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あすなろ221 鐙

2020年5月1日投稿

 
 
 
2020.03号
 
「鐙」のお話です。
 
まず、読めます?
高校生は読めてもいいとは思うのですが、読めない人も多いかもしれません。
「あぶみ」という字です。
あぶみというのは、バグの名前ですね。
 
……ウソです”馬具”です。
 
古典では、平家物語あたりに登場してもいいとは思うのですが、あんまり見たことがありません。
それよりも、生物を習っていると、あぶみという名前に見覚えがある人がいるかもしれません。
はい、耳小骨ですよね。
 
耳小骨とは一応書きますと、耳の中の、鼓膜の奥にある小さい骨のことです。
鼓膜の振動を増幅する働きをしています。
 


耳小骨
左から、つち骨・きぬた骨・あぶみ骨
(槌骨・砧骨・鐙骨)

 
耳小骨は、人間の体内で最小の骨


 
実は私も耳小骨のイメージが強いので、「あぶみ」といえばつい、「つち・きぬた」と勝手に言葉が続いてしまうのですが、そういう人は他にも多いと信じています。
 
関係ないですが、槌とはハンマーのことです。
木槌(きづち)、金槌(かなづち)もそうですし、打出の小槌(うちでのこづち)もこの字を使います。
 
また砧とは、砧打ちをするための台です。
砧打ちとは、洗濯したあとの生乾きの布を台に敷いたり棒に巻き付けたりして、棒でたたく作業です。
こうすることで、布のしわを伸ばします。
要するに、アイロンの代わりです。
 


砧打ち


 
そして残る一つの鐙とは、馬に乗るときに足を乗せる・引っかけるための輪っかのことです。
 



 
耳小骨のつち骨やきぬた骨は、形を見ても「何でこれが槌で砧なんだ?」って感じですが、あぶみ骨は確かに鐙の形をしています。
 



 
さて、鐙という道具は、ものの本によるとその発明によって、馬の使い方を変えた革命的なものだったそうです。
 
鐙とは当初、馬上に上がるための「はしご」として使われていました。
そのため、片側だけにつけられていました。
 


※鐙という漢字は、元々は容器の一種を表す形声文字でしたが、「登」が入っていたために、後に「馬上へ上がる時に足をかける道具」という意味で使われるようになったのだそうです。


 
もちろん現在でも、「はしご」としても使われています。
 



 
しかし、さらに乗馬中の足場としても使われるようになってからは、騎手は足だけで、体のバランスを取れるようになります。
すると乗馬中でも、手綱にしがみつきっぱなしでなくても大丈夫になります。
つまり、手が使えるようになるのです。
 
手が使えると、馬上から剣が振れます。
弓を射られます。
すなわち、騎馬による突撃が可能になるわけです。
 
鐙が使われ始めた時代については諸説(*)あるようですが、確実なのは四世紀頃のチャイナで、漢王朝の頃のようです。
 


*というのも初期の鐙は、単に馬上にあがるための足かけだったのか、乗馬中にも足を置いて使われた道具なのか、判別しにくいためのようです


 
一方、ヨーロッパにイスラム経由で鐙が伝わったのは、そこから数百年下った七世紀の頃だとされています。
 
また日本には、五世紀初頭に伝わったようです。
(ヨーロッパより古い!)
これは、古墳時代の後期にあたります。
 
当時の鐙は、古墳などの遺跡から出土されています。
馬形埴輪にも、その形が残されています。
 


鐙(輪鐙)をつけた馬

 
輪鐙 古墳時代


 
当時の鐙は輪鐙(わあぶみ)という、現在の鐙にも通じる形をしていました。
恐らくこの形で大陸から伝わったのでしょう。
しかし、ここから日本の鐙は、独自の進化を始めます。
 
古墳時代の末期には、壺鐙(つぼあぶみ)が登場します。
こちらは、足先を覆うような形状となっていました。
どうやら、輪鐙だと足を突っ込みすぎて、落馬の際に抜けずに危険だったからのようです。
 


出土した金属製の壺鐙と馬具
6-7世紀


 
壺鐙をつけた馬


 
まあ、ここまではいいんです。
この形の鐙でしたら、他の国でも使われていました。
ただし時代は、日本より千年以上後ですが。
 


上:スペイン 16-17世紀
下:メキシコ 19世紀


 
しかし次に登場した半舌鐙(はんしたあぶみ)(または舌短鐙(したみじかあぶみ))と、その後の舌長鐙(したながあぶみ)は、側面が完全に空いているという、世界でも唯一の形状に進化したものでした。
 


半舌鐙 平安時代
半舌鐙は奈良から平安時代にかけて使われた


 
舌長鐙 鎌倉時代
半舌鐙よりも下面が伸びたもの
舌長鐙は、平安末期から明治まで使われた

(画像の穴は、腐食によるもの)


 
このように、足の裏がかかとまで完全に乗るような形状になったのは、草履文化のためではないかという説があります。
確かに草履だと、輪鐙ではきついですからね。
足の裏が痛そうです。
 
そして、この形状が完成する平安末期の頃から、武士の活躍が活発になってきます。
鐙の完成と武士の戦闘力向上は、きっと無関係ではないと思います。
 
そんな舌長鐙ですが、明治以降、西洋式の靴と輪鐙が普及すると廃れてしまいました。
しかし、流鏑馬(やぶさめ)などの伝統行事では、現在でも使われているものを見かけることができます。
 
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義
 


 
おまおまけけ
 
いつも大好きウィキペディアで鐙を検索すると、こんな感じで書かれています。
 

 
赤線を引いた部分が、日本の鐙について書かれている箇所です。
 
内容は、「日本にも木製の鐙があったよー」と、それだけ。
それ以上の詳しい情報は一切ありません。
 
一方こちらは、ウィキの英語版です。
 

 
赤枠内が、日本の鐙について書かれた箇所です。
日本版よりめっちゃ詳しいのは一体、何が起こっているのでしょうか。
 
ちなみに、英語版の方では壺鐙のことをtsuba abumiなんて書いてありましたので、tsubo abumiに書き直しておきました。
 
そういえば、どこか別の言語でもtsubaになってましたけど、修正してないままですわ。