2019年2月
あすなろ164 寿司(過去記事)
2015.06号
その日の朝倉は、ちらし寿司が猛烈に食いたくなったわけです。
しかし、重大なことに気付いてしまいました。
そういえば、ちらし寿司って、どこに行けば食えるのだろうか……。
そんな話をカミサンとしていて、そこでさらに気付く事実。
「この辺って、ちらし寿司ってないよね」
「いや、あるよ」
「寿司の上に刺身がみっしり詰まっている奴をちらし寿司と呼んでる店なら知ってるけど、そんくらいかなあ」
「いや、ちらし寿司ってそういうのでいいんじゃないの? なんか別に違うちらし寿司があるわけ?」
なんと、「ちらし寿司」という料理がどんなものなのか、夫婦で共通認識ではないことが判明したのです。
私の考える「ちらし寿司」は……
酢飯
シイタケ、レンコン、ニンジン、エンドウあたりの煮染め
錦糸卵
を混ぜ込んであるもので、そこには刺身はおろか、海産物はひとつも入っておりません。
強いて海産物の具を挙げるとしたら、海苔くらいのものです。
これを書きながら、そういえばどこかの店で、これに近い物にイクラを乗せたものを見たことがあるなあ、なんてことを思い出しました。
しかし、私の知る正統派「ちらし寿司」には、イクラもありませんでした。
そもそも「ちらし寿司」というものはですね、
花見などで、桶のまま風呂敷に下げて持って行って、現地でよそっていただくもの
などという食べものなのです。
運動会でも、寿司桶でお弁当、なんてのがありましたよね。
ですから、刺身だのイクラだのという生ものが乗っているはずがないんですよね。
イメージ的に、こんな感じです。
ところが、そういった私の考える「ちらし寿司」は、どうやら、関西風の呼び方なのだそうです。
関東式と区別するために、「五目ちらし」「五目寿司」という呼び方もあるようですね。
「ばら寿司」と呼ぶ地域もあるそうです。
元来「ちらし寿司」とは、元々は酢飯の上に刺身をちらしたもの……
つまり、関東近辺で見る「ちらし寿司」を指す言葉なのだそうです。
そうでしたか。
私は母親が大阪出身で、父親もしばらく京都にいたことがあったために、いつの間にか関西風の呼び名で覚えたのかもしれません。
ちなみにウチのカミサンは神奈川育ちです。
なお、関東で「ちらし寿司」と呼ばれる刺身みっちりのアレ――私に言わせれば「海鮮丼」――は、愛知県の寿司屋では「ばくだん」という名前で出されています。
アレを「ちらし寿司」と呼ぶのは、やはり関東ローカルなルール……なんだと思うんですけどねえ。
もう少し言ってしまうと、そもそも酢飯に刺身をちょいと乗せるだけの、いわゆる握り寿司は「江戸前寿司」であって、要は「江戸地方の寿司」です。
つまり、酢飯に刺身を乗せるだけという形式自体が、元は異端だったはずなのですが。
関西では伝統的に、江戸前よりも押し寿司の方が親しまれています。
「バッテラ」や「鯖寿司」は、典型的な関西風の押し寿司です。
関西以外でも、北陸の方の「鱒寿司」は、やはり押し寿司ですよね。
私の母親のさらに親は奈良出身ということもあって、子供の頃には何度か、奈良名物の「柿の葉寿司」を作ってもらったこともあります。
柿の葉寿司も、やはり押し寿司です。
そんなわけで、私は押し寿司が結構好きなのですが、10年くらい前までは、関東では「日本各地の名店フェア」のような所でしか見かけることはありませんでした。
しかし数年前から、コンビニで鱒寿司が売られるようになったので、いつでも食べられるようになって嬉しい限りです。
まあそんなふうに、地域によって呼び名が変わってしまうほど、寿司にはバリエーションがあるわけです。
これは、寿司という食べ物の歴史が長くて、日本に深く根付いている故に起こってしまった現象なのだと解釈しています。
それにしても、寿司と言えば今では、世界的にはすっかり日本食として有名になっています。
しかし、確かに魚を生食するのは日本だけかもしれませんが、酢飯の素になる米も酢も、アジア一帯で普遍的な食材です。
それなのに、これを組み合わせた食文化を作ったのは日本だけ、というのも不思議なものです。
しかし寿司の原型は、日本以外にあるのです。
東南アジアで、魚を長期保存するために、米や塩と一緒にして乳酸発酵させる、という方法が発明されました。
乳酸発酵とは、乳酸菌の働きによって、タンパク質を保存の利く状態に変化させることです。
ヨーグルトを作る菌も乳酸菌です。
そんな発酵食品は、その後東アジア各地に広まっていきました。
例えば中国、台湾、カンボジア、フィリピン、タイなどでは、今でも伝統料理として残っているとのことです。
同様に日本にも、東南アジアから南西諸島経由で伝わってきました。
この料理は、日本では「熟れ鮨(なれずし)」と呼ばれています。
これがいつごろ伝わってきたのかは不明ですが、奈良時代にはすでにあったようです。
平安時代の調(租・庸・調のアレね)の記録によれば、当時の西日本各地には、何種類かの熟れ鮨があったことがわかっています。
この熟れ鮨、ヨーグルトと同じ菌が作るというところからも想像できると思いますが、こうやって発酵させた魚は、酸っぱくなります。
他の国では、この酸っぱくなった魚を、主にスープや炒め物の具として使うということです。
すると、とても良い味が出て旨いのだそうです。
昔の日本人も、最初は同じように調理して食べていたのかもしれません。
しかし室町の頃から、日本では魚を発酵させる「漬け床」として入れた米までも、一緒に食べるようになってきました。
これは例えれば、ぬか漬けのぬかを喜んで食べているようなものです。
もちろん食べられるものですから食べてもいいのですが、まあ何というか、ケチというか意地汚いというか、おかしな民族ですね。
そして江戸時代になると、酢が単体で製造されるようになります。
こうなると、米を一から乳酸発酵させるのではなくて、いきなり酢をかけて短時間で酢飯を作ることが可能になります。
きっとそこから、酢味の魚にこだわらない、様々な寿司文化が花開いたのでしょう。
酢飯を素材とした巻き寿司、押し寿司が生まれたのは、恐らくこれ以降だと思われます。
そしてさらに、究極の早作り法として発明されたのが、江戸前のにぎり寿司です。
江戸前寿司は、最も近代的な寿司の進化形だと言えるわけですね。
さて。
外食で「ちらし寿司」を期待できないと悟った私は、「永谷園のすし太郎」を買ってきて解決したのでした~やった~。
でも、カミサンも子供達も、反応はイマイチなのです。
どうやらこの食べ物は、「寿司」というイメージに合わない模様。
食文化って、難しいですね。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
※2019.02追記
今、インターネットで「ちらし寿司」を画像検索すると、刺身と錦糸卵がごちゃ混ぜになったものが多数ヒットします。
色々な人の創作により、徐々にどっちという区別がなくなってきているのかもしれません。
また、「ひな祭りと言えばちらし寿司」という風習もあるらしいことを発見しましたが、これは知りませんでした。
なんせ男兄弟の我が家には、ひな祭り自体がありませんでしたので。