというと、そんな奴らは正統な跡継ぎとして、国民に認められないからです。

 

しかし世界の歴史上では、これまでこんな話が、各地で実際に起こってきました。

 

そんな時の新しい統治者は、そこの国民に認められるように、とにかくがんばって我こそが正しい跡継ぎだという理屈をひねり出します。

これが「正統性」です。

例えばちゅうご……チャイナの歴史がいい例です。


中国地方と区別するには、こんな書き方しかないんですよ。

昔の「支那」という言葉を復活して欲しいです。


 

ご存じの通りチャイナは、王朝が興っては滅ぼされて、を繰り返してきた、「ルール無用」の殺し合いの歴史です。

 

日本も確かに、平安、鎌倉、室町などの転換点では殺し合いをしていますが、ルール無用というわけではありません。

根本的に違うのは、あくまで「天皇の臣下同士の争い」のレベルにとどまっていることです。

 

鎌倉幕府を立てた源頼朝は、「権力は(形の上では)朝廷だが、実務は幕府」という形式を作り上げました。

 

室町幕府を立てた足利尊氏は、時の後醍醐天皇を追放しましたが、殺しはしませんでした。

また、その後に光明天皇を立てて、征夷大将軍に任命してもらっています。

そもそも、征夷大将軍とは、朝廷が定めた役職の1つです。

あくまでも、天皇の臣下だったのです。

 

豊臣秀吉は、日本の歴史上で恐らく最大の財力と軍事力を持った人ですが、最終的に得た位は関白で、やはり天皇の臣下でした。

 

徳川家康はというと、朝廷の書物をひっくり返して、形骸化している「源氏頭」という位を探し出して、それを譲り受けることで秀吉の子よりも高位につくことができました。

やはり、現行ルールの中で、何とかしようとしたわけです。

 

しかし、チャイナの場合は違います。

今の政府がダメだ、となったら軍を編成して、その首都を攻略します。

統治者が逃げ出したら、追いかけて殺します。

我が国の足利尊氏は後醍醐天皇を追放しただけですが、チャイナでは殺します。

 

そしてその後は、全く新しい法律の、全く新しい国を建てるわけです。

それまでのルールは全てぶち壊しが前提ですので、「ルール無用」と呼んだわけです。

 

ともかく、そうやって国を建てるわけですから、国民にも「俺のやっていることは正しい」ということを認めさせる必要が出てきます。

そのために一番簡単なのは、「俺は天に認められて国を建てたのだ」説を作ることです。

そしてもう一つ必要なのが、「これまでの国の正統な後継者である」という理屈です。

これが正統性です。

 

チャイナでは、新しい王朝が建つ度に、直前の王朝の歴史を編纂しています。

前王朝の跡継ぎを自称する以上は、「先代」がどうやって興って、どう栄えて、しかしどこから間違えて滅んだのか、誰もが確認できるように作り上げる必要があるのです。

 

そして、その書物こそが、その王朝の基本資料となります。

聖典と言ってしまってもいいかもしれません。

「この通りわが王朝はここに正しく存在するのだ」と、国民に認めさせるのです。

 

日本に話を戻します。

 

日本でも、古墳時代まで遡れば、各地の豪族がそれぞれ「王国」を作っていました。

これを武力もしくは話し合いで各地を制覇していったのが、今で言うところの天皇家率いる大和朝廷でした。

 

大和朝廷も、自らの系譜を度々まとめていたようです。

620年、聖徳太子と蘇我馬子の指示で「天皇記」と「国記」が編纂されました。

681年にも「帝紀」と「旧辞」が編纂されています。

(※ 以上の書物は現存していません)

 

そして、この4つの書物を基にして、天皇家の正統性を確認するためにまとめられた書物が、720年に作成された日本書紀です。

 

何に対して正統性を主張するかと言えば、神です。

先に書いた、「天に認められて国を建てた」説ですね。

 

日本書紀とほぼ同時に編纂された、古事記という書物もありますが、あちらの目的はどちらかというと、これまで伝わってきた歴史の一本化です。

登場する神の名前の書き方からして、個人的には日本各地の神を一本化したかったのではないかと思っています。

 

日本書紀も古事記とほぼ同じストーリーなのですが、日本書紀の方は、初代以降の天皇の話がもう少し詳しくなって、各氏族の話にまで言及されています。

これによって、氏族と天皇の、歴史上の関係を示したかったようです。

 

そしてその日本書紀の記述に従って、天皇と貴族の位が決まり、そのルールのまま、日本の歴史はずっと続いてきています。

基本はずっとそのままです。

 

それから1300年以上経った現在、日本国の政治形態は、やはり日本書紀を基本としています。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義