2020年8月
あすなろ224 小豆
2020.07号
ある日の明け方。
家に帰ると、誰もいない居間にこんなものが置いてありました。
「祝」
「祝」
私「わーいおめでとうー」
私「わーいありがとうー」
私「……何が?」
なんだかよくわかりませんが、めでたいらしいです。
この国では、めでたいときには紅白饅頭というのが定番ですね。
めでたくない時の葬式饅頭というものもありますが。
共に、中にはあんこが入っています。
また、めでたいといえば、赤飯というものも定番です。
あんこといえば小豆です。
赤飯も小豆です。
小豆くん、大活躍です。
以前、大豆について書いたことがありますが、小豆もなかなか日本の伝統に深く根付いているようです。
きっと、ずっと昔からあるのでしょう。
では、小豆はいつから日本にあるのでしょうか。
これの答えは、実はちゃんとした記録が我が国に伝わっています。
小豆がどうやって生まれたのか、昔からちゃんと書物になっているのです。
すごいでしょ。
おおもとの原文は、かなり古い書物です。
しかし私はこの本が好きなので、中学生の頃に「現代語訳付き版」を自分で買いました。
塾に置いてあります。
ちょっと引用してみましょう。
まずは書き下し文から。
[三、須佐之男命(すさのおのみこと)]
[蚕と穀物の種]
また食物(をしもの)を大気都比売(おほけつひめのかみ)の神に乞ひたまひき。
ここに大気都比売、鼻口また尻より、
種々(くさぐさ)の味物(ためつもの)を取り出でて、
種々作り具へて進(たてまつ)る時に、
速須佐之男命(はやすさのをのみこと)、その態(しわざ)を立ち伺ひて、
穢汚(きたな)くして奉るとおもほして、
その大宜津比売(おほげつひめ)の神を殺したまひき。
かれ殺さえましし神の身に生れる物は、
頭(かしら)に蚕(かひこ)生(な)り、
二つの目に稲種(いなだね)生り、
二つの耳に粟(あは)生り、鼻に小豆(あづき)生り、
陰(ほと)に麦生り、尻に大豆(まめ)生りき。
かれここに神産巣日御祖(かみむすひのみおや)の命、
こを取らしめて、種(たね)と成したまひき。
ね。書いてあるでしょ。ね。ね。
角川の新訂古事記(昭和五十二年刊)から引用して、適宜読み仮名を追加しました。
ただ、小学生以下では少々読みにくいかもしれませんので、こうの史代の「ぼおるぺん古事記 天の巻」の方が、文の意味を取りやすいかもしれません。
こちらも塾に置いてあります。
今回の参考文献
左:角川書店 新訂 古事記
右:平凡社 ぼおるぺん古事記
話の流れとしては、天の岩戸が解決したところで、その原因となったスサノオ(須佐之男命)が高天原を追放されて、その途中でオオゲツヒメ(大気都比売の神)に食べ物を恵んでもらうところですね。
スサノオが地上に降り立って八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するという有名な話がありますが、今回はその直前の話です。
およそ5000年前のことです。
スサノオが、オオゲツヒメの食事の準備の様子をのぞき見ていると、オオゲツヒメはその食材を鼻や口や尻から出しているので、キタネエと思ったスサノオはオオゲツヒメを殺してしまいます。
すると、殺されたオオゲツヒメの体からは、頭から蚕、目からは稲の種、耳から粟、鼻から小豆、股から麦、尻から大豆が生まれ出てきます。
カミムスビの神(神産巣日御祖命)はこれを集めて、穀類の種としました。
(朝倉訳)
てなわけで、小豆は、このように生まれたのでした。
なんせ古事記に書いてあるんですから、きっとそうなのでしょう。
――――だめっすか?
あ、5000年前というのは私がテキトーに決めた年ですけど。
こんくらいかなーと。
まあそれはともかくとして、小豆はかなり古い時代から日本にはあったようです。
そもそも、「あずき」って読み方に対して、「小豆」って完全に当て字ですよね。
ということは、少なくとも漢字が伝わってくるよりも前から日本にあった言葉ということになります。
ところが、こういう由来の話になりますと、すぐに「ではいつ頃日本に伝わったか」なんて書き出しをよく見かけるのですが、こういう人ってなんで「日本原産」という可能性を考えないんでしょうかねえ。
以前のこちら(2018.08号)で、大豆は日本原産の可能性が非常に高い、なんて話をしたこともありますが、実は小豆も、日本原産の可能性がゼロではありません。
アズキという品種の野生種はヤブツルアズキというのですが、まずこちらは日本に自生している野草です。
ヤブツルアズキ
また、ヤブツルアズキ自体は東南アジアからヒマラヤにかけてあるのですが、そのうちの極東アジアに生えているものと農業品種のアズキが、遺伝子的に近いということが判明しています。
また、紀元前4000年頃には日本で栽培されていたことが、粟津湖底遺跡(あわづこていいせき)の発掘によって判明しています。
ちなみにこの遺跡は、琵琶湖の底にあるんだそうです。
なにそれすげえ。
粟津湖底遺跡(赤いポイント)
そういったわけでともかく、小豆は日本に古くからずっとあるわけです。
そして現在、よく見かける用途としては冒頭に書いたとおり、あんこと赤飯ですよね。
あんこってなんて言っていますが、「餡」という言葉は元々は「具」という意味です。
要は肉まんの中身ですよね。
餡という漢字自体も、こういう作りでできているみたいです。
餡 まんじゅうなどの中に入れる、肉や野菜など
臽 押し込める、くぼめて中に入れる
さて今回、「小豆あんこの歴史」については色々な話を見かけたのですが、それを統合した結果、
「室町時代、チャイナから饅頭という「中に肉や野菜を詰めた食べ物」が伝わってきたのですが、僧侶は肉を食えないからと、代わりに煮豆を詰めたのが、今のあんこ入り饅頭の始まりだとか。」
――――というのが、どうやら一番正しそうです。
現在わかる中では、恐らくこれが正史でいいんじゃないかと思います。
ところが、インターネッツなんぞを調べていくと、色々な所に色々な歴史が書いてあるんですよね。
ちょっと引用してみましょうか。
空海が中国から持ち帰った小豆
諸説ありますが、小倉あんは伝説的な人物として知られている空海(774~835年)が中国から持ち帰った小豆が由来とされています。
その小豆を日本の京都市右京区嵯峨小倉山あたりで栽培。
収穫してあんこを作り、天皇や貴族が住む御所に献上したことが、小倉あんのはじまりとの説があるのです。
この記事アップされた方は、特にご自分で研究したようでもありませんので、きっとどこからかそのまま引用されたのだと思います。
一次資料は恐らく書物でしょう。
まず、小豆は先に書いたとおり、縄文時代から日本にありました。
少なくとも漢字が伝わる前からあったようですので、空海が持ち帰ったのが最初ということはあり得ません。
また、小倉あんが考案されたのは、江戸時代の文化年間です。
「江戸の船橋屋織江」が創作したと、作者名まで伝わっています。
そして「小倉」の語源は、百人一首の
「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」
から取っているとの説が有力です。
また、こんな記事も見つけました。
本書によると元々「あんこ」は魔除けに食べた小豆料理が始まりだったようだ。
小豆はアジア熱帯地方原産で、弥生時代に稲作とともに伝わったとされる。
中国では古くから小豆の皮の赤い色を「陽」と捉え、災いなどの「陰」を封じると信じられており、それが日本でも無病息災や魔除けを祈願する年中行事に赤飯やおはぎなど、小豆を使った料理が供されるようになったと考えられている。
やはり先に書いたとおり、小豆は縄文時代から日本にありました。
ということで、ここに書かれている「弥生時代に稲作と共に」という記述は、間違いと言ってしまってもいいでしょう。
恐らく、この資料となった本が書かれたのは、先述の琵琶湖湖底の遺跡が見つかる前だったと思われます。
また、チャイナの陰陽は詳しく知りませんが、年中行事で赤飯が出される理由は、私は柳田国男の
「赤飯は赤米を模した物(赤飯=赤米の代用品)」
説を信じています。
かつて日本には、白米の他に赤米という赤い米がありました。
味は白米の方が良かったので、年貢としての価値も高かったのですが、赤米の方が気候変化、病害虫、痩せた土地に強いということで、農業技術が発達する前は、各地で栽培されていたようです。
そして、神に供える米(神饌米)としては、現在も赤米を供えている神社が何カ所かあります。
といったあたりから、こんな考え方ができます。
・昔は、米と言えば赤米だったために、神に供える米も赤米であった。
・時代が変わり、白米が食べられるようになっても、神に供えるのは伝統的に赤米であった。
・赤米の代用品として、小豆を炊き込んで赤くした米、つまり赤飯が用いられるようになった。
・ここから、神事には赤飯が供され、さらに祝い事=赤飯となっていった。
要は、赤飯は赤米のレプリカなんです。
私は以前からずっと、この説を信じていますので、まあこの場はそういうもんだと思っちゃってください。
許して。
となると、先ほどの引用のように、チャイナから伝わった風習によって赤飯、というのは、違うと思うんですよね。
ねー。
なお、小豆あんが一般的に甘くなったのは、江戸時代に砂糖が流通し始めてからでして、それまでは塩味でした。
てなわけで、小豆を食べる国は数あれど、小豆を甘く加工してしまうのは、実は日本だけです。
そして、そのあんこ入り饅頭をパンにしてしまったのが、ご存じあんパンです。
そしてここから、世界でも稀に見る「菓子パン」という文化が生まれました。
パンは元々、西洋人にとっては「ご飯」と一緒ですので、例えばフランス人からすると、甘い菓子パンは「キモい食べ物」らしいですね。
「あの甘いパンだけは食えない」だそうで。
日本人からすれば、ご飯に練乳をかけられたようなものでしょうか。
確かにキモい。
あともう一つ、小豆に関する小ネタ。
小豆は英語でadzuki beanです。
(またはazuki bean , aduki bean)
また、アズキ属Azukiaという分類群もあります。
ご覧の通り、共に日本語由来です。
ちなみに、最初の饅頭画像は、カミサンの職場で新しく介護ステーションだったかなんかを建てた記念だそうです。
へーそりゃめでたい。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
あすなろ223 カルデラ(2)
2020.06号
前回の続きです。
カルデラのお話です。
小中学校の理社のレベルでは、カルデラと言えば阿蘇で、その規模は世界有数だなんて書いてあると思います。
多分。
確かに、以前はそういう認識だったらしいのですが、今では日本一ですらないようです。
とはいっても、「カルデラ作りでギネスにチャレンジ」という町おこしイベントがあったわけではありません。
研究が進んだ結果、あれもカルデラここもカルデラ、ということがわかってきたのです。
……というよりも、私の見る限りでは、「カルデラ」という定義が、昔とは変わっただけなのではないかという気がするんですよね。
カルデラというのは火山の噴出によって山体がへこんだもの、であります。
でも、噴火口だってそういうものですよね。
富士山の頂上に火口があるのも、赤城山や榛名山の山頂に湖があるのも、山頂付近が噴火で吹っ飛んで、穴になった結果です。
で、いつものウィキペディアに質問してみました。
――本来は単に地形的な凹みを指す言葉で明瞭な定義はなく、比較的大きな火山火口や火山地域の盆地状の地形一般を指す場合がある。
ああ、明確な定義はないんですね。
ってことは、火口でもカルデラと呼べばカルデラなんですね。
さらには、「元カルデラ」もカルデラ呼ばわりしちゃってもいいんだそうです。
――過去にカルデラが形成されたものの、現在は侵食や埋没によって地表に明瞭凹地として地形をとどめていない場合もカルデラと呼ぶ。
また、研究者のサイトに、
「普通は2kmより大きいものを指す」
「でも小さいのもそう呼ばれることも」
なんて書いてあるのも見ましたので、学術的な定義は定まっていないながらも、一応の目安はあるみたいですね。
そんな状態ですので、日本国内のカルデラも、昔よりに比べてかなりの数に増殖してしまったようです。
同じくウィキペディアによると、日本には、北方領土も含めると164個のカルデラがあるんだそうです。
北方領土の分を入れなくても157個あるらしいです。
(数え間違えてたらすんません)
……やっぱこれ、私の知らない間に全国で「カルデラを作ろう」という町おこしイベントがあったんじゃないんですか?
ちなみに、富士山の火口は直径780mとのことで、脇に空いている宝永火口と言われる穴も、直径1.2kmくらいのようです。
ですから、先ほどの「直径2km以上」という定義によれば、こちらはカルデラには入れないようですね。
宝永火口
上空から
一方で、先に挙げた赤城山や榛名山は共に、頂上がカルデラとされているようです。
大きさは、赤城山頂が4km×2kmで、榛名山が2km×3kmということですので、富士山よりもずっと大きいんですね。
まあ確かに、山の上は湖を囲んで駐車場とか売店とかいっぱいあるしなあ、なんて思いながら画像を探したところ、考えていた以上にでっかい山でした。
ありゃそうでしたっけ。
上:赤城山
下:榛名山
じゃあ、山の中にある湖って、みんなカルデラってこと?
……と思ってみたのですが、どうもそういうわけでもなさそうです。
ただ、カルデラじゃなくても、火山活動と関係の深い湖は各地にあるようです。
例えば、火山の噴出物で川がせき止められたためにできたとか。
天然のダム湖みたいなものですね。
日光の中禅寺湖は、そうやってできたらしいです。
こういうのは「堰止湖」と言うらしいのですが、読み方不明です。
「せきどめこ」?
「せきしこ」?
また、福島の猪苗代湖は、元々は断層の窪みに水が溜まってできたのですが、火山で出口が塞がったために水位が上がったことがあるとのことです。
川と湖も面白いなあ。
今度なんか書くかもしれません。
カルデラの話に戻ります。
箱根は、カルデラらしいですよ。
びっくりです。
ただ箱根の芦ノ湖は、川が火山でせき止められてできたものだそうです。
ですから、カルデラの中にありながら、カルデラ湖ではなくて「堰止湖」に分類されるのだそうです。
円内が箱根
確かにこうやって見ると、カルデラです。
山地が円形に連なっています。
箱根の地形図
複数のカルデラが複合して作られた
箱根のカルデラは、南北11km×東西8kmあるんだそうです。
でけー。
……と思ったのですが、阿蘇のカルデラは25×18kmなんだそうで。
箱根の倍以上でした。
九州には、他にも巨大カルデラがいくつもあります。
鹿児島なんてこんな状態です。
赤い枠内がカルデラ
一番下が鬼界カルデラ→前回記事参照
そして九州最大のカルデラは、実は阿蘇ではありません。
こちらが、宮崎県と大分県にまたがり直径25×45kmの、
大崩山(おおくえやま)コールドロンです!
あれ?
カルデラどこー?
調べてみましたところ、コールドロンってのは
「元はカルデラだったけど、今は削れてなくなっちゃったよ」
というものらしいです。
そういえば、前の方に
「元カルデラもカルデラ扱い」
なんてことを書きましたね。
てなわけで、阿蘇は日本一じゃなくなってしまいました。
それでは日本一は、というと、それは北海道にありました。
しかも、皆さん絶対に、地図で見たことのある場所です。
屈斜路湖(くっしゃろこ)です。
なあんと、あの北海道にある「目玉」は、カルデラだったのです。
屈斜路湖は、正真正銘のカルデラ湖です。
元々は、もっと丸い形をしていたものが、右下に火山が噴火したために、現在の形になったとか。
それでも、カルデラ湖としては日本最大になるんだそうです。
屈斜路カルデラは、26km ×20kmのサイズを誇り、日本最大で……
あれ?
さっきさあ。大崩山コールドロンって25×45kmって言ってなかった?
これ、屈斜路より明らかにでっかいよね。
それとも、コールドロンはカルデラとしないってこと?
でも、大崩山コールドロンの所には「九州最大のカルデラ」って書いてあるんだよねー。
ま、いっか~。
はい。
では。
次。
世界一のカルデラです。
世界一のカルデラは、インドネシアのトバ湖周辺に拡がるトバカルデラ(またはトバ湖カルデラ)だとされています。
大きさは……。
あのですね。
どこを探しても「トバ湖の大きさ」ばっかりで、「カルデラのサイズ」が見つかりません。
仕方がありませんので、カルデラのサイズ=トバ湖のサイズということにします。
ともかく、サイズは100×30kmだそうです。
湖としては琵琶湖の倍だとか。
このカルデラは、一度に形成されたわけでは無くて、3回に及ぶ噴火の複合型のようです。
そしてその最後、74000年前の噴火は、超巨大噴火というレベルのものでした。
緑の点線が、3つのカルデラを示す
一番新しいのは中央部のYTT
トバ火山の大噴火はあまりに大量の噴煙を噴き上げたために、それが空を覆って太陽の光が届きにくくなった結果、「火山の冬」が起こりました。
人類は、噴火による気候変動によって1万弱~1万数千人くらいにまで急減したようです。
それでは「人類」は、噴火前はどのくらいの個体数がいたかというと……
これがまた、資料によってバラバラなんですよね。
当時は数百万人いたという資料に合わせれば、この噴火は人類の99%以上を死滅させたことになりますし、別の資料では、60%が死んだともあります。
ただ、どちらも学術論文ではないので、あんまり信用していません。
実は当時は、ヒトという動物には数種類あったのです。
現在はホモ・サピエンスの1種類だけですが、この頃はまだ、ホモ・なんたらってのが、まだ色々といたんですよ。
で、その全種類数を合わせて「人類」としているのか、それともホモ・サピエンスのみを「人類」としているのかで、個体数が変わってくるんじゃないのかなーと推測しています。
ただなんせ、一次資料が見つからないので、それ以上は不明ということでして。
ともかく、ホモ・サピエンスが1万程度にまで減少したことだけは、現生人類の遺伝子解析からも事実のようです。
また、少なくとも2種類のヒトが、この時に滅びています。
そしてこの頃、ヒトに寄生するシラミが、アタマジラミ(毛髪に寄生する)とコロモジラミ(衣服に寄生する)に分化しました。
つまり、「衣服」が生まれたのがこの頃だったというわけです。
なお、トバ火山最後の噴火は、過去十万年で最大規模のものでした。
心配しなくてもこんなのは、そうそう起こらないと思いますよ。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義