2019年3月
あすなろ208 家紋・紋章
2019.02号
自分の家の家紋を知らない人って、案外多いみたいです。
私は、小学生の頃から、自分の家の家紋は知っていましたし、意識していました。
しかし、小学6年生の頃だったか中学生の頃だったか、何かのきっかけで、同級生では家紋を知らない子の方が多いということがわかって、結構驚きました。
だって、お墓についてるよね?
もしかしたら、墓参りには滅多に行かないとか、滅多に行けないとか、子供は連れて行かないとか、そういう家が多かったのかもしれません。
我が家の家紋は、「丸に井桁(いげた)」です。
寺に納められた位牌を見る限り、厳密には「丸に組み井桁」のようなのですが、周辺の朝倉さんの位牌はみんな「丸に井桁」の中、ウチだけが「組み井桁」になっています。
しかもですね、黒い位牌がずらりと並ぶ中で、ウチの位牌だけが金色。
超目立つ。
丸に井桁
丸に組み井桁
私が思うに、我が家も元々は普通の井桁だったと思うんですよ。
それを、どうやらひいじいちゃんだか誰かが、「こっちの方がいいじゃん」ってノリで、「組み井桁」にしてしまったのだろうかと。
なんせただ一軒だけ金色の位牌を選んじゃうような人ですから、きっとそういう人で、そのあたりが真相だと思うんですよね。
家紋というのは、確かにその家の伝統なのですが、こういうことも起こり得ます。
だって、変えたらダメっていうルールがないんですから。
そもそも、戦国時代とか江戸時代とかまで遡(さかのぼ)ると、家紋を家来に与えたり、逆に家来から召し上げたり、朝廷から賜ったり、交換したり、分家は形をアレンジしたり、とまあ色々とあったわけです。
家紋をもらっちゃった結果、複数持ちになる場合もありました。
織田信長も、元々織田家に伝わる家紋以外に、趣味で使い始めたり将軍家からもらったり朝廷からもらったりした結果、家紋を七つ持っていました。
伊達政宗は十を超えていたとか。
現在、我が国の家紋は、伝統的なものだけでも五千以上あって、確認されているものは二万を超えているとのことです。
日本に於ける家紋の起こりは、平安時代のようです。
貴族が自分の牛車や調度品につけた自分マークが始まりのようです。
しかしそれが、敵味方を区別する旗印として使えると判明してからは、武家にとっては必須のものとなりました。
江戸時代になって合戦がなくなっても、「礼服は紋付き」という風習が庶民にまで広がると、農民だろうと誰だろうと家紋を持つ必要性が生じてきました。
こんな具合に、家紋は日本の文化には欠かせないものとして、どこの家にも普通は伝わっているわけです。
最初に、墓についているなんて例を挙げましたが、日本人ならきっと、キリスト教徒でも家紋は持っているはずです。
なんせ、日本の文化に組み込まれているものですので。
実際、家紋を研究している人は、同時に苗字も研究している場合がほとんどで、文化的には家紋は苗字と同じレベルで「当たり前のもの」と思ってもいいようです。
ところで、「家紋にはルールがない」というような書き方をしたのですが、厳密には全く無いというわけではありません。
例えば江戸時代は、葵の紋は徳川家以外は絶対に使用禁止でした。
「水戸黄門」で葵入りの印籠があれだけ効くのは、そんな理由なのです。
※ 葵の紋については、本多家の「立葵」だけは例外的に許可されていました。
三つ葉葵(徳川家)
丸に立葵(本多家)
※私の祖母は本多家出身で、家紋も立葵だったそうです。
また現在では、天皇家を表す菊花紋章が、国旗と同じ扱いとされています。
そのため、これに類似したデザインも含めて、商標登録を禁止されています。
十六八重表菊(天皇家)
十六菊(パスポートなど)
さて、家紋に類するものとしては、西洋諸国の「紋章」があるのですが、日本と西洋諸国以外の地域では現在、こういった文化はありません。
例えば、チャイナに建てられた国家では、皇帝の証として「五爪の竜」が好んで使われましたが、清を最後に途絶えています。
五爪の竜とは、四足に爪(指)が五本ずつある竜のことです。
皇帝以外には使うことは許されず、周辺国の王は四爪の竜を使うことが許されていました。
西洋の「紋章」は、日本の家紋と似てはいますが、同じではありません。
家紋は一家・一族の印ですが、紋章は個人の印として使われます。
ただし、家の印も組み合わされていますので、日本の家紋と通じる点もあります。
紋章とは元々、中世の騎士が、甲冑を着て顔が隠れても区別できるように、個人ごとに盾を塗り分けたのが始まりとされています。
その頃、日本では平安時代でした。
偶然、日本と同じ時代に、同じような目的で興ったのです。
また、紋章がさらに家紋と違う点は、細かいルールの存在です。
例えば、
・盾を中心として、その周囲に配置するものの位置と種類
・そこに使える色の種類
・その色同士の組み合わせ方
・家と家が婚姻関係を結ぶときにはその配置の組み合わせ方
などの規則が、かなり細かく定められています。
そして、同じ時代に別の個人が、同じ紋章を使うことは許されません。
(親の死後、親の紋章を受け継ぐことならできます)
各国には、このようなルールを管理するお役所も作られました。
イギリスには現在も「紋章院」という国王直属の機関がありまして、紋章を管理しています。
紋章院の設立は1484年。
日本では室町時代で、ちょうど銀閣が建てられた頃です。
すごいですね。
で、今回、これを書くにあたってその紋章のルールを調べてみたわけですが、いやあ、またこれが複雑で、読んでいても眠くなるばっかりでちっともわからないんですわ。
なんとか寝ないようにがんばって読んだ結果、まあ、部分的にはわかったのですが、全部をマスターするのは無理ですね。
ちなみに、日本語版ウィキペディアの「紋章学」の項目も、多分よく理解していない人が、英語をただ翻訳しただけのものを貼り付けたようです。
いや、ほんとこれ、そうだとしか思えません。
だって見てくださいよ、この文。
紋章のこの専門的な説明は、紋章の特定の描写において、たとえどんな芸術的な解釈がなされるかもしれなくても、厳守されなければならない標準である。
こりゃあ、いくらなんでもダメでしょ。
こんなの日本語とは認めませんよ私は。
では、紋章の例です。
この二つは、上はヘンリー王子、下はヘンリーと結婚したメーガン妃の紋章です。
下のメーガンの紋章の盾は真ん中から左右に分割されていますが、そのうちの左半分は、上のヘンリーの盾の模様をコピーして押し込んだものだというのがわかるでしょうか。
一方で右半分の青は、出身地のカリフォルニアを示すものだそうです。
盾の左には、ヘンリーを守るライオンが受け継がれています。
また、右側の鳥はメーガン自身を表しています。
今回は、メーガンさんの家に紋章がなかったのでこれで済んでいます。
しかしこれが王家同士の婚姻ですと、このヘンリーのような紋章同士が二つ組み合わさって、さらに細かい模様となっていきます。
そうやって受け継がれていった結果、次のハプスブルク家のような、非常に複雑な紋章ができあがることがあります。
しかしその代わり、複雑になったこの細かい紋章を調べていけば、これまでにどこの家とつながってきたのか、その歴史がわかります。
つまりこれは、家系図のようなものだと言えます。
このような紋章を調べるのが、上でwikiの変な直訳をご紹介した「紋章学」です。
紋章については、今回詳しく書かなかったルールがいっぱいあります。
一応の概要と、あといくつかのルールは理解したのですが、今回は書き切れませんでした。
調べていくと面白いみたいですよ。
眠気に強い方は。
一方、日本の家紋については、学生の頃にもそんな本を何冊も買ったことがあるのですが、こちらは本当にキリがないですね。
そういうわけで、家紋はそこそこ知っている方だという自信はあったのですが、今回色々と調べていくと、まだ知らない家紋がいっぱい見つかりました。
ちょっと悔しい。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
あすなろ168 きのこ(過去記事)
2015.10号
以前書いたことがありますが、私は文を書く際に、動植物名を科学として書く場合は片仮名で、文化や生活として書く場合は平仮名もしくは漢字で書いています。
例えば、
「庭に近所の猫が入ってきた」
「ネコの仲間は爪を格納できるが、チーターだけは格納できない」
などなど。
他にも、片仮名を平仮名を意図的に使い分けている言葉はあります。
例えば、我が家という意味の「うち」は「ウチ」としていますし、自動車という意味の「くるま」は「クルマ」としています。
なんでかって言われても、たいした理由ではないのですが、
「漢字では本来の意味から外れるが、さりとて平仮名表記すると文に紛れて読みにくいから」
といったところでしょうか。
どうでもいいことですのでダラダラ書くのはヤメにしますが、←この文のように漢字が少ない文は、「ダラダラ」「ヤメ」を片仮名表記することで、メリハリが効いて読みやすくなります。
片仮名、便利ですね。
さて、そんな風に片仮名を使い分けている私ですが、最近、片仮名と平仮名で別のものをイメージしてしまう単語を発見しました。
えのき
エノキ
皆様は、この二つを読んで、何を連想しますか?
私の場合、前者はエノキダケというキノコ、後者はエノキという樹木を連想します。
自分でも無意識に、先に書いた「平仮名は文化生活ジャンル」という俺ルールが適用されていたなんて、本当にびっくりです。
木なんて連想しない?
まあそういう人の方が多いでしょうね。
でも下妻の人なら、エノキはオオムラサキの幼虫の食樹(エサ)だということを知っていてもいいと思います。
オオムラサキ(シモンちゃん)
日本の国蝶とされています。
キノコといえば、他にもマツタケ、シイタケ、エノキダケなどがありますが、この名前はそれぞれマツ、シイ、エノキの木と関係あります。
マツタケはマツに生えますし、シイタケはシイに生えます。そしてエノキダケはエノキに生えます。
ところが上記三種のうち、シイタケとエノキダケは倒木から生えるのですが、マツタケは生きた木からしか生えません。
ですから、シイタケとエノキダケは、栽培用の原木さえあれば狭い場所でも量産が容易に可能となるのですが、マツタケは生きた松、つまり松林が無いと「生産」できません。
マツタケの価格が高いのは、そういった理由です。
しかし終戦直後の頃までは、マツタケといえば比較的安いキノコでした。
マツタケが良く生えるためには、アカマツの木の根元付近がきれいに掃除されている必要があります。
そして当時は、松葉や松の枝を燃料などとして利用していたために、マツタケの生えやすい環境が常に整っていたのです。
アカマツの木自体も、旧街道沿いには松並木として残っていたり、未開発の松林が各地にあったりして、ありふれたものでした。
しかし近年、松林が切り開かれたり、松並木が病害虫によって枯らされたりした結果、マツタケが希少なものとなっていったわけです。
一方で、シイタケは昔からずっと、日本で最も愛されてきたキノコと言えるでしょう。
現在でも、日本で最も出荷額が高いキノコとなっています。
なお、和食で出汁といえば、鰹節、昆布、干し椎茸の三つが代表で、はるか昔から精進料理に欠かせない食材でした。
ところが、現在のように原木に菌を植え込む栽培法が確立したのは、昭和になってからの話です。
それまでは、ほとんどが天然物でした。
江戸時代には、原木を用意して天然の菌が付くのを待つ、という栽培方法もあったようで、藩の事業としても行われていたようです。
エノキダケは、出荷額はシイタケに負けるものの、現在は出荷量が最大のキノコです。
なのですが、こちらをご覧ください。
はい、エノキダケです。
……マジっすか。
実は、天然のエノキダケは、こんな立派なキノコだったのです。
では、あの売っている白い細いのはなあに?というと、アレはエノキダケの「モヤシ」なのです。
どうやら、暗いところで育てると、ああいう色形になるんだそうです。
いやあ、びっくりですね。
食用のきのこといえば、他にもマイタケ、エリンギ、ナメコ、シメジなどがあります。
中でもシメジは、
「昔、『味しめじ』という名前で売っていたのは、実はヒラタケ」
「その後、『ホンシメジ』という名前で売っていたのは、実はブナシメジ」
「名前の由来はかつては『湿地』からだと国語学者が書いていたのを『そうじゃない、占地だ』と主張したのは、かの牧野富太郎」
「『香りマツタケ味シメジ』というのは、かつては高価なシメジが買えなくて安価なマツタケで我慢した庶民の負け惜しみか」
……など、面白い逸話の多いキノコなのですが、今回は割愛します。
そんなわけでスーパーに並ぶきのこ達ですが、きのこって、野菜……ですよね……。
野菜の定義を求めて、辞書を7つほど引いてみました。
そのうち5つには、「食用とするために畑などで育てる植物」などとなっていまして、残り2つは「植物」という言葉の代わりに「草本」という言葉が使われています。
植物かあ……。
またこの問題に来ちゃったなあ。
分類学上は、キノコは植物とは言い切れないんですよねえ。
それならば、お役所に聞いてみることにしましょう。
日本政府さまこんにちは。
総務省の「日本標準商品分類」を見てみました。
こちらでは、きのこは穀類・肥料用作物・野菜・花木・樹木のいずれにも入ってなくて、別項目として扱われていました。
やっぱりアレは、野菜とは別扱いなんですね。
一方、農林水産省の統計情報でも、野菜の中にきのこの名はありません。
どこなのか探しまくった結果、「特用林産物」という項目が。
開いてみると、しいたけ、なめこ、たけのこ、くり、わさび、ぜんまい、木炭……。
きのこ栽培は、林業でした。
林業!
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義