2020年2月
あすなろ218 擬態-1 カモフラージュ
2019.12号
きっかけは、何かの漫画だったかと思います。
「人間に擬態して人間社会に生きる異生物」という、まあ最近ではすっかりありがちになってしまった設定の話を読んでいて、そういえば、そういう擬態って実際にもあるのかなあ、なんて思ったわけです。
ただ、その前にちょっと、擬態という言葉の定義から確認したいんですよね。
この言葉って一応生物学用語ではあるのですが、何気に曖昧なのです。
まず、擬態というと、大きく分けて二種類に分けられます……が、えーと、皆様としては、「擬態」という言葉から、まずはどっちのパターン思い浮かべますか?
はっぱにそっくりなコノハチョウ
ハチにそっくりなトラフカミキリ
日本語としては、どっちも擬態で正解なんですけど、この二つは方向性が全くの逆です。
コノハチョウの姿は、景色に溶け込んで隠れるためのものです。
しかしトラフカミキリは、むしろ目立つためのものです。
ですが、色も形も何かにそっくりに化ける、という点では共通で、それを指す言葉が擬態です。
ここで重要なのは、形まで化けているという点です。
色だけでは、普通は擬態とは言いません。
せいぜい「保護色」ですよね。
エゾユキウサギ(保護色)
しかし、ただ色が変わるだけでも、変わり方によっては擬態と呼んでもいいような例もあります。
砂にそっくりなヒラメ
(一応これでも色だけ)
さらには、こんな例もあります。
タコでーす
タコの場合は、色だけではなくて、表面の凹凸を自在に作り出すことによって、周囲に完全に紛れることができます。
こうなると、擬態と呼んでもいいと思います。
さて、擬態擬態と書いてきましたが、国語辞典的な定義によると、ヒラメもタコも「擬態」からは外れてしまうようです。
では代わりに何と呼べばいいかというと、それがですね、ちょうどいい言葉がないんですよ。
周囲に身を隠すといえば、日本には忍者という素敵な前例があります。
技術としては、五遁の術と呼ばれる隠れ方があるのですが、そういった行為をうまくまとめた言葉がないんですよね。
(五遁とは水遁、木遁、土遁、金遁、火遁の五術のこと)
一応、学術的には隠蔽(いんぺい)という言葉を充てることもあるのですが、これを辞書で引くと、「覆い隠すこと」なんです。
何か別のものを被せて隠すことで、しかも「隠れる」じゃなくて「隠す」なんですよね。
さらには、都合の悪いものを隠すときにも使われます。
類義語としては、隠匿(いんとく)という言葉もありますが、こちらも「密かに隠すこと」であって、「隠れる」わけではなくて「隠す」です。
ですから個人的には、隠遁という言葉を提案したいのです。
これでしたら、「隠す」ではなくて「隠れる」です。
ただ、普通は隠遁といえば俗世を離れてなんもない所に籠もって暮らすことを言いますので、これもまたピッタリこない言葉だったりします。
うーん。
と、なんでこんなくだらないことを延々と書くことになってしまうかと、日本語には
「カモフラージュcamouflage」
にあたる言葉がないからなのです。
最初のコノハチョウも、ウサギもヒラメもタコも全部、英語で言うところの「カモフラージュ」です。
それに対して、ハチそっくりのカミキリは、カモフラージュではありません。
こちらが、国語辞典が言う所の「擬態」でして、英語では
「ミミクライmimicry」
と言います。
この言葉の元々の意味は「物まね」です。
mimicryの例
毒のあるチョウに似せた無毒なチョウ
RPGではすっかり有名になってしまった宝箱モンスター「ミミック」の名前は、ここから来ています。
もちろん、ポケモンの「ミミッキュ」も同じです。
ドラクエのミミック
この姿を確立させた鳥山明は天才だと思う
ミミッキュ
いつもお世話になっているウィキペディア君によりますと、隠れる方の「擬態」には
「隠蔽的擬態mimesis」
なんて言葉が紹介されています。
確かに、生物学の用語辞典を見てもそう書いてあります。
でもですね、擬態に対してmimesisなんて言葉は、普通の人は使わないんですよね。
同じウィキペディアの英語版を見ればすぐにわかりますが、「mimesis」という項目を見ても、プラトンとアリストテレスとデイオニソスの話しか書いてありません。
つまり、
隠蔽的擬態(生物学)
↓
英訳
↓
mimesis
↓
和訳
↓
模倣(西洋哲学)
となってしまうわけです。
これって、どうなんでしょう。
ところが、英語版ウィキペディアにカモフラージュcamouflageと入れてみると、隠れる方の擬態の話が大量に書いてあります。
つまり、英語圏の人にとっては、隠蔽的擬態はcamouflageの一種なのです。
しかし一方で、同じ言葉の日本語版に移動すると、軍事用語としてのカモフラージュの話しか記述がないんですよね。
……まあ、いいんですけどね。
1ページ丸々作り直すほどの意欲もありませんし。
そうそう。
隠れるといえば、こんなのもあります。
ゴミグモ
このクモは、自分の網に食いカスを並べたゴミの帯を作って、そこに隠れています。
ゴミグモの面白い点は、元々あった周囲の自然物に紛れようとするわけではない所です。
紛れるための環境を、自分で作っちゃうのです。
さあ、こういうのは、果たして擬態と言えるのでしょうか。
英語でいう所のカモフラージュであることは間違いないのですが。
特殊な隠れ方をする例は、クモや昆虫にはまだまだたくさんあります。
ゴミを背負ったクサカゲロウの幼虫
元々はこんな虫
クサカゲロウの幼虫は、落ちているゴミを拾って、背中に積み上げていきます。
強いて言えば、ゴミに擬態しているというわけでしょうね。
なんでもかんでも拾うので、虫の死体とか抜け殻とかが積み上がっている例もあります。
画像検索で「Chrysopidae larva」と入れると、色んなものを背負った画像が出てきて面白いです。
コガネグモ(幼体)
コガネグモの幼体は、網に白い帯をX字状につけて、それに足を沿わせて待機しています。
それで本当に隠れている効果があるのかはよくわかっていないのですが、隠れているとしたら、一応これもカモフラージュにあたると思います。
ところで、哺乳類や魚類など、脊椎動物の体色は腹側が白っぽい場合が多いのですが、それもカモフラージュ効果があると言われています。
光は上から当たりますので、下側が影になります。
そこで、日が当たる部分を暗い色に、日陰の部分を明るい色にしておけば、遠目にはベタ一色に見えて、動物のシルエットが消える、というものです。
画像はウグイスですが、絵で描くと腹が白い鳥も、野外ではそうは見えないという例です。
このような効果は、カウンターシェーディングcountershadingと呼ばれています。
これもカモフラージュの一種です。
チーターのノドの白い毛も、強い日差しの下で見ると……
えーと、まったく本題に入れないのですが、字数がたいぶ増えてきましたので、今回は一旦ここまでにします。
続きは次号にて。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
続き
その2→擬態-2 特殊なカモフラージュ
あすなろ187 一休宗純
2017.05号
いつだったか、授業で室町時代の話をしたときに、
「一休さんもこの時代」
と言ったら
「は? 誰それ」
というような反応が返ってきたことがあります。
あれは中3だったかな。
昔はですね、「一休さん」というアニメが、もう延々と放映されていたんですよ。
いつものウィキペディア様によりますと、1975年から1982年まで全296話ということですから、相当なものですよね。
※ イマドキのアニメは、基本的に1クール12話くらいで一旦切っています。
※ プリキュアなどの人気アニメでも、1年4クール50話前後で終了です。
それはともかく、今時の若者はもう知らないのかなあ、しょうがないのかなあ、とも思ったのですが、本は結構色々と出ていますし、やっぱりそのくらいは知っていて欲しいなあと思ったので、書きます。
一休さんといえば、「とんち小僧」としての一連の話が有名です。
中でも特に有名なのは、「このはし渡るべからず」と「屏風の虎」の二つでしょうか。
橋の前に「このはし渡るべからず」と書いた札を立ててあるのを見て、
「はし(端)がダメなら真ん中を渡ればよい」
と渡ったという話です。
聞いたことないですか?
もう一つは、足利義満が
「屏風の虎が夜な夜な抜け出して暴れるので、退治してくれ」
と言うと、
「では退治するので、屏風から虎を出してくれ」
と返したという話です。
そんな一休さんとは何者なのか、という出自は、明確に書かれた書物が残っておりません。
しかし、実は後小松天皇の落胤(らくいん=落とし子)だということが、当時から公然の秘密だったようです。
室町時代といえば南北朝時代から始まるわけですが、最後は足利義満により、北朝主導で合一に成功します。
その時、北朝側に即位していた天皇が、そのまま合一された朝廷の最初の天皇となります。これが、先に書いた後小松天皇です。
ちょうどその頃、後小松天皇の側室の一人が身ごもっておりました。
しかし、この側室が南朝と通じているという噂が立ったため、この側室は、朝廷から離れて子を産みます。
その子が千菊丸、後の一休でした。
そのようにして産まれた子ですので、政治闘争に巻き込まれないために、6歳で臨済宗の安国寺に出家に出され、周建(しゅうけん)と名付けられます。
当時はこれが一番良い方法でした。
アニメの一休さんは、この安国寺時代の話ですので、厳密には「一休さん」じゃなくて「周建さん」が正解なんですけど、まあいいや。
幼い頃からかなりの詩才を発揮した周建ですが、当時は様々な理由で出家に出された貴族の子が沢山いましたので、出自の自慢をする小僧が多く、周建はそんな欺瞞(ぎまん)だらけの世界に反発するようになってきました。
僧界の出世権力争いに嫌気がさした周建は、幕府の庇護する安国寺を17歳で出て行って、ボロ寺に住む謙翁宗為(けんおうそうい)和尚に弟子入りします。
ところで、臨済宗では、師によって公案という問題を出されて、これを座禅して考えることで悟りへと導かれます。
そして最終的に、師に悟りを開いたと認められると、その証である印可(いんか)を与えられて、弟子を持つことが許されるようになります。
弟子達にとっては、この印可をもらうことが、修行の最終目標となっていました。
ところがこの謙翁和尚は、上級クラスの寺の住職から何度も、印可を与えるので跡を継いで欲しいと言われていたのを断り続けて、一人で清貧な暮らしをして、托鉢で食いつなぐ生活をしているという人でした。
一休も謙翁の元で貧乏暮らしを続けた結果、3年後には、もうお前に教えることは何も無いと言われます。
しかし、自分には印可が無いからお前にも印可を与えられぬ、と言われたので、周建は、ではせめてお名前を一文字くださいと言って、謙翁宗為の宗をもらった宗純を名乗ります。
さらに1年半経ったころ、謙翁は死去します。
師を失った宗純は自殺未遂をはかるものの引き留められ、その後は新たに華叟宗曇(かそうそうどん)和尚に弟子入りしました。
華叟和尚も本当は高僧なのですが、先の謙翁和尚よりもさらに厳しい極貧の暮らしをしていました。
あるとき華叟が出した公案に対して、宗純は、
「有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)へ帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
という歌で答えます。
ここから、宗純は華叟より「一休」という号を与えられます。
22歳のことでした。
有漏路とは煩悩の世界のことで、現世とも解釈できます。
無漏路とは仏の世界です。
確か、アニメの一休さんではこの歌を、
「この世からあの世へ帰る一休み~」
としていたと思います。
だいたいそんな意味です。
27歳の5月の夜、夜の琵琶湖で舟にゆられていた一休は、闇夜の中、カラスの声を聞きます。
その瞬間、一休は悟ります。
「闇夜にもカラスはいる。ただ姿が見えないだけだ」
「仏も、ただ姿が見えないだけで、心の中にあるのだ」
「これまでの自分は、過去を嘆き、俗世を嘆いていた。そんな自分は今、カラスの声によって吹き飛ばされた」
「自分は生まれ変わった。まるで天地万物と一体になったようだ!」
夜が明けて、師匠に早速これを伝えると
「しかしそれは羅漢(らかん=自分のためだけに悟りを開いた修行僧)の境地であり、作家(そけ=真に優れた禅者)ではないな」
と言われます。
そこで一休は、
「ならばこれ以上欲しません。羅漢のままで結構です」
と答えると、
「それこそが作家の心だ。其方は今、大悟した」
と認められます。
師匠は印可を与えようとするのですが、一休はこれを断ります。
それに対して、師匠は笑い飛ばして送り出したとも、一休は印可証を破ろうとしたともあって、真相はわかりません。
(資料によって違うので、これ以上は原典にあたらないとダメなようです)
これ以降、一休は髪とひげを伸ばし始めます。
その後は、
・大徳寺(臨済宗の総本山)で大法要があった時には、豪華絢爛な場にボロの衣のままで出席したり
・腰に三尺の刀(中身は木刀)を差して街を歩き回ったり
・元旦にドクロ(もちろん本物)を乗せた杖を持って各戸を訪問したり
・禅宗とは仲の悪い浄土真宗の法要に参列してそこの高僧と仲良くなったり
・天台宗の延暦寺で土用干ししている経文の上で昼寝を始めたり
……と、その権威に逆らう姿や奇行によって、庶民の人気者となります。
そこまでしてもそれが許されたのは、やはり皇族であり、朝廷の庇護があったからのようです。
一休が、上記の臨済宗総本山である大徳寺の過剰な内紛に怒って餓死をしようとした時には、時の花園天皇から
「師(一休)は朕を見捨てるのか」
という勅宣が出されたと言われています。
そこまで天皇をも惹きつける人物だったようですね。
それを聞いた一休も、感涙して中止したそうです。
78歳の時、一休は森女(しんにょ)という、齢30の盲目の女性と、京都南部の田舎(現・京田辺市)に結んだ酬恩庵で暮らし始めます。
一休はこの女性にメロメロだったようで、エロエロな歌を何首も詠んでいます。
81歳、天皇に頼まれて大徳寺の住職となりますが、酬恩庵からは離れませんでした。
88歳で大往生。
最後の言葉は「死にとうない」だったと伝えられています。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
あすなろ110 多面体
2010.12号
このあすなろ通信では、これまで、かなり色々なジャンルの話を書いてきました。
しかし、それでもまだ、敢えて手を出していないネタはあります。
例えば機械工学とか。
いや、だって、燃焼室のS/V比とかアームの動く瞬間中心の話とかをしたって面白くないですよね。
ぼくは面白いのですが。
まあ、そんなわけで今回は、この紙上で初めて取り上げる分野の話をします。
それは、数学の話です。
……はい、そこ、露骨に嫌な顔をしない。
テーマは、多面体です。
多面体とは、平らな面だけでできている立体のことです。
その中で、すべて合同な正多角形で構成され、且つ全ての頂点が同じ形状になっているものを正多面体と呼びます。
要するに、同じ正三角形や同じ正方形だけでできた形などのことです。
正多面体は、全部で5種類あることが知られています。
というより、5種類しか存在しません。
では何故、5種類しか無いのか。
それを説明してみましょう。
簡単ですよ。
立体の頂点は、正多角形である面の、頂点が集まってできています。
例えば、正四面体の全ての頂点は、それぞれ正三角形の角が3つ集まってできています。
正三角形の角を4つずつ集めて作ると、正八面体ができます。
5つずつなら、正二十面体になります。
6つ集めると、……立体はできません。
正三角形の角は60度ですので、それを6つ集めると360度、つまり平面になって、立体の頂点じゃなくなってしまうからです。
もちろん、2つでも無理です。
ですから、正三角形で作られる正多面体は、以上の3種類しかない、とわかるのです。
面が正四角形=正方形の場合は、角3つなら大丈夫なのですが、4つ集めたところで360度になってしまうので、1種類しかありません。
正五角形を使っても1種類です。
正六角形は、1つの角が120度ありますので、3つ集めただけで平面になります。
ですから、正多面体は作れません。
5種類の正多面体
左から順に、正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体
こういうものって、文字で書くと伝わりにくいので、数字のお話はそのくらいにしましょう。
それよりも、その仲間達の話をします。
半正多面体というものがあります。
これは、定義が正多面体に近いのですが、面の形は正多角形であるならば、2種類以上が入っていてもいい、というものです。
これには一定の作り方があって、1つは、正多面体の角を、新しく正多角形ができるように切り落とす、という方法です。
もとからあった面の角を、辺の数が倍になるよう切ります。
すると、こんなものができます。
切頂シリーズ(「切隅」とも)
順に、切頂四面体、切頂六面体、切頂八面体、切頂十二面体、切頂二十面体
切り落とされた結果、正三角形、正四角形などの面は、正六角形、正八角形などへと変わっています。
また、切頂二十面体は、いわゆるサッカーボールの形ですよね。
つまりサッカーボール形は、正二十面体の頂点の数だけ正五角形ができている、ということです。
算数が好きな方は、辺と頂点の数を計算してみてください。
多分、小学三年生レベルの計算で、求められると思います。
次に挙げるのは、さらにこの切り落としを進めていった結果できた、半正多面体です。
そろそろややこしいので、解説は省きます。
切り落としの進め方
切る量をさらに進めていくと、切り落とした面同士が接するようになる。
場合によっては、さらに新たな頂点を切り落とす
その結果できた立体
そして、星形正多面体という恐ろしい立体もあります。
これは、正多角形の面を交差させながら組み合わせて作った形で、これまでに4種類だけが見つかっています。
4種類の星形正多面体
順に、大十二面体、大二十面体、小星形十二面体、大星形十二面体
このうち、大十二面体
は、12枚の正五角形を、交差させながら組み合わせたものです。
1つの頂点には、正五角形の角が5つ、星形五角形(正5/2角形・五芒星)のように交差しながら集まっています。
上:星形五角形
下:晴明桔梗(家紋)
大二十面体
も同様に、正三角形を20枚、交差させながら組み合わせたものです。
その頂点は、これも同様に正三角形の角を星形五角形のように組み合わせています。
小星形十二面体
と、大星形十二面体
は、星形五角形を交差させながら組み合わせたものです。
頂点は、星形正五角形の角を3つまたは5つ集めたものです。
このくらいの立体になってくると、それなりの空間認識力が無いと、想像するのがそろそろきつくなってきます。
これの立体模型を作るのは困難でしょうが、針金を使って枠(辺)だけを作るのならできそうですね。
大人になって数学というと、苦手なイメージを持つ人が多いのですが、数学は学校で習う以外には、自ら学ぶ機会が殆ど無いからなのでしょうね。
学生の頃歴史が苦手だった人でも、その後本や会話で触れるうちに興味を持って、自分から調べて楽しくなることなんてあります。
しかし数学は、小説を読んでいたら新しい公式に興味が湧いてきた、なんてことは、普通はありませんからね。
でも、趣味で始めると、数学も案外面白いものですよ。
学問とは、そういうものです。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
あすなろ217 うどんそば
2019.11号
先月、健康診断に行ってきました。
その中で、腹囲を測定したのですが、測定したオネーサンが記録を書こうとして、
「すみませんもう1回測っていいですか」
と再測定。
そして記録を書きながら、
「朝倉さん、お腹、どうかしました?」
と。
なんだそりゃと思って聞くと、一年前の腹囲は72センチだったのが、今回70.5センチに下がったのが気になったみたいです。
いやそんなの誤差の範囲だろと思うのですが、わざわざ測り直したということは、この歳で腹囲が減る人は珍しいってことなのかもしれません。
というわけで、私はまた一つ、風説のウソを暴いてしまったのでした。
何かというと、
「糖質制限ダイエット」
とやらです。
私は、炭水化物の割合が相当高い食生活をしています。
ここでの炭水化物とは、米・パン・うどん・モチあたりがメインです。
その代わり、脂の摂取は押さえています。
脂肪ってのは、エネルギーの銀行預金なんですよね。
現金=炭水化物がなくなれば確かに銀行=脂肪からお金をおろしますけど、それ以上にガンガン振り込みしてたら意味が無いでしょ。
脂を減らしたかったら、脂の補充をしなければいいのです。
以前にもどこかで書いたような気もしますが、あのダイエット法は
「やせたいけど肉を食いたいのはガマンできない」
という西洋人がひねり出した屁理屈で、
「アイスは食ってもカロリーにならない」
と同レベルのものだと思っています。
確かに、炭水化物の少ない食生活に慣れるまで、一時的には減るらしいのですが、それ以上に食っちゃえばむしろ増えます。
ついでに言うと、西洋人以外の人間には一般に
「脂を取り過ぎると体調がおかしくなる装置」
がついているのですが、歴史的に肉と脂ばっかり食ってきた西洋人は、その装置が遺伝的についていません。
その遺伝子を持った血統は、みんな死んでしまったのでしょう。
つまり、西洋人と同じように脂ばっかり食っていたら、東洋人は簡単に死にます。なむ。
逆に、西洋人はどんだけ脂を食っても死なないので、我々から見たら、人としてありえないような太り方をすることができるのです。
そんなわけで炭水化物大好きな私ですので、白米大好きです。
うどん大好きです。
モチ大好きです。
パン……は、手軽だから食べるか、程度かなあ。
その中でも、うどんは子育てでも本当にお世話になっています。
おかげさまで、少なくとも幼稚園の頃までは、ウチの子は全員がうどん大好きでしたよ。
うどんといえば、そばとどちらが好きかという話がよく出ます。
うどん派かそば派かというようなネタは、犬派か猫派か、とか、ドラゴンボールかワンピースか、とか、お好み焼きかもんじゃ焼きか、きのこかたけのこか(*)、など色々とありますよね。
*初めて聞く方は、「きのこたけのこ戦争」で検索してみてください
我が家はうどんばっかり食わせていたせいか、どちらかを選ばせると、ほぼうどんでした。
私もうどん派です。
でも関東って、そば屋の方が目立ちますよね。
見ている限り、個人営業はそば屋、チェーンはうどん屋ってパターンが多い気がします。
もちろん、個人のうどん屋もあるんですけどね。
うどんといえば讃岐うどんが有名でして、今や県をあげてキャンペーンをやっています。
ですから、うどんが西、そばが東というイメージがあるかもしれませんが、実はそういうことでもないようです。
うどんは、小麦粉を水で練って作ります。
ここから始まる製法では、うどん以外にもお好み焼きやたこ焼きなど、実に色々とありますが、日本には、奈良時代の遣唐使が持ち帰った「こんとん」という団子菓子が最初と考えられています。
ただし、小麦そのものは弥生時代からあったようです。
その後、製麺技術は伝わったのか見つけたのかはわかりませんが、記録上にうどんが最初に登場するのは室町時代となるようです。
しかし、当時はまだ臼が搗き臼(つきうす)しか無かったために、小麦を粉にするのに手間がかかって、小麦粉製品は高級品でした。
搗き臼
餅つきに使うのがこれ
しかしその後、江戸時代になると挽き臼(ひきうす)が普及したために、うどんも庶民が口にする食品となったのでした。
挽き臼
粉をひく石臼はこちら
対するそばですが、こちらも各地の弥生時代の遺跡からはその花粉が発見されていまして、小麦よりも少し前の時代から普及していたようです。
しかし、こちらも当初は麺類ではなくて、そば粉をねってゆでた「そばがき」だったようです。
なお、そばがきの別名として「かいもち」という名前があるのですが、これは高校生以上なら知っている「児の空寝(ちごのそらね)」に登場する「かいもちひ」の正体です。
そばがき(かいもち)
そばがきについては平安時代、道長の甥が、山の住人から出された「蕎麦料理」を指して、「食膳にも据えかねる料理」と歌に歌ったという話があります。
当時の蕎麦は、貴族は食べないような粗食という位置づけだったようです。
先述の「かいもちひ」については、現代語訳によっては「ぼたもち」とされているものも見受けますが、この道長の甥の逸話からすれば、修行僧の食事ですので、ぼたもちではなくてそばがきの方が正解であると思われます。
さて、蕎麦もやはり、ソバの実を粉にして作ります。
すると小麦粉と同様に、臼の問題が生じてきます。
やっぱり粉にする手間は結構かかるわけです。
ソバの花と実
しかしソバは、水の少ない土地でも栽培できるために、非常食としては作られていました。
当時の分類としては、雑穀扱いだったようです。
それが、うどんのように麺として生産されるようになると、そこからは急に広まったようです。
つまり順序としては、うどんが先のようですね。
麺に加工しやすいように小麦機を混ぜるようになったのも、やはりうどんという先例があったからでしょう。
落語で、「うどんや」という話があります。
夜中、江戸の町を鍋焼きうどんの行商が売り歩く様子を描いた話です。
この通り、江戸の町ではうどんが普通に売られていたようですので、
「江戸といえば、うどんよりそば」
というわけでもなさそうです。
また、先述の通り、うどんの生産および消費で日本一なのは香川県なのですが、生産量二位は、実は埼玉県らしいのです。
埼玉もそれなりに伝統的にうどんを生産していたようですから、うどん=関西というわけでもないということが、ここからもわかります。
そういえば、「稲庭うどん」は秋田ですから、それを考えると全然関西じゃないですね。
一方でそばも、「にしんそば」は京都名物とされています。
にしんそば
そういえば食べたことないや
一つ忘れていました。うどんそばといえば、「たぬき」の呼称の違いがありましたね。
関東では「たぬき」といえば普通、天かすが入っているうどんやそばのことを指すと思います。
また、「きつね」は言わずと知れた油揚げ入りですよね。
しかし関西では、
「きつね」=「油揚の入ったうどん」
で、
「たぬき」=「油揚の入ったそば」
のこととなります。
最近はチェーン店やコンビニの影響で、関西独自の呼び方が廃(すた)れ始めているなんて話を聞いたこともあるのですが、どうなんでしょうか。
この程度の文化の違いは、いつまでも残ってほしいものです。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義