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2020.04号
先日、どこかの授業中にカルデラの話をしました。
確か新小5の文系(社会)の時だったと思いますが、中学生の社会の解説だったかもしれません。
『鬼界カルデラという巨大なカルデラが海の中にあって、こいつが大噴火したときは、当時九州南部に住んでいた人たちが全滅した』
……という話ですが、覚えている方はいますでしょうか。
その時に、確かこのあたりがそのカルデラ、と言った場所が、実はウソでした。
すみません。
ウソ好きなんです。
私がウソつきであることは、小学生の皆様でしたらよーくご存じかとは思いますので、まあ今更ではあるのですが。
というかですね、昔一度これを調べたときは、どうがんばっても、正確な場所がわからなかったんですよ。
今みたいに検索が万能じゃなかったですし、ネットにアクセスする人は多くても、自分でサイトを開いているのはほんの一握りで、確かグーグルが出てくる前で、ブログという言葉が世に出る前だったはずです。
それが今検索すると、もう本当にあっさりと情報が捕まりましたので、訂正を込めてカルデラ話をしていこうかと思います。
まずは、カルデラというものの説明から改めてしておきます。
有名なのは阿蘇のカルデラですよね。
カルデラとは、火山の噴火によって、その上部が無くなったものです。
という話だけだと、単なる噴火口のことみたいですが、もっと大規模な「穴」です。
例えば阿蘇は、その大きさが半端なくて、その内側には町があり、牧場があり、田んぼが広がり、電車が通っています。
もちろん人も住んでいます。
この、「外輪山」が、元々の山裾です。
このクラスの山が噴火して、へこんでしまった内側に、さらに噴火によって新しく山ができたのが、今の阿蘇です。
阿蘇山遠景
カルデラ内部の牧場
ところで今、噴火で「へこんだ」と書きましたが、授業では「上が全部吹っ飛んだ」なんて言い方をしたような気がします。
しかしよーく調べてみたら、吹っ飛んでできたようなカルデラは、小型のものだけのようですね。
阿蘇レベルの大型カルデラになると、中央部分の陥没によるものか、環状に溶岩ドームが形成されたものか、そのどちらかで形成されるようです。
阿蘇の場合は、陥没カルデラにあたります。
次の図は、阿蘇と同じ陥没カルデラの作り方です。
火山が噴火する前の段階では、その地下にはマグマだまりと呼ばれる空間ができていて、文字通りマグマが溜まっています。
※ 地下にある時はマグマですが、これが地上に出ると溶岩……でいいはず。
そして火山の噴火が大規模に起こって、地下のマグマが一気に抜けてしまうと、そこにできた空間が山の重みに耐えられずに、潰れてしまいます。
その結果、山が内側に崩壊してしまえば、めでたくカルデラのできあがりとなります。
中に雨が溜まれば、きっとカルデラ湖となることでしょう。
阿蘇の場合は、大きい噴火が4回ありました。
その度に、徐々に噴火口の崩壊が進んで、カルデラが広がっていったと考えられています。
なお、阿蘇の外輪山を作ったのは溶岩というより、主に火口から噴出した堆積物のようです。
そしてその最後4回目は特に大規模の噴火となって、火砕流も160km先の山口県まで広がったことがわかっています。
阿蘇の位置と大きさ
山口県、結構遠いですよ。
火砕流とは、見た目でいえば、「斜面に沿って流れてくる煙」です。
本質的には噴煙と同じ高温のガスで、それが斜面に沿って流れ下ってくる場合に火砕流と呼ばれています。
火砕流(雲仙普賢岳)
阿蘇が最後に大噴火をしたのは、9万年前のことでした。
しかしその頃はまだ、日本列島には人類は住んでいなかったと考えられています。
ところが、人類が日本に住みだしてから、文明を破壊するほどの大規模な噴火も、日本で起こっています。
それが、今回冒頭に挙げた「鬼界カルデラ」の話です。
鬼界カルデラは、鹿児島の南の海中にあります。
というわけで、ようやくこれが本題なのですが、正しい場所はこちらです。
鬼界火山が最後に大噴火を起こしたのは、7300年前です。
縄文時代のことでした。
この大噴火によって吹き上げられた火山灰は、関東を遙かに超える範囲まで降り積もりました。
この火山灰の層は、アカホヤと呼ばれています。
火砕流も広範囲に達しました。
ところで、縄文時代の初期(縄文早期)の頃の土器は、全国的に底部がとがっているものが主流でした。
そんな中、九州南部では、底の平らな円筒形土器が使われていました。
しかし7300年前のアカホヤを境として、円筒形土器が見られなくなります。
これは、鬼界火山の噴火によって、円筒形土器を使う人たちが絶えてしまったからだと考えられています。
これが、冒頭の「九州南部の人たちが全滅」という話の根拠です。
まだ他にも書きたいことがありますので、次回も続けます。
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義