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HOME雑記帳(あすなろ)あすなろ213 デニム・ジーンズ;その2
2019.07号
前回(あすなろ212)の続きを書きます。
まずは、前回のおさらいから。
・ 中3英語の教科書にある
「ヨーロッパからアメリカ経由で伝わり、倉敷で独自の進化を遂げたデニム」
という記述が、ウソっぽい気がして調査開始。
・ 朝倉「デニムってのは染料のことだろ」
→残念。本当は織物の種類のことでしたー。
・ 朝倉「ジーパンは最初キャンバス生地で作ったけど途中から青くしたんだよな」
→残念。本当は最初から青いデニムとキャンバスの二本立てでしたー。
と、まずはここまでです。
……いや、もうちょっと書きますか。
いわゆるジーパンは、ゴールドラッシュ時代のアメリカで、「とにかく丈夫な作業ズボン」として登場しました。
最初に作ったのはリーバイさんという方で、これがリーバイスの始まりです。
てなところでしょうか。
で、そのまま粛々と、ジーパンの歴史の続きを書いていこうかと思ったのですが、前回参考にしていたウェブサイトが見つかりません。
代わりに、リーバイス公式と思われるPDFファイルが見つかりました。
ご丁寧にコピーガード付きですので、恐らくガチです。
前回読んでいたサイトは、どうもご自分で当時の資料をあたって調べまくったようでしたのでかなり信用していたのですが、今回はなんせ公式です。
こっちを信用することにしましょう。
例えば。
ジーパン生みの親の仕立屋さんが、最初にリベット止めを考案した時の話では、前回参照にしていたサイトでは、
「顧客リストを見ると木こりが多かったようだから、恐らく木こりに依頼されて作ったのだろう」
などという書き方がしてあったのですが、リーバイス公式のPDFでは
「注文主は体の大きな木こりで」
と明確に書いてあります。
すごいなあ公式。
でも先月はこのファイルは見つからなかったんですよね。
インターネットの不思議です。
1800年代のリーバイスの広告
股にもリベットがあった。
しかし焚き火に当たっていて股のリベットで火傷をした社員がいたため、廃止された。
んなことはともかく、もう一つ訂正です。
前回、
「初期のジーパンは、生地の種類が『ジーン』と『デニム』の二本立てだった」
なんてことを書いたのですが、これもまた少々違うらしいです。
『キャンバス』と『デニム』が正解だそうです。
また、ジーンズという商品名は、実はもっと以前にリーバイさんが売っていた安物のズボンの名称なのだそうです。
ですから、リーバイさん的にはこの名前では呼んで欲しくなかったらしいのですが、定着しちゃったんだそうで。
生地の話のついでにちょっと。
ネット上ではあちこちに、
「デニムのインディゴには虫除けの効果があったので、炭鉱夫に好まれた」
なんて書かれていますが、これは完全なデマです。
まず、当時のデニムは完全にアメリカ国内製で、染料には天然のインディゴなんてとっくに使われていませんでした。
虫除け云々は、もっと昔のお話です。
さらに、デニムが好まれたのはそんな理由ではなくて、キャンバスよりも着心地が良い上に丈夫だったからです。
とにかくそうやって、作業着としてデビューしたジーンズでしたので、その後も
「こんな職業にも使えます」
「子供服としても長持ち」
という、丈夫で長持ち路線で売っていたのでした。
しかし世界恐慌が終わった1930年代、リーバイスは、ジーンズとカウボーイのイメージを結びつけようという作戦に出ます。
そしてそれを見てか、ハリウッドも、西部劇の量産を始めました。
その結果、西部劇に登場する俳優は、誰もがリーバイスのリベット付き501を履いて馬に乗っているのです。
すると当然、西部劇を見た観客がリーバイスを履き始めるわけです。
ここから、作業着だったジーンズが、ファッションになったのでした。
言ってみれば、コスプレみたいなものです。
これをきっかけとして、リーバイスはファッションアイテムとして流行を始めます。
その次の出来事は、ある大学の中で起こりました。
先輩が後輩に、「1年生は501禁止」と言って優越感にひたろうとするくらい、501が流行したのです。
これが、第二次世界大戦前夜のあたりです。
そして大戦中は、ジーンズの流行はピークに達しました。
「LEVI’S TODAY」=「リーバイス本日入荷」
あまりの人気のため、アメリカ全土で品薄になった結果、割当制となっていた。
画像中にある通り、1944年(終戦前年)
そんな大流行していた頃に終戦です。
日本に進駐した米軍は、そりゃあもう誰もがリーバイスを履いているわけです。
日本語の「Gパン」は、どうやらこの頃に言葉が生まれたようです。
GパンのGはGIからという説は、どうやら正しいようですね。
また、終戦から約十年経った50年代には、今度は別の流行が生まれます。
映画「理由なき反抗」で、大人に反抗する若者を演じたジェームス・ディーンはジーンズ姿でした。
映画「乱暴者」で暴走族を演じたマーロン・ブランドは、革ジャンにジーンズでハーレーに乗っていました。
ここから今度は、
「ジーンズ」=「大人に反抗する若者」
というイメージが生まれます。
アメリカでは一時期、「ジーンズは不良が履くもの」ということで、ジーンズ禁止令があちこちの学校から出されたくらいです。
その次の60年代においては、高度成長期となった日本において、国産のジーンズメーカーが次々と誕生します。
アメリカに憧れる団塊の若者は、誰もがジーンズを履きました。
ヒッピーはジーンズでした。
学生運動もジーンズでした。
日本にジーンズが本格的に定着したのは、この頃からです。
さらに、「日本伝統の藍染めの糸を使ったデニム」という、日本オリジナルのジーンズが登場したのもこの頃です。
こちらは倉敷の会社が作ったので、「桃太郎ジーンズ」と名付けられました。
ではこの辺りで、前回の最初のネタに戻ります。
中3英語の教科書の
「ヨーロッパからアメリカ経由で伝わり、倉敷で独自の進化を遂げたデニム」
という言い方は多分、正しいと言っていいでしょうね。
すんません。
もうちょっと詳しく解釈すると、
「フランス伝統のデニム織りがアメリカのリーバイス経由で日本に伝わって、倉敷のメーカーが日本の藍染めと融合させたデニムを作り出した」
という意味だということがわかります。
まあ、私も色々と勉強になりました。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義