お問い合わせ0296-43-2615
HOME雑記帳(あすなろ)あすなろ156 「とう」と「とお」の違い(過去記事)
2014.10号
「小人閑居して不善を為す」という言葉があります。
小人(しょうじん)とは、
つまらない人間という意味です。
閑居はヒマでいること、不善は善の反対ですね。
つまり、
「つまらない人間は、ヒマを持てあますと碌(ろく)なことをしない」
という意味です。
要するに私がそれなんですけど、
ヒマになると碌でもないことばかり考えています。
今回は、そんな脳内で考えた事の紹介です。
「通り」という言葉があります。
ひらがなで書くと「とおり」です。
「とうり」ではありません。
他にも、「遠い」は「とおい」です。
しかし、「冬至」は「とうじ」です。
何が違うんでしょ。
何でしょうね。
経験的に、
「オ段」を伸ばすときに
「オ」と表記する言葉は、
「ウ」と表記する言葉に比べて
少数派だろうということはわかります。
では、その少数派の
「オ」表記の言葉を集めてみましょう。
とおり(通り)
とおる(通る)
とおい(遠い)
こおり(氷)
こおる(凍る)
おおきい(大きい)
おおい(多い)
おおう(覆う)
発見しました。
これ、みんな和語ですね。
和語とは、漢字が伝わる前から
日本にあったと思われる言葉です。
もう少し違う言い方をすると、
訓読みの言葉が和語です。
つまり、日本語の本来の発音は
「トオ」
なんですよ。
それが、漢字が大陸から入ってきた時に、
「冬という文字の読み方はトウである」
と伝えられたのでしょう。
ということは、最初のうちは、きっと「冬至」も
「トージ」や「トオジ」とは読まずに、
「トウジ」と、
「ウ」をウとはっきり発音していた可能性があります。
可能性があるというよりも、
実際にウと発音していたでしょうね。
つまり、ゆっくり読むと
「ト・ウ・ジ」です。
かな文字は、漢字から作られたものです。
ですから当然、漢字よりも後から使われ始めています。
すると、
「とおい」
とひらがなで書いている頃には、
「冬」
という言葉は、日本にもう来ていたはずです。
そんな時、
「冬」って漢字に、読み仮名をつけて
読みやすくしようかなーとしましょう。
「冬」に「トウ」と読み仮名をつけて、
「これはトオって読むんだよ」
……なんてやりませんよね。
そもそもひらがなは、日本語の発音に合わせて
書く文字として登場しています。
片仮名なんて、漢字の読み仮名として
書き込んだのが始まりだと聞いています。
それなのに「トウはトオと読みましょう」なんて
ルールを作るわけが無いですよね。
ともかく、その後時代を経るに従って、
この二つの読み方は収斂していって、
共に「トオ」と同じ発音になってしまったのでしょう。
というわけで、和語はみんな、
オ段の伸ばす音を「オ」と書くのでしたー。
はい、無事解決ですねー。
ほうる(放る)
もうす(申す)
あれ?
いや、あれ?
え?
「放る」はともかく、
「申す」が漢語ってわけがないですし、
音読みでもありません。
もしかして、昔は
「もおす」と書いていたとか?
古語辞典を引いてみましょう。
「もおす」→なし
「まうす(申す)」
あっ……
アホだ俺。
そういやそうですよねー。
「申す」は昔は「まうす」だったんです。
当然読み方も「マウス」だったことでしょう。
それが今、
「モース」という発音になってしまっているので、
それに合わせて書き直されているだけなんですね。
ついでに、
「とおり」なども
古語辞典で確認しておきましょうか。
とほり(通り)
とほる(通る)
とほし(遠し)
こほり(氷)
こほる(凍る)
おほき(大き)
おほし(多し)
おほふ(覆ふ)
あ~~~~。
そっかー。
前言撤回。
日本語の本来の発音では、
通りは「トオリ」ではなくて
「トホリ」だったんですね。
つまり、
現代語で長音の時に「オ」と書くものは、
昔はみんな「ホ」だったと。
ホと発音していた言葉が、
時代を下るに従ってオに変化していったと。
そうだったのですか。
今回のように、
古典ではハ行で使われていた言葉が、
現代語ではア行に入れ替わって使われる例は
たくさんあります。
例えば、会うは昔は「あふ」でしたし、
臭うは「にほふ」、
食うは「くふ」、
舞うは「まふ」……。
待てよ。
まさか、現代語で「う」で終わる動詞は、
全部「ふ」だったとか……?
古語辞典巻末の活用表を見てみました。
四段活用の表に、「ア行」はありません。
もう何年も動詞の活用表を見ているのに、
これまで全く気づいていませんでしたわ。
活用とは、
動詞・形容詞・形容動詞の語尾が、
使われ方によって形を変えることです。
その変わり方をまとめて表にしたものが
活用表というものです。
活用の仕方は、
現代語と古語では少々違いがあります。
例えば、先ほどの「会ふ」は、
と、語尾が「アイウエ」の四段に変化しますので、
四段活用と言われています。
これの場合は、
「ハヒフヘ」と変化していますので、
ハ行四段活用と呼ばれています。
それに対して、現代語の「会う」は、
あ、ちょと待った。
先ほど、古典のハ行がア行になったとしましたが、
違いますね。
ハ行はワ行になっていますね。
やはりこちらも、時代と共に
発音がそう変化していったのでしょう。
先ほど挙げた
「会う」「臭う」「食う」「舞う」は全て、
ワ行五段活用ですから。
考えてみれば、
格助詞の「は」を「ワ」と発音するのも、
きっと同じ流れなのでしょう。
ということは、もしかして、
現代語でもア行五段活用は無い、
とか。
「行け!国語辞典!」
「ピカー!」
ありませんでした……。
さらに眺めてみると、
ア行で上一段・下一段活用する動詞は、
古典ではそのほとんどが、
ア行ではなかったようですね。
例えば、
「悔いる」は古典では「くひる」ですし、
「越える」は「こへる」、
「居る」は「ゐる」です。
例外は、
「射る」が古典でも「いる」なのと、
「得る」が古典で「う」であること
くらいしか見つかりません。
しかし、
そのうちの「射る」はヤ行だったのではないか
という説もあるようですので、
「う」→「得る」が、
ア行で活用するほぼ唯一の例外でしょう。
さて、ここまで放置していた「放る」の正体です。
放り投げる、放り出すなどと
色々なバリエーションを持つ「放る」ですが、
なんと、「ホウ」は
音 読 み
でした。
ですから、
「放る」という使い方は、
文化庁の常用漢字表に無い読み方、
いわゆる表外音訓だったのです。
もちろん、こんなことはテストに出ません。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義