2018年3月

あすなろ116 トカゲとイモリ・ヤモリ(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2011.06号

 

トカゲを見かける季節になりました。

 

トカゲといえば、この近辺の里で見られるのは、まず「ニホンカナヘビ」です。

つやの無い茶色い種類で、尾が特に長いのが特徴です。

 

……なんて書くと、「それ普通のトカゲ」なんて言われそうですが、今書いた二点は、他種にはない特徴なんです。

これが日本の庭先で一番多く見られる種類なんですが、それでも一応、日本列島にしか棲息しない、日本固有種です。

 

筑波の自宅周辺でも、見かけるトカゲは、やっぱりカナヘビばっかりです。

ですから、この近辺にはカナヘビしかいないのかと思っていましたら、筑波山にはニホントカゲがいました。

 

 

ニホントカゲは、カナヘビ類とは違って、体がつやつやのピカピカです。

このツヤっぷりは、ニシキヘビやアオダイショウのような感じです。

尾はカナヘビほどは長くなくて、子供の頃は尾が青い金属のように光っています。

成体になると色が変わって、全体的に赤茶色のピカピカになります。

あと、カナヘビよりも敏感で、すぐに逃げます。

 

子供の頃、愛知県の実家周辺では、ニホントカゲもカナヘビも同じように普通に見ることができました。

ところが、色々と調べてみると、どうやらそういう地域は、少なくとも現在では少数派のようです。

この差が、時代的なものなのか地域的なものなのかはわかりません。

 

しかし一般に、カナヘビの方が「街に強い」ようです。

 

カナヘビは、三メートル程度の立木になら登ることがあります。

しかしニホントカゲは、垂直な壁には登れません。

ですので、ブロック塀に囲まれた空間ができると、カナヘビは出入り自由ですが、その中のニホントカゲは個体数の関係から絶滅してしまうことがあるようです。

 

さらに、「カナヘビは茂みに逃げ込み、ニホントカゲは石の下に逃げ込む」なんて記述も見つかりました。

確かに、筑波山で見たときも、河原のそばでした。

ということは、ブロック塀の少ない田舎になると、今度は田畑と草むらばっかりになるので、やっぱりカナヘビ向けの環境なのかもしれません。

 

こんな差が、庭先で見かける頻度の差になって現れてきているようです。

私の子供の頃は、大抵の家では、裏口同士がこんにちは状態で、敷地が壁で仕切られているなんて滅多にありませんでしたから、今とはやっぱり違うんでしょうね。

 

ウチの子もやっていましたが、カナヘビを飼うのは簡単です。

プラケースは登れませんから、土を敷いて、水を与えて、日向において、適当にエサの虫を放り込むだけで飼えます。

そういう意味では、一番身近な野生動物ともいえるでしょう。

 

以前(2004/7.NO.33)、この近辺に棲(す)むカエルは多分8種類しかいないだろう、なんて記事を書いたことがありますが、トカゲなんて、この2種類だけです。

身近な動物なのに、案外種類がないものです。

 

トカゲは、爬虫類(正確には爬虫綱)の有鱗目(ゆうりんもく)に分類されます。

 

――そうそう。「はちゅうるい」は、「爬虫類」です。

漢字を知らないおこちゃまが、交ぜ書きで「は虫類」と書くのは仕方ありませんが、「ハチュウ類」などと片仮名に直す行為は、日本語では「愚の骨頂」といいます。

 

お前のことだよ文部科学省!

 

現在、理科の教科書では、爬虫類は「ハチュウ類」、哺乳類は「ホニュウ類」という表記になっていますが、なぜか鳥類は「鳥類」だし、魚類は「魚類」だし、両棲類は「両生類」です。

脊椎動物は「セキツイ動物」ですが、節足動物は「節足動物」です。

きっと、

「今時のガキ共は、画数の多い漢字を書けないバカ揃いだろうから、書かずに済むように片仮名にしておいてやるよガハハ」

という、老人達の優しい心遣いなんでしょうね。

反吐が出るわ。

どうせやるなら、チョウ類とかギョ類とかやってみろよ、と常々思っております。

 

バカと思われないように、漢字は書けるようにしておきましょう。

 

閑話休題。

 

爬虫綱の有鱗目には、他にヤモリ、ヘビの仲間が属しています。

 

このうち、ヘビは6~8種ほど棲んでいるようなのですが、ヤモリは、関東ではニホンヤモリ1種のみです。

 

ヤモリというと、多くの人がイモリとヤモリってどっちがどっち? なんて話になってしまうので、ここで紹介します。

 

 

イモリは両棲類で、水中に棲みます。

 

江戸時代、江戸の町中には川から上水が引き込まれていて、所々で「井戸」として活用されていたのですが、ここによくイモリを住まわせていました。

ボウフラを食べてくれるから、というのと、井戸に毒を入れられてもイモリが赤い腹を向けて死ぬのですぐにわかる、というのがその理由だそうです。

だから、「井守」なのです。

 

対するヤモリは、「家守」です。

人里に棲み、かつては時に住居に入って虫を食べていました。

足が吸盤状(正確には吸盤ではない)になっているので、ガラス程度なら登れます。

塾周辺にも、夜になると時々現れて、明かりに来た虫を食べています。

 

しかしニホンヤモリは、どうやら外来種であり、少なくとも江戸時代初期には、関東に棲んでなかったようです。

今でも、下妻駅前にはいるのに、私の自宅周辺のような、田んぼに囲まれた集落には棲んでいません。

森林にもいません。

人間の住みかにくっついて生息域を広げた動物だということです。

 

ヤモリも簡単に飼えます。

飼い方はトカゲと基本的に同じです。

ただしプラケースの壁を登りますので、蓋は必要です。

 

私も2年ほど飼いました。

かわいいですよ。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ59 黄禍論(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2006.09号

 

盆は実家に帰ってきました。

 

例年通り、お寺さんに行って、ご先祖様の位牌にお参りするわけですが、ふと気づいたことがあります。

 

……賽銭箱って、仏教だっけ?

違うよな。

 

この、ところかまわず賽銭を投げたがる国民性は、こうやって醸成されてきたのかとしみじみ感じつつも、宗教ですら何でもありという日本人特有の感覚は、西洋人には理解できないだろうなあと思う今年の夏でした。

 

今はともかく、かつての西洋人にとって、理解を超えた東洋人~特に日本人~がどう見られていたか、そのあたりの話をちょっと書いてみます。

どうも、今の世界史の教科書には、そのあたりが掲載されていないようですので。

 

幕末のあたりから始めてみます。

 

1867年、パリにて第二回万国博覧会が開催されます。

このとき、江戸幕府は万博に参加、出品しました。

出品したものは、養蚕関連・工芸品・紙などだったそうです。

その内容は高く評価され、最高賞であるグランプリメダルを受賞します。

 

1873年、次のウイーン万博が開催された際には、日本は明治政府として正式に参加しています。

そしてこれをきっかけに、ヨーロッパ全土には猛烈なジャパンブームが巻き起こります。

ゴッホやモネが、日本の文化や芸術によって強い影響を受けたのは、ちょうどこのころです。

これは有名な話ですね。

 

ところで、ちょうど同じ頃、アメリカ・カナダ・オーストラリアといった白人の移民・開拓地において、東洋人(特に中国系の移民)が徐々に増えてくるようになりました。

 

中国では清朝が衰退して、西洋諸国に植民地化されたため、半ば難民化した人々が、海外に新たな生活を求めたのでした。

 

中国人達は、先に入植していた白人達のもとで働くことになりました。

彼らは低賃金でも文句を言わず、大変真面目に働きました。

安い賃金でよく働く姿は、今の中国人にも通じるものがあります。

そしてそれは怠慢な西洋人に対して、かなりのカルチャーショックを与えたのでした。

 

結果的に、中国人は白人の雇用を圧迫することとなり、それはやがて、白人の脅威と嫌悪の対象となります。

このまま街に黄色人種があふれつづけたら、将来、逆に白人が追い出されてしまうかもしれない……

 

こうした一連の恐怖妄想のことを、黄禍論(Yellow peril)と呼びます。

 

  

 

このように始まった黄禍論ではありますが、やがてその対象が、当初の中国から少々変わってくることになります。

日本という東洋人国家が、徐々に世界の表舞台に現れ始めたからです。

 

この野蛮な小国は、日清戦争を通じて植民地合戦に参加するようになり、続く日露戦争では、当時世界最強だったロシア帝国の艦隊を、なんと壊滅させてしまいます。

その後の第一次世界大戦のころには、欧米諸国は日本を列強と認めざるを得ないところにまで来ていました。

 

ただ、白人としては、日本の力を認めざるを得ない一方で、劣っているはずの有色人種が発言力を高めるのが、内心おもしろくありません。

その鬱憤は、色々なところであらわれることになります。

当時の風刺画を見ると、その感情の片鱗を見ることができます。

 

 

「猿の惑星」という映画をご存じでしょうか。

「宇宙飛行士のテイラーは、時間を超えてある惑星に不時着した。しかしそこは、猿が人間を奴隷として扱う世界だった」

という話で、その舞台となる星は、実は未来の地球だったというラストを迎えて終わります。

 

この映画の原作者ブールはフランス人で、アジア人労働者を使役するプランテーションを経営していました。

大東亜戦争が始まると、自由フランス軍として諜報活動をしていたのですが、捕虜として日本軍に引き渡され、強制労働に従事することになります。

 

ブールにとって、東洋人とは単なる労働力であり、もしかしたら奴隷と同等だったかもしれません。

それが当時の白人にとって、一般的な考え方でした。

ところがそれが、逆に支配されて働かされてしまうのです。

この主従逆転経験が、この作品を生んだ土壌になったと言われています。

劇中における猿は、日本人をイメージしているのです。

 

つまり猿の惑星も、黄禍論の一種といえるかもしれません。

そしてある意味、第二次世界大戦が、黄禍論の頂点であるともいえます。

 

詳しくはここに書きませんが、白人国同士は、露骨ともいえる方法で共謀して日本を追いつめ、日本を開戦させることに成功しました。

(詳しくは、「ABCD包囲網」「ハルノート」あたりの言葉を調べてみてください)

 

日本降伏後は、対日戦争とはおよそ無関係な白人国家までが戦後賠償を請求しています。

その結果日本は、スイス、スウェーデン、カナダ、ギリシャ、アルゼンチン、イタリアなど、戦争した覚えもない国に対して多額の賠償金を払うことになったのでした。

 

捕鯨規制も似たようなものです。

槍玉に挙げられるのは日本だけで、同じ捕鯨国家であるノルウェーやデンマーク、アイスランド、エスキモー達はまったく非難されていません。

例によって、捕鯨とは無関係の白人国家(海のないスイスとか)及び元植民地(元宗主国の影響が大きい国家)までしゃしゃり出て、日本非難運動を繰り広げました。

 

これもやはり、現代になお残る黄禍論と言えるでしょう。

黄色い猿の作ったソニーやホンダが売れるのが面白くない、という腹いせ以外に見えません。

ちょうど、貿易摩擦とか言われていた頃ですし。

 

ただ、この一連の運動に関しては、最近はだいぶマシになってきたようです。

これは私見ですが、日本の科学的根拠に基づく主張に、徐々に論破されてきたからではないかと思われます。

いわゆる「自然保護団体」の感情論には、実際に調査捕鯨して出した膨大なデータに対抗できるものなんて、最初からありませんからね。

 

西洋人に洗脳されちゃった人もいるかもしれませんので、一応簡単に説明します。

 

鯨(特にハクジラ)は、見ての通り海洋生態系の頂点です。

あの巨体を維持するのには、すさまじいまでの量の魚を必要とします。

 

さて、最近の地球では、人口が増えて漁業資源の需要が増える一方で、環境破壊などによって魚の数は減っています。

そんなときに、大量の魚を馬鹿食いする鯨を大事に大事に保護すると、一体どうなるでしょうねえ?

 

先日、サッカーの中田選手が、イタリアにおいて人種差別的な発言を受けたという記事がありました。

今でもこれが、白人の素直な感情なのかもしれません。

ただ最近では漫画やアニメの影響から、日本を憧れの聖地とみなし、日本人になりたくてたまらない白人もかなり増えているようですので念のため。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ145 蛇の文化史(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2013.11号

 

郵便局が年賀状の予約を始めたようで、私の所にも卒業生(郵便局員)が営業に来ました。

もうそんな季節なんですね。

 

そういえば、今年は巳年だったはずですが、こういうものは年末年始を過ぎると忘れきってしまうものですねと実感しています。

 

聖獣とか神獣とかいう言葉があります。

ヒンドゥー教におけるウシなんかは有名ですよね。

そこまでじゃなくても、十二支の動物も、ある意味聖獣なのだろうと思います。

 

そしてその中でもヘビは、民族を問わず「聖なる動物」として扱われることが多いようです。

 

人類は歴史的に、自身の力の及ばない生物に畏怖し、信仰の対象としてきました。

 

例えば、ライオンはエジプトでは神獣スフィンクスのモデルとなっています。

日本にも獅子として伝わって、正月に獅子舞をやったり、神社の門前で狛犬になってみたり、お寺で文殊菩薩を乗っけたりしています。

 

ゾウは古代インドでは世界を背中に乗せてみたり、ヒンドゥー教のインドラ神を乗せたりしています。

日本では普賢菩薩を乗せています。

また、擬人化したらヒンドゥー教ではガネーシャ神ですし、それが日本まで来ると歓喜天(かんぎてん)となります。

 

同じように、クマも世界各地で信仰の対象となっています。

ただトラは、四獣(四神)の白虎以外では、ワルモノ扱いされることのほうが多いようです。

日本でも、ヌエになって京の街に現れたこともありますし。

 

そして、ヘビも同じように、世界各地で信仰の対象となっています。

 

日本では、神の使いとしての白蛇が有名です。

また昔話では、ヘビが人間の男または女となって、人間と契りを交わす話が多々あります。

人間と契って子を産む動物の話は、ヘビ以外にはあまり聞きませんので、やはり少し特別な動物と考えられていたのかなあ、なんて解釈をしています。

 

中華圏で皇帝の象徴とされる竜も、ヘビをモチーフにしていることは自明でしょう。

先に挙げた四獣の一つである玄武は、ヘビがからみついたカメの姿をしています。

 

諸外国でも、ヘビは神獣として扱われています。

アステカのケツァルコアトルという、羽毛の生えたヘビは有名ですよね。

エジプトのファラオ像の頭にもヘビはくっついています。

インド神話にも、ナーガという名前の蛇神がたびたび出てくるみたいです。

 

と、いろいろあるわけですが、今回私が「ヘビが象徴するもの」として真っ先に思い出したのは、こんなものでした。

 

 

これ、第二次世界大戦中のドイツ軍の階級章(肩章)なのですが、通常の階級章にヘビのモチーフが追加されています。

実はこのヘビは、軍医であることを表しています。

 

本当はヘビの入った部隊マークもあったのですが、インターネットを英語でひっくり返しても、私の実力では見つけられませんでした。

(実家に帰れば資料があるんだけどなあ)

 

そして、このヘビの元ネタはこれです。

 

 

アスクレピオスとは、ギリシャ神話に登場する凄腕の名医です。

あまりに凄腕すぎて、ついには死者まで生き返らせてしまうようになったので、生死の秩序を乱すとしてゼウスに殺され、医学の神となったのだそうです。

そんな話から、今でも西欧諸国では、医療のシンボルとして、ヘビ付きの杖が使われています。

 

 

スターオブライフは、最近では日本でも、病院所有の救急車では見かけることが増えました。

日本医師会も、最近になってヘビのマークを使い始めたようです。

 

ところで、アスクレピオスにはヒュギエイアという娘がいて、父同様にヘビを連れています。

この娘が、アスクレピオスの脇で薬の入った壷や杯を携えていることから、今度は薬学のシンボルとして、ヘビを伴った杯が使われることがあるようです。

 

 

またこれとは別に、ヘルメスの杖というものがあります。

2匹のヘビがからみついていて、さらに翼があるのが特徴です。

 

 

ヘルメスは商売と旅の神なので、こちらはよく商業の象徴として使われています。

日本でも一橋大学や、日本各地の商業高校の校章として採用されています。

ですが、同じヘビ付きの杖ということで、どうもこれとアスクレピオスの杖を混同して使われているような例があります。

そんな恥ずかしい例が、なんと米軍にあります。

 

 

やっちまったか米軍!

……と思ったのですが、同時にこういうマークもあるんですよね。

共に米陸軍なのですが。

 

 

結局、わかっているのかわかっていないのか、よくわかりません。

 

ところでヘルメスは、商売の天才であると同時に、泥棒と嘘の天才でもあります。

つまり、「商売人ならば、嘘つきで泥棒であれ」……ってことですよねコレ。

西洋人が、商売に対してどういう考えを持っているのか、とてもよく分かる好例でした。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ156 「とう」と「とお」の違い(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2014.10号

 

「小人閑居して不善を為す」という言葉があります。
 
小人(しょうじん)とは、
つまらない人間という意味です。
 
閑居はヒマでいること、不善は善の反対ですね。
 
つまり、
「つまらない人間は、ヒマを持てあますと碌(ろく)なことをしない」
という意味です。
 
 
 

要するに私がそれなんですけど、
ヒマになると碌でもないことばかり考えています。
 
今回は、そんな脳内で考えた事の紹介です。
 
 
 
「通り」という言葉があります。
 
ひらがなで書くと「とおり」です。
 
「とうり」ではありません。
 
他にも、「遠い」は「とおい」です。
 
しかし、「冬至」は「とうじ」です。
 
 
 
何が違うんでしょ。
 
何でしょうね。
 
 
 
経験的に、
「オ段」を伸ばすときに
「オ」と表記する言葉は、
「ウ」と表記する言葉に比べて
少数派だろうということはわかります。
 
では、その少数派の
「オ」表記の言葉を集めてみましょう。
 
 
 


とおり(通り)

 

とおる(通る)

 

とおい(遠い)

 

こおり(氷)

 

こおる(凍る)

 

おおきい(大きい)

 

おおい(多い)

 

おおう(覆う)


 
 
 
発見しました。
 
これ、みんな和語ですね。
 
和語とは、漢字が伝わる前から
日本にあったと思われる言葉です。
 
もう少し違う言い方をすると、
訓読みの言葉が和語です。
 
 
 
つまり、日本語の本来の発音は
「トオ」
なんですよ。
 
それが、漢字が大陸から入ってきた時に、
「冬という文字の読み方はトウである」
と伝えられたのでしょう。
 
ということは、最初のうちは、きっと「冬至」も
「トージ」や「トオジ」とは読まずに、
「トウジ」と、
「ウ」をウとはっきり発音していた可能性があります。
 
可能性があるというよりも、
実際にウと発音していたでしょうね。
 
つまり、ゆっくり読むと
「ト・ウ・ジ」です。
 
 
 
かな文字は、漢字から作られたものです。
 
ですから当然、漢字よりも後から使われ始めています。
 
すると、
「とおい」
とひらがなで書いている頃には、
「冬」
という言葉は、日本にもう来ていたはずです。
 
そんな時、
「冬」って漢字に、読み仮名をつけて
読みやすくしようかなーとしましょう。
 
「冬」に「トウ」と読み仮名をつけて、
「これはトオって読むんだよ」
 
……なんてやりませんよね。
 
 
 
そもそもひらがなは、日本語の発音に合わせて
書く文字として登場しています。
 
片仮名なんて、漢字の読み仮名として
書き込んだのが始まりだと聞いています。
 
それなのに「トウはトオと読みましょう」なんて
ルールを作るわけが無いですよね。
 
 
 
ともかく、その後時代を経るに従って、
この二つの読み方は収斂していって、
共に「トオ」と同じ発音になってしまったのでしょう。
 
というわけで、和語はみんな、
オ段の伸ばす音を「オ」と書くのでしたー。
 
はい、無事解決ですねー。
 
 
 


ほうる(放る)

 

もうす(申す)


 
 
 
あれ?
 
いや、あれ?
 
え?
 
 
 
「放る」はともかく、
「申す」が漢語ってわけがないですし、
音読みでもありません。
 
 
 
もしかして、昔は
「もおす」と書いていたとか?
 
古語辞典を引いてみましょう。
 
 
 


「もおす」→なし

 

「まうす(申す)」


 
 
 
あっ……
アホだ俺。
 
そういやそうですよねー。
 
「申す」は昔は「まうす」だったんです。
 
当然読み方も「マウス」だったことでしょう。
 
それが今、
「モース」という発音になってしまっているので、
それに合わせて書き直されているだけなんですね。
 
 
 
ついでに、
「とおり」なども
古語辞典で確認しておきましょうか。
 
 
 


とほり(通り)

 

とほる(通る)

 

とほし(遠し)

 

こほり(氷)

 

こほる(凍る)

 

おほき(大き)

 

おほし(多し)

 

おほふ(覆ふ)


 
 
 
あ~~~~。
 
そっかー。
 
前言撤回。
 
 
 
日本語の本来の発音では、
通りは「トオリ」ではなくて
「トホリ」だったんですね。
 
つまり、
現代語で長音の時に「オ」と書くものは、
昔はみんな「ホ」だったと。
 
ホと発音していた言葉が、
時代を下るに従ってオに変化していったと。
 
そうだったのですか。
 
 
 
今回のように、
古典ではハ行で使われていた言葉が、
現代語ではア行に入れ替わって使われる例は
たくさんあります。
 
例えば、会うは昔は「あふ」でしたし、
臭うは「にほふ」、
食うは「くふ」、
舞うは「まふ」……。
 
 
 
待てよ。
 
 
 
まさか、現代語で「う」で終わる動詞は、
全部「ふ」だったとか……?
 
 
 
古語辞典巻末の活用表を見てみました。
 
四段活用の表に、「ア行」はありません。
 
 
 
もう何年も動詞の活用表を見ているのに、
これまで全く気づいていませんでしたわ。
 
 
 
活用とは、
動詞・形容詞・形容動詞の語尾が、
使われ方によって形を変えることです。
 
その変わり方をまとめて表にしたものが
活用表というものです。
 
 
 
活用の仕方は、
現代語と古語では少々違いがあります。
 
例えば、先ほどの「会ふ」は、
 
 

 
 
と、語尾が「アイウエ」の四段に変化しますので、
四段活用と言われています。
 
これの場合は、
「ハヒフヘ」と変化していますので、
ハ行四段活用と呼ばれています。
 
 
 
それに対して、現代語の「会う」は、
 
 

 
 
あ、ちょと待った。
 
先ほど、古典のハ行がア行になったとしましたが、
違いますね。
 
ハ行はワ行になっていますね。
 
やはりこちらも、時代と共に
発音がそう変化していったのでしょう。
 
先ほど挙げた
「会う」「臭う」「食う」「舞う」は全て、
ワ行五段活用ですから。
 
考えてみれば、
格助詞の「は」を「ワ」と発音するのも、
きっと同じ流れなのでしょう。
 
 

 
 

ということは、もしかして、
現代語でもア行五段活用は無い、
とか。
 
 
 
「行け!国語辞典!」
「ピカー!」
 
 
 
ありませんでした……。
 
 
 
さらに眺めてみると、
ア行で上一段・下一段活用する動詞は、
古典ではそのほとんどが、
ア行ではなかったようですね。
 
例えば、
「悔いる」は古典では「くひる」ですし、
「越える」は「こへる」、
「居る」は「ゐる」です。
 
 
 
例外は、
「射る」が古典でも「いる」なのと、
「得る」が古典で「う」であること
くらいしか見つかりません。
 
しかし、
そのうちの「射る」はヤ行だったのではないか
という説もあるようですので、
「う」→「得る」が、
ア行で活用するほぼ唯一の例外でしょう。
 
 
 
さて、ここまで放置していた「放る」の正体です。
 
放り投げる、放り出すなどと
色々なバリエーションを持つ「放る」ですが、
なんと、「ホウ」は
 
音 読 み
 
でした。
 
ですから、
「放る」という使い方は、
文化庁の常用漢字表に無い読み方、
いわゆる表外音訓だったのです。
 
 
 
もちろん、こんなことはテストに出ません。
 
 
 
学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ194 チバニアン(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2017.12号

 

チバニャン来ましたねえ。ほぼ確定なんだそうですね。

 

この話は確か、半年くらい前からありまして、当時のネット上では半分ネタ扱いだったのですが、正直言って本当に通っちゃうとは思っていませんでした。

 

ご存じの方はご存じでしょうが、地質年代の新名称の話です。

 

この度、77万年前から12.6万年前までの時代は、チバニアンと呼ばれるように「内定」しました。

千葉県市原市にある地層が、この地質年代の世界基準となることになったというわけです。

生物学で言うところの「タイプ標本」に決まったというわけですね。

この場所が基準とされる決め手となったのは、77万年前の地磁気反転の様子が、もう一つの候補であるイタリアの地層よりも明瞭だったから、なのだそうです。

 

……と、先日たまたま見えた千葉テレビでも、女性アナウンサーが嬉々として放送しておりました。

が、この人はどこまでその意味を理解してしゃべっているのかなあ、なんて思ったものですから、今回はそんな話です。

 

まずは、「地磁気反転」という言葉の意味について、といったあたりでしょうか。

 

地磁気とは、地球の磁気です。地球は巨大な磁石となっていて、北にS極、南にN極があります。

ですから、地球上に磁石を置くと、置いた磁石のN極は、地球の北にあるS極に引かれて北を向くわけです。

 

次は、地球が磁石になっている仕組みです。

 

地球の中心部には、核と呼ばれる巨大な鉄の塊があります。

この核のうち、最深部にある内核は、鉄の固体です。

しかしその周囲の外核は、高温の液体の鉄だということがわかっています。

そしてその鉄が対流することで、磁場が発生していると考えられています。

 

なぜ鉄の対流で磁場が発生し続けるかは、ダイナモ理論というのがあるのですが、あのですね、これ、何度読んでも理解できないんですよね。

要するに、磁場の中を電導性の流体が流れると電気が発生して、それによって磁場ができるからまた電気が発生して、だからずっと磁力を維持できる、という話なんだってさ。

へー。

ふーん。

 

おおざっぱには、電磁誘導とその逆みたいなもんだと思っちゃってもいいらしいです。

 

では、外核が対流する理由はというと、内核の熱による熱対流と、地球の自転による力との複合効果だと言われています。

 

また、最初に対流が起こったきっかけは、マントル内部に大陸プレートの残骸が蓄積され続けた結果、マントルを突き抜けて外核まで落下したためという説もあります。

これは、プルームテクトニクスという話にもつながるのですが、今回は別にいいですよね。

 

※ 2006年4月(No.54)に、そんな話を書いています。

 

ともかく、外核の鉄の対流で磁力が発生していますので、なんらかのきっかけでその流れが乱れると、磁力の向きが変わってしまって、地磁気が逆転することがあります。

そのあたりも、力武モデルという理屈があるのですが、これもまた、さっぱりわかりませぬ。

 

ところで、今挙げた「力武(りきたけ)」は、日本の地球物理学者の名前です。

いや、そもそも、世界で最初に地磁気反転説を提唱したのは、日本の地球物理学者の松山基範です。

そしてその功績から、258万年前から77万年前までの、地磁気が今と逆転していた時代は、「松山期」と名付けられています。

 

松山期のあと、77万年前から現在まではブリュンヌ期というのですが、そのブリュンヌ期を細分化したうちの最初の時代を、千葉期(チバニアン)と命名しよう、というのが、今回のお話なのでした。

地質時代に日本名が付くのは、千葉が最初ではないのです。

 

この77万年前の境界がはっきりと観察できるのは、今のところ世界で3カ所だけで、そのうちの一つが、冒頭の千葉の市原にある地層なのだそうです。

 

この市原の地層を調べた結果、地磁気逆転の年代がそれまでの定説より1万年ずれていたことが、2015年に判明しています。

そしてその研究と、今回の千葉時代の提唱をしたチームのリーダーは、茨城大学の岡田教授です。

 

我らが茨城大も、何気にすごいです。

 

ただこれは、地磁気を観測している「気象庁地磁気観測所」が、茨城県石岡市の柿岡にあるということも関係ありそうです。

 

この柿岡(旧八郷町)では、1912年(大正元年)からずっと、地磁気の観測が続けられてきました。

現在では、「赤道間電流の強さの指標を決定する観測所の一つ」となっています。

あ、わからなくてもいいです。

ちなみにこれは、世界に4ヶ所しかありません。

 

ともかくそんな場所であるため、ここでの地磁気の観測に影響を与えないように、特に周辺地域の鉄道には、電流の扱いについては厳しい規則が法律で定められています。

 

鉄道好きはご存じかもしれませんが、常磐線の「取手~藤代」間には、電気が切れる場所があります。

かつては、電車がここを通過する瞬間、車内灯が一瞬停電していました。

今は電灯を消えないようにバッテリーを積んでいますが、モーターやエアコンは今でも何秒間かだけ停止します。

 

これは、地磁気観測所に影響を与えないように、直流と交流を入れかえるためです。

つくばエクスプレスの「守谷~みらい平」間にも、同じくこういう場所があります。

 

この近辺で電車を通すには、こういったコストのかかる仕組みが必要となるために、電化をあきらめた鉄道もあります。

それが、当塾の目の前を通る関東鉄道常総線です。

常総線が今どき、北国でも無いのにディーゼルの車両を走らせているのは、そんな理由です。

 

実は案外、茨城に関係の深い話なのでした。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ54 プレートテクトニクス/プルームテクトニクス(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2006.04号

昨年夏、お子ちゃま達の間で、ムシキングが大流行しましたね。

 

今度は、「恐竜キング」だそうです……。

販売元は、ムシキングと同じセガ。

 

カブトムシと恐竜は、男ならば一度は通る道だと昔から法律で決まっています。

だから、いつかはどっかがやるのではないかと思っていました。

もちろん、我が身近な幼稚園児は、お友達共々販売戦略に乗りまくっております。

構造が単純すぎるぞお前ら。

 

恐竜といえば、次の話題として絶滅の謎が来るのがお約束。

今はユカタン半島の巨大隕石説が有力です。

異論はありますけど。

しかし、それ以外にも古代生物の大量絶滅は何回もありました。

それがすべて隕石のせいだったわけではありません。

その原因として最近有力な学説を説明するために、大陸移動説(プレートテクトニクス)から始めてみます。

 

地球の表面を覆う「地面」は、何枚かのプレート(板)に分かれています。

その内側には、マントルという流動性のある高温の物質(固体ですけど流れるんです)が詰まっていて、プレートはマントルに浮かんでいます。

そして大陸を乗せたプレートは、マントルの流れに乗って移動する、と。

厳密にはアレですが、だいたいそんなイメージです。

 

そして、そのプレート同士がぶつかって、片方のプレートが沈み込んで行く場所が海溝であり、日本の地震はそこで発生している、という話まではきいたことがあるのではないでしょうか。

 

 

ところが、プレートが移動する方向と、その源であるマントルの対流は、常に一定というわけではありません。

 

地球という惑星ができた頃の話。

 

地球は最初「火の玉」で、そこから冷えていったことはご存じだと思います。

その冷える過程にもいろいろとあって、一定速度で冷えたわけではないのですが、まあ結局は表面が冷え固まって、中層は流動性を持ち、最下層が熱いままで残っているという、今の地球のような状態になりました。

これがだいたい四十億年前です。

同時にこのころ、生命が誕生したとされています。

 

そしてまた同時に、マントルは自然に対流を始めたと考えられています。

私なりの解釈をすると、湯を沸かしたときと同じでしょう。

下に熱源があり、上部は冷める場所。

暖まったり冷めたりしながらぐるぐる対流します。

プレートもその動きに従って、できあがったり沈んだりしています。

 

ところで、沈んでいったプレートはその後どうなるのでしょう。

 

地球の内部は、中心に近づくにつれて、ものすごい圧力がかかっています。

そのため、内部はマントルの下層の部分でも既にかなりの高密度な状態になっています。

 

マントル内に放り込まれたプレートは、周囲に対して冷えているので、とりあえず中へ中へと沈んでいきます。

しかし奥の方はそれ以上に高密度なため、だいたい670kmの深さから下には沈降しなくなり、残骸がその付近一帯に蓄積されていきます。

そしてあるとき、たまりこんで大きな塊となった残骸は、深いところに向かって沈下を始めます。

 

大きい塊が沈んでいくと、その分だけ大きい塊が奥から表面へ向かって押し出されて上昇を始め、やはり670kmの深さで滞留します。

この上下動する塊は、ちょうどキノコ雲(プルーム)のような形になりますので、これまでの一連のマントル内での動きは、プルームテクトニクスと呼ばれています。

 

 

マントルはこのように、地球各地で対流をおこしているのですが、その流れは次第に一つの大きな流れに収束していきます。

最終的には、上昇が一カ所、下降が一カ所という、大変おおざっぱな動きになっていきます。

 

すると、マントルに従って移動していたプレートも、マントルが下降する地点である一点を目指して集まってくるようになります。

地球上の陸地は、全てがその場に集中し、世界唯一の大陸=超大陸ができあがります。

超大陸は、地球ができてからこれまでに、少なくとも3回出現したと云われています。

 

超大陸の地下には、世界中のプレートの残骸が集積します。

そしてある時、それはすさまじく巨大なプルームとして、地球内部に向かって沈降を始めます。

するとどうなるか。

 

その反作用としての上昇プルームも、その規模はものすごいものとなるため、いつものように670kmでとどまることなく、地表にまで達してしまいます。

また、実験の結果によると、プルームが上昇する地点は大陸の真下になるそうです。

 

地球内部から押し出された巨大な熱い塊が、大陸を真下から突き上げます。

大地は裂け、大噴火が始まります。

熱と共に溶岩と二酸化炭素と水蒸気が大量に吹き上げ、地球全体の気温は上昇します。

そしてマントルの流れは変わり、こんどは大陸を引き裂くようにプレートが移動を始め、また新たな陸地を形作り始めるのです。

 

最後にこれが起こったのは、およそ2億5千万年前のことでした。

この時には気温の上昇により、土中に閉じこめられていた圧縮メタンが大気中に放出され、温暖化がさらに加速したと云われています。

地上はもとより海水温も上昇し、地球全体が酸素欠乏状態に陥り、それが1千万年続きました。

 

そしてこれが、大量絶滅につながりました。

このとき、地球上の全生命のうち、95%の種が絶滅したとされています。

 

そして現在。

大陸は移動を続けています。

 

大西洋は広がり続け、アメリカ大陸はアジアにぶつかり、超大陸ができあがります。

その時また、巨大なプルームが上昇し、地球規模の大噴火が起こり、地球上の生命は……

 

それは、今から2億5千万年後。

ちなみに、人類が登場してから現在までは700万年、ホモサピエンス登場から20万年です。

 

……人類には関係なさそうですね。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ113 新燃岳(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2011.03号

ご存じとは思いますが、今、新燃岳が絶賛大噴火中です。

口蹄疫に引き続き、また宮崎が大変なことになっています。

 

新燃岳と最初に聞いたとき、普通の関東の人にとっては「どこそれ」だったかと思います。

しかし私は、「え!新燃岳ってまさか、新燃岳のことか!」などと訳のわからないことを口走ってしまったくらいの場所なのでした。

 

実は大学生の頃、新燃岳に登ったことがあるのです。

 

私は大学生の時、ワンダーフォーゲルクラブというサークルに入っていました。

要するに、いわゆる登山部です。

山登りをやっていたのです。

やっていた、とは言っても、あんまり熱心な部員では無かったのですが、それでもある程度は、山登りやっていました。

 

ほとんどは、週末に山に登って帰ってくるという行程だったのですが、年に2回くらいは長期休みを利用して、遠征していました。

そのうちの一つが、九州巡りだったのです。

大学一年生が終わる、春休みのことでした。

 

その時に登ったのは、九重連山(くじゅうれんざん・久住連山とも書く)、霧島連山、祖母・傾(そぼ・かたぶき)の三つでした。

それぞれ面白い山だったのですが、ここでは省略します。

そして新燃岳は、このうちの霧島連山にある山です。

 

さて、我々が登山をするときには、必ず国土地理院の二万五千分の一の地図を用意するのですが、最初にその地図を見たときから、こりゃすごいという予感がしました。

 

 

実に綺麗な形をした山です。

で、普通は登山ルートは山頂まで向かっているはずなのですが、この山のピークはどうなってんの?

 

地図を見慣れていないとわかりにくいかもしれませんが、この山、頂上がへっこんでいます。

つまり、火口になっているわけです。

火口の中にあるのは池です。

登山道は、火口のふちを巻いて通っているのです。

 

この近所には、こんな山が他にもあります。

例えば、新燃岳のすぐお隣の韓国岳(からくにだけ)も。

 

 

地図南東にある丸いのも、きっと火口です。

 

他にも、もっと北に、どうみたって火口だろうという円形の池がいくつもあります。

 

新燃岳の南側にも、御鉢(おはち)という大口をあけた山があります。

この御鉢は、火山礫によるガレ場で、要するに、足下が粒の大きい砂場状態のすべりやすい不毛の地で、火口のふちを歩くと両側は絶壁だし、とにかくすごいところでした。

 

 

ともかくそんなわけで、この地域はもともと、典型的な火山地形だったわけです。

私が登った1990年にも、このさらに北の硫黄山という所では、煙が上がっていて立ち入り禁止になっていました。

 

御鉢も、奈良時代から江戸時代・明治・大正と、何度も噴火を繰り返しているようです。

2002年からも、火山性微動が観測されているそうです。

 

今回の主役・新燃岳も、江戸時代に数千年ぶりの噴火をして以来、昭和・平成と噴火しています。

本格的な噴火は、今回のものが昭和以来の52年ぶりといわれていますが、小規模な噴火は、1991年にも起こっているようです。

そのため、91年11月から、2004年1月まで、新燃岳は登山禁止だったのだそうです。

 

で、繰り返しますが、私が御鉢と新燃岳に登ったのは90年。

その次の年に、登山禁止。

どうやら、絶妙なタイミングだったようです。

 

現在、火口から半径4キロ以内は噴石が降るために立ち入り禁止となっていますが、実際にはもっと遠くまで石が飛んでいるようです。

9キロ地点で停車中のクルマの窓ガラスが割れ、16キロ地点で駐車中のクルマのサンルーフが割れているようです。

ちなみに今測ってみたら、下妻駅から結城駅までが、直線距離で15キロでした。

 

九州ってところは、この地域以外でも雲仙普賢岳で死者を出していますし、阿蘇や桜島では噴煙を上げているのが日常風景ですし、結構すごいところです。

そして、もっと過去には、もっとすごい大噴火もあったようです。

 

6300年前、鹿児島県南の沖合で起こった大噴火は、火山灰を東北地方にまで降らせました。

鹿児島県南部は火砕流に襲われ、火山灰は九州南部で60センチ、紀伊半島にまで30センチも降り積もり、上空に昇った火山灰によって気温はその後2~3年間低下したということです。

この地域が元の緑を取り戻すには、その後500年かかったそうです。

噴火の跡は、現在は海中に直径20キロの巨大カルデラとして残っています。

 

この頃の日本は、縄文時代にあたります。

しかし鹿児島県に当時起こっていた縄文文化は、この噴火によって全滅しました。

 

大噴火といえば、9万年前に起こった阿蘇の大噴火は、こんなもんじゃなかったらしいです。

阿蘇があるのは熊本県なのですが、火砕流は九州全土を覆い、さらに山口県にまで達したのだそうです。

火山灰は北海道東部に10センチの層が残っていて、つまりは日本全土を火山灰が覆ったようです。

 

人が見ていないと思って無茶やり放題ですよね、まったく。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

 

 

 

 

おまけ資料

 

誰かが作った霧島のCG

 

 

 

以下、インターネット掲示板に投稿された噴火の様子

がんばれ宮崎

 

あすなろ89 桃の節句(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2009.03号

 

梅の季節です。

三月がやってきます。

 

私の家は、男三人兄弟でした。

その上、父方の従兄(いとこ)も男でしたので、この季節のイベントには、あまり縁無く育ってきました。

すなわち、雛(ひな)祭りのことです。

 

母方には女の従姉妹(いとこ)もいるのですが、全員が新幹線で一時間半以上離れた所でしたので、会うことすらあまり無い程度なのです。

子供の頃に見た雛人形は、友達の妹の雛壇をたまたま一度見たっきりでした。

 

その後オトナになってから、友達の家で娘のために飾られた雛壇を、一度だけ見たことがあるのですが、私の人生では雛人形との接点なんて、その程度だったのですよ。

そんな私が先日、雛人形を買ってきてしまいました。

 

先述した、過去に見た二つの雛人形は、共に五段以上あるものでした。

しかし、結局自分で選んだのは、一番上の二人だけのタイプのものです。

一段だけ。

 

自分で選ぼうと思って改めて見てみると、同じお値段で比べたときには、どうしても一つ一つの人形が小さくなっちゃうんですよね。

ですので、一点豪華主義ということで。

 

五月人形の兜(かぶと)を選んだときも、鎧(よろい)付きだと一つ一つが小さくなってしまうので、やはり兜だけのものを選びました。

もうそういう趣味だとしか言いようがないですね。

 

一段だけの飾りは、親王(しんのう)飾りというのだそうです。

今回初めて知りました。

さらに調べていくと、どうやらこれが本来の雛人形の姿だったようです。

 

雛祭りの原型となったのは、流し雛(ながしびな)という行事でした。

男女を象った(かたどった)人形に身の穢れ(けがれ)を封じ込めて、水に流すことで身を清めます。

これは古くは源氏物語にも登場するそうで、今でも各地で行われています。

ただし、平安時代の記録では、あくまで貴族の子女(しじょ)による「遊び事」であり、儀式ではなかったようです。

 

江戸時代初期、これと上巳(じょうし)の節句とを結びつけたのが、雛祭りのはじまりだったようです。

上巳の節句とは、三月三日のこと。

江戸幕府が定めた五節句(又は、五節供)のうちの一つです。

 

一応補足しておきますと、五節句とは

 


一月七日 人日(じんじつ)の節句

三月三日 上巳の節句

五月五日 端午(たんご)の節句

七月七日 七夕(しちせき)の節句

九月九日 重陽(ちょうよう)の節句


 

のことで、盆と正月以外に幕府が認めた、数少ない祝日でした。

その一つに、武家の嫁入り道具程度にしか認識されていなかった雛人形を、結びつけたということらしいです。

 

そういうわけですから、私が思うに、最初は人形屋の商売戦略だったのではないのでしょうか。

 

土用の丑にウナギを食べるのは、鰻屋の夏場の売り上げを伸ばすために平賀源内が思いついた作戦だというのは有名な話です。

最近では、バレンタインとチョコレートを結びつけた菓子メーカーのアレと同じでしょう。

日本人の気質なんて、昔からあまり変わってないので、多分そんなところだと思います。

ついでに、菱餅(ひしもち)や雛あられも、それに便乗した各業界が作った風習ではないかと思います。

 

さて、初期の雛人形は、男女一対の内裏雛(だいりびな)だけでした。

この二人だけという基本形は、江戸末期まで続きます。

 

ちなみに、有名な歌詞にもある「お内裏様とお雛様」という言い方は完全な誤りで、二人ともお内裏様なのだそうです。

作詞者であるサトーハチローは後に間違いに気付いて、「あの歌は捨てたい」と言っていたとか。

 

このあたりの頃までは、形代(かたしろ=人間を象っただけのもの)程度の簡素なものだったようですが、時代を経るにつれて、次第に豪華になっていきます。

江戸時代というのは、武士が貧乏に、町人が金持ちになっていった時代ですから、その流れは、ある意味必然ともいえます。

 

その後、人形は精巧さを増し、十二単(じゅうにひとえ)を着始め、金屏風(びょうぶ)が付き、全体に大型化してきます。

享保雛と呼ばれるものは、大きいものでは人形だけで70~90cmくらいの高さがあったようです。

90cmといえば、畳の短い方の辺の長さと同じですから、かなり大型です。

 

しかし幕府は享保の御触書で、町人の贅沢を規制するべく、人形の高さを24cmに制限します。

が、今度はそれを逆手にとって、芥子雛(けしびな)と呼ばれるわずか三センチくらいの、しかし精巧な作りのものが流行したといいます。

 

そして江戸後期、有職雛(ゆうそくびな)と呼ばれるものが現れます。

これはそれまでよりも、平安時代の宮中の装束を、より忠実に再現したものでした。

さらにその後、古今雛(こきんびな)という、画期的商品が登場します。

これは、顔の作成に本格的な山車職人を登用して「今風(当時)」な顔つきとし、衣装は、金糸などを使った刺繍で派手に仕立て、それを新たに二畳台に据えたものでした。

現在の雛人形は、この古今雛の流れを継いでいます。

 

ところで、先に菱餅や雛あられは便乗商売ではないか、と書きましたが、菱餅に限っては、完全にそれだけだとは言い切れない節もあります。

というのも、古代中国ではこの季節、ハハコグサを入れた餅を食べる風習があったからです。

これが日本に伝わって蓬餅(よもぎもち)に変わったところから始まります。

今でも、季節物としてありますね。

 

ですが、江戸初期にはこれに「菱の餅」が加わるようになります。

ここで言う菱(ひし)は、形ではなくて植物の名前です。

菱餅とは本来、菱の実が入った餅のことだったのです。

この餅、色は白です。

これと先に挙げた、緑色の蓬餅を交互に重ねて、また菱形に装飾して、雛祭りと合わせていったようです。

蓬餅を食べるだけだった風習を、うまく雛飾りに取り込ませていったことがうかがえます。

 

その後、明治に入って山梔子(くちなし)で赤く染めた餅が登場し、今のような三色餅ができあがります。

雛あられは、この色に合わせて作っただけのものです。

こちらは完全に便乗商法です。

だから雛あられなんて買わない、というわけではないのですが、歴史はかなり浅い、というようですね。

 

歴史が浅い、といえば、「雛飾りの片づけが遅いと婚期が遅れる」という話は、昭和初期にできた俗説のようです。

また、七段飾り以上は、高度成長期に登場したもののようです。

バブル後以降は、出しやすくて片づけやすい三段以内のものが流行だそうですってあ―。

 

まさか俺、流行に乗っちゃった?

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ196 カタツムリの左右

あすなろ

 

 

 

2018.02号

 

前回の記事で、カタツムリのお話の最後に「まだ他にネタはあるんだけど」なんて書きましたところ、これを読んだ高校生に「続きを書け」と言われましたので、書きます。

 

今回は、カタツムリの左右のお話です。

 

カタツムリは巻き貝ですが、この巻き貝という生物は、動物としては珍しいことに左右非対称の外見を持ちます。

 

それに対して、アンモナイトやオウムガイも、巻いた殻を持っていますが、こちらは左右対称です。

正面から見た時に、殻の先端が横に張り出してなくて、中心に収まっています。

つまり、殻を裏から見ても表から見ても同じ形です。

知ってました?

 

アンモナイトはともかく。

 

巻き貝は、ほとんどの種類で、殻の巻く向きが「右巻き」です。

左巻きの殻を持つ種類は、巻き貝のうちの1割未満なのだそうです。
 



「右巻き」の巻き貝たち


 

しかしこれがカタツムリ(有肺類)に限ると、手許の図鑑(※)で数えた限りでは、131種類(ナメクジを除く)のうちの32種類が左巻きでした。

ここから推定する限りでは、カタツムリについてはおよそ4分の1の種類が左巻きということになります。

 

※ 日本のカタツムリは約800種です

 

ところで、カタツムリは雌雄同体と言って、オスとメスの両方を兼ねた体を持っています。

そのため交尾の際には、二匹が向き合って同時に交尾しあいます。

そしてその生殖孔が体の側面についているために、殻の巻く向きが逆だと、交尾が成り立ちません。

 



b(左図) カタツムリの交尾の様子
c(右図) 逆巻きの変異個体とは交尾できない(矢印が生殖孔の位置)


 

画像の注釈に「変異個体」と書きましたが、いわゆる突然変異と考えて構いません。

 

巻き貝の左右は、実はたった一つの遺伝子によって支配されています。

そこに変異が起こると、体中の構造が全て左右逆になってしまいます。

ですから、他の生物に比べると、比較的「簡単」に左右が入れ替わります。

 

しかし、そういう変異個体は、生殖孔も逆についてしまうので、図のように交尾ができなくなります。

つまり、子孫は残せません。

ので、通常はそこで途絶えます。

 

ところがもし、偶然にも同じ逆巻きの個体同士が出会ったら、そこからは「新種」ができるわけです。

元の巻き型とは交尾ができないわけですから、それはもう別の種類です。

 

そして実際、そういうカタツムリもいます。

 

東北地方に棲むアオモリマイマイは、ヒダリマキマイマイの左右が反転してできた種類だということが、遺伝子の解析から判明しています。

遺伝子解析をすると、前述の左右を支配する遺伝子以外は、全く同じだったのです。

 

しかも、ヒダリマキからアオモリへの変異は、並行的に少なくとも3回は起こったことがわかりました。

 



赤がヒダリマキ
青がアオモリ


 

これはつまり、「一種類の生物は、全てがある1個体の子孫である」という、現在の進化学の主幹的な考えである単系統主義が、厳密には当てはまらない例が見つかってしまった、ということなのです。

 

……ってな感じで、この話は進化屋さんや系統分類屋さんにとっては、かなり衝撃的な内容なんですけど、普通の人にとってはどうでもいいですよねー。

すみませんホント。

 

もう一つ、別のお話です。

 

セダカヘビという、カタツムリを食べるヘビの仲間がいます。

日本には、石垣島と西表島に、イワサキセダカヘビという種類が生息しています。

 

このヘビは、カタツムリに後ろから噛みついた後、中身を引きずり出して食べます。

その際、右巻きのカタツムリが食べやすいように、右側の歯の数の方が多くなっています。

つまり、右巻きのカタツムリが食べやすいように、アゴの形が進化したヘビなのです。

 



セダカヘビの下顎。
左右で、歯の数と骨の形が異なる。



イワサキセダカヘビの捕食の様子。
右の歯が殻の奥側。


 

このような進化をすると、右巻きカタツムリの捕食が上達する一方で、左巻きの食べ方が下手になります。

その結果、国内のこのヘビの生息域では、左巻きのカタツムリの方が生き残りやすくなって、左巻きの種類が増えることになりました。

国外でも、セダカヘビの棲む東南アジアは、他の地域に比べて左巻きのカタツムリが多く生息しています。

 

なお、セダカヘビの中で一種類だけ、左右対称の下顎を持つものがいます。

実はこの種類はナメクジだけを食べるので、左右非対称になる必要がなかったのです。

 

ところで、「三すくみ(さんすくみ)」という言葉はご存じでしょうか。

ジャンケンのように、三つのものがあるとき、他の二つに対して強い・弱いの関係を持つ状態です。

 

三すくみといえば、普通はジャンケンではなくて蛙・蛇・蛞蝓(なめくじ)のことを言います。

曰く、蛙は蛇に弱く、蛇は蛞蝓に弱く、蛞蝓は蛙に弱い。

そこで、この三者が出会ったら、互いに動けなくなってしまう、と。

 

蛇が蛞蝓に弱い理由はわかりません。

昔からそう伝わっている、としか言えません。

 

セダカヘビがナメクジを食べると聞いて、最初に思い出したのが三すくみでした。

 

全然関係ないだろっていう。

ねえ。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ53 二十四節気、節句(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2006.03号

 

年が明けて、早くも節分が終わりました。

もう桃の節句の季節です。

時の流れを早く感じるのはトシのせいではないかという疑惑はとりあえず置いておくとして。

 

節分と節句。

両方とも「節」がつきます。

共に「時節」に関する言葉ではありますが、この二語の関係が、ちょっと変だということに最近気づきました。

そんな話です。

 

その言葉の話を直接解説する前に、二十四節気(にじゅうしせっき)というものをご存じでしょうか。

ものすごく簡単に説明すると、二十四個の季節の分け目の日です。

四季では表しきれない微妙な季節の移り変わりを、さらに細かく分けたものと思ってもらって結構です。

その原型は、例によって中国大陸から渡ってきたとされています。

 

以下に、具体的な語を挙げます。

できればひととおり知っておいて欲しいので、一応全部挙げておきます。

 


 

一月

立春 りっしゅん

雨水 うすい

 

二月

啓蟄 けいちつ

春分 しゅんぶん

 

三月

清明 せいめい

穀雨 こくう

 


 

四月

立夏 りっか

小満 しょうまん

 

五月

芒種 ぼうしゅ

夏至 げし

 

六月

小暑 しょうしょ

大暑 たいしょ

 


 

七月

立秋 りっしゅう

処暑 しょしょ

 

八月

白露 はくろ

秋分 しゅうぶん

 

九月

寒露 かんろ

霜降 そうこう

 


 

十月

立冬 りっとう

小雪 しょうせつ

 

十一月

大雪 たいせつ

冬至 とうじ

 

十二月

小寒 しょうかん

大寒 だいかん


 

以上、二十四節気です。

立春から啓蟄の前日までを一月とし、立春から立夏の前日までを春と定めています。

節気というのは、その区切りとなる日のことです。

その昔、中国から伝わってきました。

 

二十四節気のうち、重要なのは立春、立夏、立秋、立冬の四つです。

重要な区切りになりますので、その前日にも名前が付いています。

それが、節分という呼び名です。

月の終わりの日が特別に晦日(みそか)や晦(つごもり)などと呼ばれるのと同じです。

 

ところで、日本では古来より、季節の変わり目には鬼(邪気)が生じると考えられておりました。

今でも「季節の変わり目には体調を崩しやすい」とされていますので、まんざら嘘でもないとは思います。

で、一年の中で最も大切な季節の変わり目(節分)となる年末、邪気を払う儀式が生まれました。

これが、今に伝わる節分祭です。

 

節分祭は、元々は宮中行事だったそうです。

それが貴族→武士→平民と伝わり、江戸時代には一般行事化しました。

日本の歴史においては、まあよくある話です。

 

さて、それでは節句です。

 

こちらも、元々は季節の変わり目の儀式でした。

変わり目の日のことを節日(せちび)と呼び、お供え物をしたそうです。

その供え物を「節供」と呼び、後に転じて節日自体を節供→節句と呼ぶようになったとのことです。

その昔、中国から伝わってきました。

 

ってあれ?

この「季節」って、さっきの季節と時期が若干違うような......

 

この二つの「季節」の不整合について、私が調べた限りでは、うまい説明が見つかりませんでした。

思うに、別の考えが別の頃に日本に伝わってきたのでしょう。

漢字の音読みが何通りもあるのと同じではないかと。

んで、全部ちゃんぽんで気にせず取り入れてしまっただけではないかと。

まあ、やっぱりこれも、日本史においては良くある話ですよ。

 

んで、元々はいろんな節句があったのですが、江戸幕府はその中から、五つの節句を公式な「式日」(今でいうところの祝日)として定めました。

これを以下に挙げます。

 


・一月七日

人日(じんじつ)

別名 七草の節句

 

・三月三日

上巳(じょうし)の節句

別名 桃の節句・雛祭り

 

・五月五日

端午(たんご)の節句

別名 菖蒲の節句

 

・七月七日

七夕(しちせき)の節句

別名 笹の節句・たなばた

 

・九月九日

重陽(ちょうよう)の節句

別名 菊の節句


 

最初の人日を除いて、みんな奇数のゾロ目です。

これは、中国の陰陽思想においては、奇数が陽であるから縁起がいいという発想から来ています。

なので、それが重なっている日は特に縁起がいいと祝ったのが、節句の始まりとのことです。

中でも、最大の陽の数である九が重なった日を重陽と呼び、これもまた宮中行事としては重要だったようです。

 

菊の節句は、雨月物語の「菊花の契り」という話に登場しますよね。

......何?

知らない?

じゃあ読め。

江戸時代に書かれた怪話集です。

 

ちょっと、二十四節気の話に戻ります。

 

見てわかるとおり、夏至が五月にあり、冬至が十一月になっています。

これはいわゆる旧暦ですのから、現在とは約一ヶ月のずれはあります。

ただ、それを考慮しても、二月の旧正月に春が始まるってのは、現代の我々の感覚からすると、早すぎの感があります。

 

何故、年の初めが立春であるのか。

 

どうやら、春夏秋冬という言葉の定義自体が、ただ単に、一年を四つに分けたときの呼称であったらしいのです。

 

最初は、わかりやすい日である冬至を年の初めと定めたそうです。

月が一番「小さく」なる状態を「新月」と定めたのと同じような感覚で、日が一番「小さく」なる状態を「新年」としたのでしょう。

 

ですが、後に「冬至と春分の中間点を年の初めとする」と変更になりました。

これは多分、こっちの方が農耕に都合がいい区切りだったからではないかと思います。

中国の気候はよく知りませんが、多分。

 

この、年始が変更されたのが戦国時代といいますから、だいたい紀元前五世紀から前三世紀あたりまでのどこかでしょう。

秦の始皇帝が中国全土を最初に統一するよりも前のことです。

要するに、かなり昔のことです。

 

今では、世界中で同じ時に新年を迎えます。

それは、世界中で同じ暦=グレゴリオ暦を使っているからですが、この暦が発布されたのは1582年です。

その雛形となったユリウス暦は、紀元前45年から実施されています。

 

ユリウス暦のさらに元となったとされるローマ暦は、年の初めが明確に決まっているものではありませんでした。

国王が今日からと宣言したときが年始となり、農閑期になると暦を刻むのを終了したそうです。

 

という時代系列から見るに、年の初めを今の位置に最初に定めたのは古代中国で、ユリウス暦はそれを参考にして一月を制定したのではないのでしょうか。

多分。

 

「西暦」、つまり「西洋の暦」の原型のようなものが中華にあるなんて、面白いと思いませんか?

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ60 冥王星(過去記事)

あすなろ

 

 

 

2006.10号

 

冥王星ですよ冥王星。

「太陽系の惑星」では無くなるんですって。

 

惑星占いで商売している人たちは、きっと大慌てでしょうね。

ワハハハザマミロ。

 

実をいうと、冥王星が惑星として認められるかどうか、という議論は、しばらく前からあったことでした。

冥王星は、惑星としては何かと独特の個性を持っていますからね。

 

まず、軌道が普通と違います。

他の惑星が、全て同一平面上にあるのに対して、冥王星の軌道平面は十七度傾いています。

また、他の惑星がほぼ同心円状の軌道を持つのに対して、冥王星はもっとゆがんだ楕円を描き、あまつさえ天王星よりも内側を通過することもある、という状態です。

 

と、ここまではよく知られた「特徴」です。

しかしこれ以外にも、色々な面で特殊な存在なんですよこの星は。

 

太陽系の惑星は、皆それぞれの特徴を持っていますが、共通点も持っています。

 

たとえば、地球と火星はよく似た星だと言われます。

共に金属で構成された核とマントルを持ち、ケイ酸塩からなる堅い地殻(表層)を持っています。

この類似点は水星、金星にも見られるため、ここまでの星は「地球型惑星」と分類されています。

 

これに対して、木星、土星、天王星、海王星の四つは、地球のような堅い「地面」を持ちません。

 

木星と土星の表面は、遙か深いところまで液体水素ガスに覆われていて、その表面を大気が包んでいます。

天王星と海王星は氷のマントルを持ち、それをものすごい厚さのガスが覆っています。

また、表層の大気は、すさまじい強風となって吹き荒れています。

以上のような共通項により、この四つの惑星は、「木星型惑星」と分類されています。

 

一方冥王星は、岩石の核を厚い氷が覆ったもので、中層部のマントルを持ちません。

要するに、氷がくっついた岩なんですよあれは。

といった点から、地球型とも木星型とも言えない存在なのです。

 

と書くと、冥王星なんか最初から惑星にしなければ良かったのに、と思うかも知れませんが、発見当初はそこまでわかっていなかったので、仕方がなかったのです。

最初は地球型惑星で、大きさも地球と同じくらいだと思われていました。

後に、詳細がわかってくるにつれ、矛盾が見つかってしまっただけのことなのです。

 

冥王星の発見は、海王星の発見がきっかけになりました。

海王星を発見したフランス人天文学者ルベリエが、この星の動きに影響を与えている未知の天体がある、と予言したのです。

後にそれはルベリエの見当違いであることがわかったのですが、その言葉を信じて、星空をしらみつぶしに探し続けたアメリカ人のトンボーが、気力で見つけ出したのが冥王星なのです。

 

このトンボーは、天文学者ではありませんでしたので、自分の計算によって位置を予測するということをしませんでした。

ただひたすら、星空の写真を撮りまくり、星図上を動いている天体を探し続けたのです。

何か見つけたら軌道計算をし、惑星かどうか見極める、ということを一年間繰り返し、ついに発見したのは1930年のことでした。

 

ところで、冥王星の発見よりも130年ほど前の1801年、セレスという星が、新惑星として発見されています。

しかしその後、同じ軌道上から別の天体が次々と見つかります。

その結果、「セレスは、多数存在する小惑星の一つに過ぎない」ということとなり、惑星とは認められない存在となりました。

 

それに対して、冥王星の場合は、同じ軌道上に小惑星が見つからなかった為に、惑星として認めることとなった節があります。

軌道などから疑問視する声があったものの、「セレスとは違う」というのが一番の理由となったと思われます。

 

というわけで、「冥王星と同じ軌道上に他の天体が無い」というのが、冥王星の惑星たる理由となっていました。

しかし1992年、冥王星よりも外側に軌道を持つ小天体が見つかって以来、冥王星に似た軌道を持つ天体が次々と見つかってきます。

1999年には、冥王星を小惑星の一つとして数えるのが妥当なのではないか、という案も出ています。

しかし、小惑星としては冥王星は大きすぎる、というような理由により、結局どう扱えば適切なのか、という結論は出ませんでした。

 

それ以来、天文学的には「惑星とは考えられないが、小惑星とも言い切れない」という中途半端な見解が続くこととなります。

見つかった小惑星に、セレスを越える大きさのものが無かった、ということもあります。

 

しかし2000年、セレスに匹敵する大きさの小惑星が、冥王星の軌道付近で見つかります。

そして2002年にはセレスよりも大きいクワオアーが、2003年にはさらに大きいセドナが発見され、そして遂に2005年には、冥王星よりも大きい「小惑星」であるエリス(2003 UB313)が見つかってしまいます。

 

さて、ここで一度おさらいしてみます。

 

冥王星が惑星だった理由は、「セレスのような、同じ軌道に他の小惑星を持つものではない」であり、小惑星ではない理由としては、「小惑星としては大きすぎる」でした。

 

しかし、同じような軌道を持つ小惑星が見つかった上に、冥王星よりも大きい小惑星が登場してしまうと、冥王星を惑星扱いすることは、学術的に矛盾をはらんでしまうこととなるのです。

これが、先日の決議を必要とした直接的きっかけとなりました。

 

結果として冥王星、セレス、エリスの三つには、新呼称「dwarf planet(日本名未定)」が与えられ、惑星でも小惑星でもないものとして扱われることとなりました。

しかしまだ、小惑星とdwarf planetとの境目は、明確には決まっていません。

今後の定義づけ次第では、dwarf planetが増える可能性もあるでしょう。

現時点もすでに、あと12個の候補が挙がっていて、審査待ちの状態のようです。

 

今や、小惑星と一口に言っても様々なものが見つかっています。

衛星を持つ小惑星だっていくつもあります。

セドナのように、一周が10500年かかるような、広大な公転軌道(冥王星は248年)を持つものもあれば、馬蹄形の軌道(普通は楕円軌道)を持つものだってあります。

これらの分類は、今後の課題となるでしょう。

 

さて、冥王星の疑惑が本格的に登場したのは1999年。対して、惑星占いが流行したのはその後のことのはずです。

占いでいい加減なことを吹聴している連中は、要するにその程度の奴らってことですよ。

ギャハハハハ。

 

さあ、今日も占いを見て頑張ろう!

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ77 星占い(笑)(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2008.03号

 

冥王星くんのことを、覚えていますか?

 

2006年の夏ごろ、太陽系の惑星の定義が新たに決まり、冥王星は惑星から外れることが決定しました。

そのあたりの詳しいいきさつや定義の話は、私も当時、あすなろ60(2006.10)号に書いたものです。

 

さて、そういうわけで、その後どうなったのか、大変興味のある分野があります。

 

そう。

星占い(笑)です。

 

昔ながらの星占いは、例のおひつじ・おうし・ふたご......の十二星座のアレ(順番に全部言えますか?)ですよね。

そうやって、黄道十二宮をあてはめてやっているだけだったら良かったものを、ここ10年くらいは、いろいろと変な物がはびこっているようです。

 

例えば、へびつかい座が黄道にかかっているから、これが十三番目の星座だと言っている人達がいます。

 

アハハハハー。

チョー受ケルンデスケドー。

 

別に何を言い出しても結構ですが、高校生の頃に天文気象部の部長を一年半務めた優しい僕が、少し教えてあげます。

 

黄道十二宮というのは、太陽の通り道(黄道)に位置する星座を選び出した物です。

というよりも、黄道を十二に分割したのがそもそもの由来です。

もちろんこの十二という数字は、十二ヶ月から来ています。

これが、西洋占星術の「元ネタ」です。

私は個人的に、十二種類の動物があてはめられている十二支と同じようなものだろうと思っています。

 

これと似たような言葉に、黄道十二星座というものがあります。

これは1世紀のころ、プトレマイオスという科学者が書いた、天文学の専門書に提唱されたものです。

こちらは、本来は天体観測するための目安です。

夏の大三角や春の大曲線みたいなものです。

まずはこれだけ知っていれば、天球上のだいたいの配置を掴みやすい、という程度の物です。

 

ところで、地球から見える星は、星座で結ばれたもの以外にもたくさんあります。

結ばれていなくても、おひつじ座の中にある星は「おひつじ座の星」と表現できます。

しかし、おひつじ座とおうし座の中間にある星は、どういったらいいのでしょう。

 

天球上の全ての星を、どのあたりにあるかということを表現、定義するために、天文学では代表的な星座を88個指定し、その形に合わせて天空を区切っています。

これによって、地球から見える全ての天体が、必ずどこかの星座の領域に所属するようにしてあるわけです。

 

例えば、先ほどのおひつじ座とおうし座の間の星も、この線から右側だからおひつじ座の星、と定めることができるようになります。

 

こうして天球を区切っていった結果、さそり座のすぐ上の星は、へびつかい座の所属となりました。

さそり座に関しては、さらに言えば、さそりの腕の先端(はさみ)に見える部分は、両方ともてんびん座の領域に入っています。

しかしこれも、学術的な定義でありますので、そう割り切ることにしましょう。

 

という線をお空に引いていったら、へびつかい座の領域が下にはみ出て、黄道がその上を通るようになった、というだけのことです。

 

これは学術的な、あくまで便宜上の物ですから、占いとは一切関係ありません。

先に書いたとおり、そもそも十二星座と十二宮は別物ですし。

 

ゴジラという怪獣があります。

ご存じの通り、東宝の映画です。

1954年に、反核映画として登場しました。

ゴジラの語源は、ゴリラとクジラを合わせたものです。

それを外国で放映するとき、発音が日本語の「ゴジラ」に近くなるようにと、Godzillaというスペルが与えられました。

 

すると、それを見た西洋人で、すっかり感化されてしまった人達の中には、

「GodzillaにはGodが入っている。つまりこれは、神の使いを暗示しているのだ!」

などと真面目に言い出す輩が現れるわけです。(実話)

 

――へびつかい座を入れて「十三星座」とか言っている人は、天体観測をしている側から見れば、このゴジラの中に神が見える人と、ほぼ同じようなレベルです。

OK?

 

さて、長い前置きになりましたが、最近は惑星までもが、占いのネタとしてさんざんいじられているのはご存じの通り。

土星人とか火星人とか、何を言っているのかさっぱり意味がわかりません。

 

そういう中に、もちろん冥王星も入っております。

入っているのですが、それ自身が惑星という定義から外れてしまってさあ大変。

 

という混乱が起こった後、今はどうなっているのか、あちこちを覗いてみました。

 

......あったあった。

えーと?

 


それによる影響はほとんどないと思われます。その理由は以下のとおり。

 

1.冥王星がなくなるわけではない。(略)

 

2.冥王星の意味ははっきりしていなかった。

 

例えば、水星は仕事運に、金星は金銭運に、火星は恋愛運に影響を与えるといった、

大まかな意味が定まっているわけですが、冥王星についてはそれが定まっていません。

(略)

あえてあげるとすれば、「死後の世界」のことについてなど。(後略)


 

弁解に必死ですね。

別サイトでも、

 


占星学における冥王星の基本的な意味は、死と再生というものがあることから、

世間から消えてなくなるという意味での死という認識がなされたのではないかなど、

今回の定義のいきさつは、占星学上、いろいろ興味深い現象はおきているのは確かです。


 

「冥王(Pluto:冥府の王)」だから「死」ですかそうですかべんきょうになるなあ。

 

この星にその名前をあてたのは、たまたまだと思いますよ。

当初はクロノスとかミネルヴァとか、ギリシャ神話の他の神の名前が候補に挙がっていましたから。

 

Plutoを最初に提案したのは、イギリスの当時11歳の少女です。

世間的にも好評だったので、これに決定することにしました。

子供の提案を好意的に受け入れるという現象は、洋の東西を問わないようです。

さらに付け加えると、Plutoの略称PLは、冥王星の存在を予言した天文学者のイニシャルと同じになることも決定材料だったそうです。

 

というわけで、命名者は死とかなんとかは一切考えておりません。

当たり前ですけどね。

 

で?

占星学の?

冥王星の意味が何でしたっけ?(笑)

というか、そんなので占星「学」って、中世ならともかくこの時代に、ちょっと矜持が過ぎるって思いませんか?(婉曲表現)

 

そうそう。

 

星占いといえば、もっとすごいものも見つけてしまいました。

なんと、十二支に星座をあてているのです。

丑年がおうし座、巳年がへび座、辰年がりゅう座......というあたりまではいいとしても、

寅年がやまねこ座

未年がやぎ座

亥年がおおぐま座

子年がこぐま座

酉年がわし座

ってあんた。

 

極めつけは、申年がヘラクレス座......。

 

おい笑わすなコーヒーがこぼれる

 

だめですついていけませんごめんなさい

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ140 助数詞(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2013.06号

 

子供同士の会話を聞いていると、時に面白い発見をすることがあります。

 

例えばゲームの「レベル」の話。

 

ポケモンなどで、自分のレベルが今いくつなんて話を聞いていると、小学生の場合は、「レベル5」という言い方はしないんですよね。

「5レベ」なんですよ。

 

最初にこれを聞いたときは、言っている奴が単に間違っているだけかと思っていましたが、どうもそういう呼び方がすでに文化になっているようです。

 

ですが、こいつら何でこんな言い方するのかな~、なんて考えていたら、気づいたことがあります。

 

実は「5レベ」という呼び方は、日本語としては「レベル5」よりも、ある意味正しいのではないのか、と。

 

日本語では物を数える時、その単位を数字の後ろに付けます。

例えば、「一個、二個」「一本、二本」のように、です。

このノリで「レベル」を数えたら、「1レベル、2レベル」となりますわな。

 

小学生くらいの子供達の場合、直感的にこちらが日本語として自然であると判断しているのでしょう。

 

私の場合、大学生になってから初めてRPG(ドラクエ3・4とファイナルファンタジー3)を始めたのですが、「レベル5」の言い方でも、最初から何の違和感もなく受け入れていました。

大学生くらいになってしまうと、小学生のような「日本語に対する直感的なセンス」が、すでに失われていたのかもしれません。

 

念のため、それぞれのゲーム中で、レベルに関してどう表記されているのか確認してみました。

 

 

私が遊んでいた当時のドラクエでは、ゲーム中では「レベルが~」と出るだけで、

「レベル5」のような数字をつけた表記は無かったようです。

一方ポケモンでは、最初の「赤・緑」から「レベル5」の表記が見られます。

 

ということは、子供達は「レベル5」という文字を見ながらも、

「5レベ」という言葉を作ったことになります。

 

子供ってすごいと思いました。

 

日本語において、物を数えるときに後ろにつける「個」や「本」のことを、

助数詞(または数助詞)といいます。

「詞」という言葉がついていますが、ほとんどの文では文法的に単語扱いはされません。

「お父さん」の「さん」と同様に、接尾語(接尾辞)という扱いになっています。

 

助数詞が、ものすごく種類が多いことは皆さんもご存じの通りです。

イカは一杯、タンスは一棹(ひとさお)、畳は一畳、ウサギは一羽......

あたりまではクイズにもよく挙げられますが、

掛け軸は一幅、神様は一柱(ひとはしら)あたりになってくると、

雑学的知識力を少々試されるようになってきます。

 

さらに、幟(のぼり)は一流れ(ひとながれ)とか、真空管は一球(いっきゅう)とか、

海苔は一帖で10枚、半紙は一帖で20枚、美濃紙は一帖で48枚とか言われても、

もう知るかって感じです。

 

日本語の助数詞は300とも500とも言われていまして、現在も増え続けています。

コンピュータで使われる「1バイト」は、最近になって登場した助数詞の一例ですね。

 

助数詞という概念は、日本以外でも東アジア各国などにあります。

しかし、英語圏ではあまり一般的ではないようです。

2本の鉛筆なら「two pencils」で、直訳すると「2鉛筆」というような言い方です。

 

日本語の序数詞に近い表現としては、一応「a cup of tea(お茶1カップ)」

「a piece of paper(紙1切れ)」という言い方もありますが、使用範囲は限定的です。

 

ところで、先に挙げた「2鉛筆」では「数字+名称」の順ですが、

「レベル5(level 5)」では「名称+数字」という順序となっています。

これは何かというと、「個数」と「順序」の違いから来ています。

英語で「5レベル(five levels)」と言ってしまうと、

「レベルが5個」という意味になってしまうので、それと区別する為なのでしょう。

 

なお、「5番目のレベル」だったら、第5番目を表すfifthを使って

「fifth level」としても良さそうな気がしたのですが、これもよく考えたらダメですね。

というのも、英語で第一、第二、第三......と序数が進む時は、

大抵が上から下に進むイメージなのです。

ですから、第一レベル(first level)よりも第二レベル(second level)の方が、

価値が低い物に見えてしまいます。

これでは、「レベルアップ」にはなりません。

 

レベルの他にも「パート1」「クラス4」「バージョン3」「セクション2」など、

日本語化している「英語式助数詞」はあります。

もっと昔から使っている日本語でも、「問1」「図3」などの言い方がありますが、

これも元々は「Question 1」「Figure 3」を直訳しただけではないかと思われます。

 

このような、日本語と英語の語順を違いを考えていると、

別のジャンルでも同じような例を見つけました。

それは、「敬称」です。

 

日本語では「様」「ちゃん」から身分を表す「卿」「閣下」「校長」「中佐」まで、

全て名前の後に付ける接尾語として用いられますが、

英語ではミスター、ドクター、サー、ロードなど、

全てが接頭語として、名前の前に付けられます。

「マッカーサー元帥」は「General MacArthur」ですし、

チャールズ皇太子殿下なら「His Royal Highness,The Prince Charles」となります。

敬称の付け方は、フランス語やドイツ語などでも同様です。

 

このあたりは、例えばコロラド州を「state of Colorado」と呼んだり、

ペンシルベニア大学を「University of Pennsylvania」と呼ぶような、

「種別オブ地名」の語順に通じる物があります。

いずれも、修飾語を被修飾語の後に付け加えるという「英語式」の修飾方法で、

日本語には無い語順です。

 

以上の語順の違いは、述語と目的語が日本語と英語で逆転しているから?

とも思いましたが、漢語では述語+目的語の語順が「英語式」なのに、

修飾・被修飾の語順は「日本式」です。

非常に興味深いところですね。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ152 胡瓜とソグド人(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2014.06号

 

我が家には幼稚園児がいます。
この園児が通っている幼稚園は、週三回が弁当となっています。
なので私は週三回、弁当を作っています。
上の子二人の時は、別の幼稚園だったのですが、そちらは毎日弁当だったので、以前は毎朝弁当を作っていました。

 

とはいえ、初めての朝はもう、どうしましょう状態でしたよ。
弁当を作るのなんて、中学生の頃、母親が入院していた時に自分の弁当を一度だけ作ったこと以来でしたので。

 

幼稚園弁当初日の朝は、だいたい出来たところでカミサンが見に来て、
「おお、ちゃんと弁当になってる」
「うん。自分でもびっくり」
なんて会話があったことを覚えています。

 

さて、あれから十年。
あの頃の気合いはどこに行ってしまったのでしょう。
現在の我が家では朝になると、超テキトー弁当が生産されています。

 

幼稚園児の弁当なんて簡単なんですよね。
なんせ小さいので、おかずは三品もあれば十分です。
というか、それ以上入りません。

 

そしてその三つのうち、一つから二つは前の晩のおかずですから。
カミサン謹製のおかずを、弁当用にあらかじめ一皿ずつ取り分けてもらっておけば、もう一品から二品が完成しているという塩梅です。

 

あと残りのスペースは、卵焼き・プチトマト・塩漬けキュウリあたりからの選択方式となっております。
たまに冷凍シューマイが混ざることがあったり、弁当箱全面がオムライスになることもありますが、手間は全くかかっておりません。

 

オムライスったって、具は前夜の野菜炒めのみじん切りで十分です。
前の晩がカレーだったら、カレーライスを水気がなくなるまで炒めた「嘘っぱちドライカレー」を卵に包んじゃいます。

 

それはともかく、上の子二人の時には、ほぼ毎日が卵焼き+プチトマト+前の晩のおかずという組み合わせでした。
が、末っ子はトマトがあんまりは好きじゃないということなので、卵焼き+キュウリの組み合わせの確率が非常に高くなっております。

 

なんて言うと、幼稚園同級生のお母様には「え?キュウリ食べるの?」と驚かれることもありますが、ええ、うちの子はキュウリ好きですよ。

 

そんなわけで、キュウリさまには、日々大変お世話になっております。
今後ともよろしくお願いいたします。

 

と、ついキュウリのことは片仮名で書いてしまうのですが、本来は漢字の言葉ですね。
ご存じでしょうが「胡瓜」と書きます。

 

この字のうち、瓜はもちろんウリです。
では、「胡」が何のことかご存じでしょうか。

 

かつて、シルクロード貿易が盛んだった頃、そのルート上では様々な民族がその仲介をしていました。
その中でも、一時期はシルクロードを経済的に支配していた民族として、ソグド人という人々がいました。

 

ソグド人自体は、古くは紀元前5世紀頃から記録があるようです。
かつては中央アジアのタジキスタンあたりで農業と商業をして暮らしていたようですが、紀元前1世紀ごろにシルクロードが漢に通じるようになると、漢と西アジアとの中間貿易を支配するようになります。
そして、この頃から唐代の頃まで、ソグド人のいる地域は「西胡」、ソグド人は「胡人」と呼ばれるようになります。

 

……というような「胡人」の話を、私は高校の頃、世界史の授業中に知ったんですよ。

 

でも、現在の高校生の世界史の教科書を見ても、「ソグド人」は出てきても、「胡人」という言葉は出てこないんですよね。
昔と違って無くなっちゃったのかなあ、と思ったのですが、高校の授業で聞いたあの話は、もしかしたら社会の先生がアドリブでしゃべっただけの単なる余談だったのかもしれません。

 

ともかく、キュウリはこの頃、「胡」から唐に伝わった瓜ということで、「胡瓜」と呼ばれ始めたようです。
これは、日本で言うところのサツマイモ(薩摩地方から来た芋)やジャガイモ(ジャガタラ=現在のジャカルタから来た芋)みたいなものですね。

 

胡という字がつく言葉としては、他に「胡麻(ごま)」、「胡椒(こしょう)」、「胡弓(こきゅう)」、「胡桃(くるみ)」、さらには「胡座(あぐら)」、ちょっとマイナーですが「胡粉(ごふん)」などがあります。
ウィキペディアを見ると、「胡散臭い(うさんくさい)」なんて言葉まで投稿されています。

 

ただ、これらがすべて胡人(ソグド人)と関係があるというわけではないようです。
が、少なくとも、胡麻、胡椒、胡桃、胡粉は、胡人由来のものとされています。
ここで、胡粉とはおしろいの一種です。

 

胡弓は、バイオリンのように弾く日本の伝統楽器です。
明治の頃は、バイオリンそのものも胡弓と呼ばれることがありました。
ただし伝統とはいっても、胡弓という言葉が登場するのは、江戸時代の頃からのようです。
胡弓の原型である胡琴(こきん)の胡は、胡人由来のものらしいので、
「胡弓の胡は胡琴から来た言葉で、胡人と直接は関係ない」
というややこしいことになっています。

 

なお、江戸時代には、胡弓は三味線、琴と共に、「三曲」と呼ばれる弦楽器三重奏として演奏されていたようです。

 

しかし「胡散臭い」の胡は、胡人とは全く関係ないようです。
「胡散」は元々は「胡乱(うろん)」と言われていて、胡も乱も共に「乱れる」を表す語で、「乱れたさま」「あやしげなさま」という意味から来ています。

 

胡座の場合、古事記では「阿具良」と書かれていることから、「あぐら」という語は、元々日本にあった言葉のようです。
これは、古代の貴族の座る高い台の呼称から来ているとのことです。
後に、胡座という字がなぜ充てられるようになったのかは、調べた限りではわかりませんでした。
胡乱同様「乱れる」という意味から来ているのかもしれません。

 

さて、胡人=ソグド人はこの頃、独自の文化、言葉、文字を持っていたのですが、国家という形にはなっていませんでした。
軍事的政治的には他民族の支配下でも、商業的ネットワークには長けた民族だったようです。

 

そしてその後も国家を建てないまま、中央アジアの各地に散らばっていきます。
各地に文化的影響を与えながらも、最後は現在のトルキスタン(○○スタンが集まっている地域)やウイグルに溶け込んでいったようです。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ151 自衛隊最新装備(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2014.05号

 

日本という国は、本当にハイテクな国です。

日本にあるものが外国にはない、というわけではありませんが、日本では当たり前の品質が、他の国では最高級品にあたる、ということはよくあります。

 

例えば、紙。

 

外国の文庫本を見るとわかるのですが、ザラザラの、わら半紙というか、少年ジャンプみたいな紙でできています。

ティッシュペーパーも、日本製のようには柔らかくありません。

イギリスあたりで日本のポケットティッシュを見せて、「駅前で無料で配られてる」とか言うと、「こんな薄くてソフトな紙が!」と大騒ぎになるらしいです。

 

そんなハイテクなものの一つに、軍事技術があります。

 

一般的に、世界最強の軍を持っているのはアメリカといわれています。

軍の規模もそうですが、個々の兵器もそれぞれ最強クラスが揃っています。

 

有名どころで言うと、いわゆるステルス戦闘機というものがそうですよね。

 

ステルスとは、レーダーに映らない技術のことです。

いや、厳密には映るのですが、飛行機が鳥や虫くらいの大きさにしか映らなくなる、というような技術です。

 

現在の飛行機同士の戦闘では、レーダーによって相手を認識して交戦するので、レーダーに映らないというのは相手から見えないということで、いわば透明状態と同じです。

この技術を使った戦闘機で実用化されているのは、現時点では米軍の「F22ラプター」だけです。

 

ラプターは冷戦下に開発が行われて、93年に試験機が完成、2003年から運用が開始されました。

それを受けて、各国でも同様のステルス性能を持つ戦闘機の開発が行われているのですが、未だに実用に耐えられるものは完成していないようです。

 

ただ、実はアメリカでも、ラプターが高すぎるということで、もうやめようかという話が度々出ています。

代わりに、より低コストで実用的なステルス機「F35」を開発中なのですが、こちらはいつまでたっても完成する様子がありません。

 

一方、日本では、研究という名目のもと、「先進技術実証機」という名称で試作機を作っています。

2005年、その試作品のステルステストをフランスで行った結果、予想以上に良好な結果が出たのだとか。

その機体に日本のステルス塗装をすれば、ラプターに匹敵するステルス性能を発揮するだろう、とか。

 

いやあ、日本の技術の高さにも困ったものですね(笑)

 

 

このステルス機は、2012年から三菱で試作機の組み立てが始まっています。

そしてこの4月10日、小野寺防衛大臣は、今年2014年中の初飛行を明言しました。

この研究は2016年に終了の予定だそうです。

 

一方、飛行機を感知するレーダーの方ですが、こちらは現状でも、米軍ご自慢のラプターくんを、ばっちり監視できるようです。

日本としては、その研究をさらに進めていきたいようで、ステルス実験機を作る目的は、新型レーダー開発のためとも言われています。

 

レーダーといえば、潜水艦を見つける技術も、日本はトップクラスです。

 

現在、空から潜水艦を見つけられる哨戒機はアメリカ、ロシア、日本だけが持っているのですが、そのうち対潜哨戒機として専用設計されたものは、日本のP1だけです。

動力性能・航続距離はP1が一番です。

 

ちなみに、日本は周辺海域の海底にセンサーケーブルを張り巡らせていて、どこにどんな船がいるか、全部監視できています。

 

潜水艦自体も、日本のものは世界トップクラスです。

潜水艦自身が持っているソナー(音波探知機)も、性能は突出しています。

海上自衛隊の潜水艦乗組員いわく

 


中国原潜はチンドン屋です。

ロシア、米原潜も結構賑やかですが比較になりません。

爆竹を鳴らしながらという感じでソナーなど聞いていられません


 

......だそうで。

 

ここから、中国やロシア、アメリカのソナーの性能が低いということがよくわかります。

いや、日本のが高性能過ぎるのか?

ごめんね高性能で(笑)

 

戦車の話に行きます。

 

最新の10式戦車は、軍事オタクの間ではヘンタイと言われています。

 

第二次世界大戦まで、戦車というものは

 

「走って、停まって、狙いを定めて、撃つ」

 

という兵器でした。

走っている間は、砲身がぐらんぐらん揺れて、とても撃てる状態ではなかったからです。

 

現在、世界の戦車は走行中の射撃が可能なほどにはなっています。

しかし90年に制式化した自衛隊の90式戦車では、走行中の射撃の命中率が、

「ほぼ100%」

です。

 

90式は目標をロックオンすると、戦車がどの向きに動いても砲身は狙いを定めたまま自動調整されるのです。

また、発射ボタンを押しても、その瞬間に砲身が目標から外れていると、発射されません。

目標に合った瞬間に自動発射されます。

 

ちなみに、アメリカとの合同演習では、走行中の射撃では日本の90式が全弾命中に対して、世界最強といわれる米軍戦車は、ほとんど目標に当たらなかったそうです。

 

ここまでが、一つ前の世代の戦車の話。

まあ、この時点ですでに最強なのですが(笑)

 

最新式の10式戦車は、この90式を上回る姿勢制御システムと、世界最速の動力性能を持っています。

90式では不可能だった射撃も可能になった上、目標に対して複数の車両でデータを共有できるために、見えない敵までロックオンできます。

目標が複数の時は、

「この敵は1号車と3号車、この敵は2号車」

というように、自分の位置と相手の位置から自動で目標を割り振ることもできます。

 

 

その上、機械は壊れない、兵士の技術は抜群、というのが、日本の自衛隊です。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ148 静電気(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2014.02号

 

中学生向け英作文の問題で、
「あなたの好きな季節を、その理由もつけていいなさい」
なんてのが時々あります。

 

普通は、好きな季節よりも、嫌いな季節の方が理由がつけやすいと思うのですが、嫌いな季節を答える問題には、多分これまでに出会った記憶がありません。
嫌いだという文では、イイコチャン作文(※)にならないからでしょうか。

 


※イイコチャン作文

 

小学校の作文は、
「思ったことをかけばいいのよ」
「自由に書いていいんだよ」
と言われる割には、
『遠足はつまらなかったです。あと、鈴木君はバカです』
とか
『クリーンセンターのおじさんが説明しているとき、遠くでエゾゼミが鳴いていました。

でもせっかくのエゾゼミなのに、おじさんの声がうるさくてよく聞こえませんでした』
とか書くと、訂正を求められます。
結局、そうやってできあがった作文や感想文は、みんなイイコチャンを装った画一な文章となってしまうので、そういうものを私はイイコチャン作文と呼んでいます。


 

てなわけで、嫌いな季節の話ですが、私が嫌いな季節は冬です。

 

理由としては、寒いからってのもありますが、そんなんだったら夏だって暑いから同じです。
それよりも、主に冬にしか起こらない現象で、嫌いなことがあるのですよ。

 

それは、静電気です。

 

というわけで、もし英作文で嫌いな季節を書けといわれたら、私なら冬ですと書くでしょう。
ただ、理由まで英語で書けって言われても、静電気って英語でなんて言うんだろ?
えーっと?
static electricityですか。
へー。

 

一ヶ月先には忘れているだろうなあ。

 

そんなわけで、静電気のお話です。

 

静電気のことは、中学二年の理科で習います。
その時は、
「静電気とは、電気を通さない二種類の物質を摩擦させたときの起きる電気のこと」
「静電気には+と-の二種類があって云々」
なんて習い方をします。
そして、電気を帯びた物同士が引き合ったり反発したりする実験をするわけですが、こんな風に、電気が起きても、その場に溜まったままの状態になるのが静電気です。

 

引き合ったり反発したり、という現象は、ちょうど磁石のN極とS極の関係に似ています。
これ、たまたま似ているというわけではなくて、実は本質的には同じ種類の現象なのです。
学問としては、電磁気学という世界のお話となるわけですが、これ以上の詳しい話はいたしません。
いたしません。
だってスカラーポテンシャルとかベクトルポテンシャルとか、ちょっと読んだくらいではちゃんとは理解できないんですよ。

 

さて、物が電気を帯びることを、帯電といいますが、ではなぜ、電気を通さない物質(=絶縁体)同士を摩擦させると帯電するのか?

 

......えーと、電子が片方から片方に飛ぶからなんですが、なんで飛んじゃうのかは、よくわかりません。
いや本当にわからないらしいんですよ。
とにかく飛ぶのです。

 

似たようなものとしては、やはり中学の理科で習うイオン(※)というものがあります。
水溶液中で+と-の電荷を帯びた粒が泳いでいる話なのですが、あれと同じようなものだと考えてもらっても結構です。

 

※イオンは少し前まで高校で初めて習っていました。
※マイナスイオンという物は、単なるエセ科学ですので騙されないように。
とは言っても、最近はウソがばれてきたからか、あまり見かけなくなってきました。

 

で、そこまでなら下敷きに髪の毛がくっつくとか、発泡スチロールのクズが手にくっつくといった程度で終わるのですが、困るのが放電ですよね。

 

帯電によって、物質同士の電位差が大きくなってくると、物質同士が接触する前に、電気はジャンプして相手に飛び移ろうとします。
これが放電で、火花が飛ぶ痛いアレです。

 

放電の巨大なやつが雷です。
あれは、積乱雲の中を、霰(あられ)がグルグル対流してぶつかり合っているうちに摩擦で静電気が起こるから、と言われています。
その静電気が限界まで溜まると、地球に向かって放電するわけです。
セーターの静電気と、基本は全く同じです。
規模は全然違いますが。

 

余談ですが、平賀源内のエレキテルも、摩擦で発生させた静電気だとのことです。

 

そんなわけで摩擦によって電気が起きるわけですが、こする物によって、電気が起きやすい場合と起きにくい場合があります。
というよりも、物質によって、プラスになりやすかったりマイナスになりやすかったりする性質が決まっています。

 

そのなりやすさの一覧を、帯電列といいます。
この列で離れているほど、こすったときに静電気が起きやすい組み合わせとなります。

 

以下、その順列を示します。

 


↑正(+)に帯電しやすい

 

空気
人間の皮膚
皮革
ウサギの毛皮
ガラス
石英
雲母
人間の毛髪
ナイロン
ウール

猫の毛皮

アルミニウム
紙 (弱い正電荷)
木綿 (電荷なし)
鋼 (電荷なし)
木材 (弱い負電荷)
ルーサイト(デュポンのアクリル樹脂)
琥珀
封蠟
アクリル
ポリスチレン
ゴム風船
天然樹脂
硬質ゴム
ニッケル、銅
硫黄
黄銅、銀
金、白金
酢酸塩、レーヨン
合成ゴム
ポリエステル
スチレン (発泡スチロール)
アクリル繊維
ラップ
ポリウレタン
ポリエチレン(セロハンテープなど)
ポリプロピレン
ビニール(ポリ塩化ビニル (PVC))
ケイ素
テフロン
シリコーンゴム
エボナイト

 

↓負(-)に帯電しやすい


 

要するに、着る物に気を付ければいいのです。
人間の皮膚や毛髪に近いナイロンや毛のセーターならいいのですが、アクリルを買ってしまったりすると、脱ぐときにバチバチするわけです。
ただ、アクリルのセーターを着ていても、それ以外の服がポリエステルなら、脱ぐとき以外には静電気は起きません。

 

最悪なのは、ポリエステルのワイシャツとナイロン+毛のスーツの組み合わせでしょう。
要するに昔の私です。
もしくは、毛のセーターとアクリルセーターの重ね着なんてのもダメでしょうね。
要するに今の私です。

 

いや、この、服の組み合わせでダメってのはずっと知っていたのですが、何と何が良くてダメなのかを、すぐ忘れちゃうんですよ。
なので今の季節、もうバッチバチですよ。
何も考えずにクルマから降りて車体を触ると、必ずアレが来ます。

 

ですから、クルマから降 りるときにはボディの鉄の部分を触りながら降りるとか、地面に触れてから降りるとかしています。
これは、いわゆるアースというやつで、地球に放電している わけです。
他にも、腕あたりで服越しに触ることで、放電の威力を減らすワザもあります。
こういう余計な苦労をしながら、春を待つ日々を送っているわけです。

 

ところで、インターネットを漁っていたら、またくだらない用語を見つけました。

 

「静電気体質(笑)」

 

そしてその原因は、ドロドロ血液(笑)

 

ドロドロって粘性が高いって意味?
つまりゲル化?
血液中にゲル化の要因となるような物って血糖くらいだけど。
つまりドロドロ血液って糖尿病か。

 

......バカジャネーノ?

 

まさに、エセ科学の種は尽きまじ、です。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ139 植物の系統分類(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2013.05号

 

学校の教科書の内容は、最新の学説に比べると古い、なんて話はよく聞きます。
しかし、だからといって、教科書の内容を否定するのは、私はあまり好きではありません。
教科書の内容は、あくまで基礎知識であって、一般常識である、と解釈していますので。

 

もちろん、あんまり大幅に内容がおかしいとわかってきた場合は、
やっぱり修正が必要だとも思います。

 

(典型例は、隣国のプロパガンダをそのまま載せている南京大虐殺です。
「証拠」は全て捏造と証明されて、完全に嘘だと論破されているにもかかわらず、未だに教科書に載っています)

 

ですが、鎌倉幕府の成立の年が10年ずれたとか、その程度のことは、別に教科書を直すまでもないことだと思います。
私は最近テレビを全く見ないのですが、どうもそういうことを喜んで放映している番組もあるようですね。

 

そういう所に登場する「専門家」は、さもその「学説」が正しいように言うでしょうし、それが最近の学会では常識とか主流とか言うんでしょ、どうせ。
しかし、本当にそうなのでしょうかねえ。
実はその人は、変なことを一人で唱えているだけで、学会からは「またお前か......」と思われている有名人でした、なんて可能性もありますよね。

 

まあ、そこまで極端な話じゃないとしても。

 

そもそも学会というところは、新しく思いついた自説を主張する場です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
ですから、「学会で云々」という言葉に対して、必要以上に権威を感じることはないと思います。

 

例えばある学会では、いつもXという学説を主張するA教授と、その説を否定するB教授がいて、毎回毎回その二人が口角泡を飛ばすのが名物になっている、なんて場合もあります。
二人ともその世界では重鎮の学者ですから、どちらもテレビに呼ばれることがあります。
そうすると、そのどちらが呼ばれるかによって、「最新の学説」が全く違った内容になるわけですよね。

 

つまり、その程度のことなのです。

 


言語学会の大野晋さん(故人)と風間喜代三さんが、ちょうどこんな感じでした。
大野さんの日本語タミル起源説がこれですね。
珍説扱いされていましたが、私は結構好きですよ。


 

それでもやはり、新説に対して「やっぱりこちらの方が正しいのではないのか?」
という同意が増えてくれば、教科書を置いてきぼりにしたまま、「常識」が変わってくることがあります。

 

私の知っている範囲では、最近一番大きく変化したのが、動植物の系統分類の分野です。
系統分類というのは、「何が何から進化したのか」という、流れを念頭に置いた分類方法のことです。

 

系統分類という学問が興った当初は、形や生活様式などの特徴から、どの種類がどれと近い仲間という判断をしていました。
そのうちに、化石というものがわかるようになってからは、絶滅種のことも考えながら分類するようになってきました。

 

そして近年は、それにDNA解析(ゲノム解析)や蛋白質(たんぱくしつ)解析などの、分子生物学的アプローチが加わるようになってきています。
それによって、次第に色々と面白いことがわかってきているようです。

 

有名どころでは、クジラの系統的な位置です。
クジラは何の仲間といえるのでしょう。

 

まずは基礎知識から。

 

哺乳類は、かつては齧歯目(げっしもく)、食肉目、偶蹄目(ぐうていもく)、奇蹄目(きていもく)、などなど、というような分類でした。
齧歯目とはネズミの仲間、食肉目は肉食のイヌ・ネコ・クマの仲間、偶蹄目は足の指が偶数となっているウシの仲間、奇蹄目は足の指が奇数であるシカの仲間です。

 

さて、クジラにはもちろん、齧歯目のような前歯もありません。
食肉目のようなカギ爪もありません。
そしてウシの仲間もシカの仲間も、基本は草食動物ですが、クジラは完全な肉食です。
そんなことから、クジラは完全に独立した「鯨目(くじらもく)」という仲間に分類されていました。

 

しかしDNA解析を進めていくうちに、クジラはなんと、かなりカバに近いということがわかってきました。
そして、そんな風に言われちゃうと、「よく見りゃこことここがカバっぽいわ」ということが、次第に見えてくるわけです。
結局現在では、偶蹄目と鯨目は合併して、「鯨偶蹄目(くじらぐうていもく)」なんて名前に変わって呼ばれています。

 

というような分類の見直し整理が、今まさに、あちこちの生物で起こっています。
私の好きな昆虫の世界でも、かつては昆虫の一部だった分類群が、「こいつら脚が六本だけど、やっぱ昆虫じゃないわ」となって、いくつも昆虫から除外されちゃっています。

 

そしてそれが植物の世界では、もっと深刻な話になってきています。

 

小中学校の教科書では、被子植物は双子葉類と単子葉類に分かれて、双子葉類は合弁花と離弁花に分かれている、となっています。
これは、入試にも思いっきり出る内容です。

 

合弁花......花びらがくっついてる連中
離弁花......花びらが分かれている連中

 

しかし、DNA解析が進んでくると、この分類法は怪しいということになってきました。
それどころか、被子植物のグループ分け自体、一部修正では済まされなくなってきて、「分類を一からやりなおし」状態という、とんでもないことになっています。

 

私なんて、最初から植物はさっぱりですから、今回は私がわかる話だけ書きます。

 

双子葉類は、どうやら基本が離弁花である、ということになってきているようです。
そして、そのうちの一部が、進化していくうちに合弁花を咲かせるようになった、という流れなのだそうです。

 

双子葉/単子葉の分け方についても、「被子植物は、まず双子葉と単子葉にわかれていて、」という話ではなくて、被子植物の基本は双子葉類なのだということです。
そしてその一部が、進化の過程で単子葉類となった、ということみたいですね。

 


もうちょっと詳しい続編もあります。
あすなろ193 ゲノム解析と分類学


 

ただし、この分け方は、あくまで系統分類学上のものです。
ですから「教科書は間違っている!」などというつもりはありません。

 

教科書は、

 


どうぶつを、ふたつにわけました。
とべるなかまは、すずめ、こうもり、ちょうちょ。
とべないなかまは、だちょう、うし、ありんこ。


 

という分け方だと思えばいいわけです。
こういった分け方は、分類学的には多系統群と言います。
これはこれでアリなのです。
はい、ぼくは認めますよ。

 

でも、このもやもやした気持ちはなんだろうか......

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

あすなろ127 君が代(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2012.05号

 

我が家では、朝日新聞と産経新聞を購読しています。

 

ご存じの方はご存じでしょうが、大手全国紙では、朝日が一番のリベラル=左派で、産経が一番の保守=右派です。

要するに、一つのことに対する評価が正反対のことも珍しくなく、読み比べると、とても楽しいのです。

 

各読者層も、それぞれがそんな新聞のスタンスに応じた人たちとなっているようで、読者投稿の内容もまったく傾向が違うことがあって、非常に楽しめます。

 

最近では、大阪が教職員に「国歌斉唱をちゃんと歌えよ」なルールを作ったことに対して、産経は「歌うのは当然だろ」、朝日は「別に無理に歌わなくたっていいだろ」と唱えていて、読者投稿の欄も、それぞれの新聞社に同調する意見が並んでいます。

 

そんな中で、読んでいてリアルに吹き出しちゃった投稿がありましたので、紹介します。

 

2012/4/4朝日新聞朝刊14版より。

兵庫県明石市の高校教員、五六歳の女性からの投稿を紹介します。

 


卒業式に合わせるかのように、大阪市で「君が代」斉唱義務つけの条例が成立して心が痛んでいたとき、ふと生徒たちのこんな会話を耳にした。

 

「なんで歌わへんの?」

「知らん」

「君って、おまえのことなんだろ?」

 

今の子供たちのほとんどが君が代の意味を知らない。

歌の意味も十分分からず、その起立斉唱を拒否する意味もよく分からないのではないだろうか。

 

式で、歌えと言われたら何の疑問もなく歌っているのだろう。

その姿は、「お国のために」と叫んで戦った兵士たちの姿に重なってくる。


 

「重なってくる」にフイタわ。

 

重ならねえよ普通は。

どんだけ想像力が豊かなんでしょうかこの人って。

 


私は焦りを感じ、生徒たちに「君が代」の歌詞を板書し、その意味を説明した。

どれほどの生徒の心に響いたのかはわからないが、多くの生徒は初めて聞く歌の意味に耳を傾けていた。

そして、それが戦争へとつながる、ということが初めて理解できたようである。


 

マテマテマテマテ。

いや、俺意味知ってるけど、そんなこと理解できねえよ。

 

なあお前......高校生の頃、古典できなかっただろ......。

まさか国語教師じゃないよな。

 

どこで間違えちゃったのかわかりませんが、仮にも高校教師やってて、しかも五六歳にもなってこんな人もいるんですね。

 

そして最後は、

 


「君が代」を義務づけたり、意味も教えずに歌わせたりするのは、戦前の軍国教育につながるものがあるように思えるのだ。

 

私も起立はするものの斉唱したことはない。


 

と結んでいるのですが、この最後の一文って「私は職務を全うしていません」宣言ですよね。

全国紙に実名入りでこんなこと載せて貰っちゃって大丈夫なんでしょうか。

人ごとながらちょっと心配です。

 

というわけで、前置きが長くなりましたが、こういう変な人にウソを教えこまれてしまわないように、君が代の正しい意味を知っておくことにしましょうか。

 

 

君が代は 千代に八千代に さざれ石の

 

巌(いわお)となりて 苔(こけ)のむすまで

 

 

まず最初の「君」には、

 

①国家元首(天皇)

②主君

③敬称

④あなた

 

の意味があります。

このうち何を指しているかは、ここでは保留にして後述することにします。

次の「代」にも、

 

①時代

②国

 

の意味がありますが、これも後述します。

参考・三省堂古語辞典

 

「千代」「八千代」は、千年、八千年という意味で、とても長い時間の表現です。

 

「さざれ石」とは、細かい石です。

漢字で書くと「細石」となります。

それが、「巌」となって苔を生やすまで、という意味です。

巌は巨石のことです。

 

昔は、細かい石が長い年月をかけて成長して、大きな岩になると考えられていました。

つまり、この部分も、とても長い時間を、昔ながらの言い回しで表現しているわけです。

 

つまりこの歌は、「君が代」が永遠に続きますように、という歌なのです。

 

本当に、ただそれだけです。

 

さて、それでは「君」と「代」は何を指しているか、なのですが、その前に別のお話をします。

 

君が代の歌詞は、文字数を数えるとわかるのですが、字余りの和歌になっています。

そして、作詞者不明となっています。

 

この歌が国歌と定められたのは、明治初期のことです。

西洋諸国を見ると、外交上の儀礼として、国旗の掲揚と国歌の演奏が必要であると気づいた政府は、国歌の歌詞を定めることから始めました。

そしてその頃、おめでたい歌として民衆一般に伝わっていた「君が代」に、メロディーを新たに付けたのです。

 

君が代は江戸時代当時、宴会のお開きに、舞納めに、舟歌に、正月に、祝い事に、盆踊りに、と、実に便利に使われていました。

 

さて、それでは「君が代」という言葉は、どう解釈すべきなのでしょうか。

 

普通に解釈すると、天皇の治める世、つまりは日本国のことでしょうね。

祝い事に歌われる時は、祝われる対象、つまり「あなた」という意味だったかもしれません。

 

つまり、私なりにこの歌を解釈をすると、「めでたい時」というのはつまり「平和な時」でしょうから、

 

「この平和な今が、これからもずっと続きますように」

 

という意味と考えても問題ないと思います。

 

これが国歌「君が代」の意味です。

 

以上。

 

ちなみに、諸外国の国歌は、大抵は戦いの歌か、国を称える歌です。

戦いの歌の場合は、軍歌が原型となっています。

だから、曲調も勇ましいマーチですし、歌詞も、「血」「勝利」などの言葉が多く登場します。

国を称える歌の場合は、「偉大な」「我らの」「永遠に」というような、

かっこいい賛辞が並びます。

 

それに比べて日本の国歌は、なんて平和でシンプルな歌なのでしょうか。

 

また君が代は、古くは905年(平安初期)に編纂された『古今和歌集』に入っています。

そして、この時点ですでに作者不詳でした。

 

作者不詳とはつまり、

 

「誰が作ったのか知らないけど、どこかから伝わってきて知られている歌」

 

という意味です。

もう少し踏み込んで解釈すると、

 

「何となくみんなが知っている歌」

 

とも考えられますし、

 

「誰が作ったのかわからないくらい古くから伝わる歌」

 

とも想像できます。

 

西暦905年に、ですよ。

 

つまり、千数百年以上も歌い継がれている歌なのです。

もちろん、国歌としての歌詞の古さでは、ダントツで世界一です。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

 

 

 

 

 

参考資料

 

 

 

アメリカ国歌「星条旗」

 

おお、見ゆるや 夕明けの淡き光を受け

先の夕暮れ 陽が落ちる時 我等が歓呼したもの

其は太き縞と輝く星条旗を我々は目にした 危き戦の間

城壁の上に見た 勇壮に翻りし 彼の旗

狼煙の赤き炎立ち 砲音宙に轟く中

耐え抜き 旗は尚其処にあり

おお、星散りばめたる旗は 今猶棚引くか

自由なる大地 勇者の故郷に

 

岸辺の霧 其の濃く深き帷の中

傲慢なる敵の軍勢 畏れ息潜め

彼は何ぞ 断崖聳ゆる向かう

時折吹く微風に 隠れする

今正に 朝の新しき光を一筋受け

大いに輝き 風を受けはためく

其は星散りばめたる旗よ 永久に棚引け

自由なる大地 勇者の故郷に

 

そして斯も得意げに宣誓せし彼の一塊は何処ぞ

戦いの浪費と戦争の乱雑が

故郷も国家も我等に最早残さじと

彼らの血は彼らの汚れし跡は彼らの血で贖われたのだ

小屋は彼らの雇員と奴隷制度を助けまじき

潰走の恐れと死の暗闇から

其は星散りばめたる旗よ 永久に棚引け

自由なる大地 勇者の故郷に

 

おお、斯く不断にあらん事を

自由世界が彼らの愛情される家と戦ひの

浪費の間に立たう時

勝ちと泰平で恩恵され 天に助されし地所が

我等に状態を創り擁護したる力を

誉めん事を我等は破るべし

其が正に我等の原理なる時は

そして此が我等の金言ならん事を

「我等のモットーは神のみが知るという事を」

其は星散りばめたる旗よ 永久に棚引け

自由なる大地 勇者の故郷に

 

 

韓国国歌「愛国歌」

 

東海が乾き果て、白頭山が磨り減る時まで

神のお護りくださる我が国、万歳

※『無窮花、三千里、華麗な山河、

大韓びとよ、大韓をとわに保全せよ』

 

南山の老松が鉄の鎧をまとったように、

風霜の変わらざるは、我等の気性なり。

※『』繰り返し (3番以降も同じ)

 

広い秋の空が雲ひとつなく澄み渡り、

輝く月は、我等の精神、一片丹心なり。

 

この気性とこの心で忠誠を尽くし、

辛くとも、楽しくとも、国を愛そう。

 

 

中国国歌「義勇軍進行曲」

 

起て! 自由を望むのなら!

我が血肉で新たな長城に!

中華民族今せがられてる

人々最後の咆哮上け。

立て! 立て! 立て!

一心同体、

砲火の中で前進!

砲火の中で前進!

前進! 前進! 前進!

 

 

イギリス国歌「女王陛下万歳」(または「国王陛下万歳」)

 

おお神よ我らが慈悲深き女王(国王)を守りたまへ

我らが気高き女王(国王)よとこしへにあれ、

神よ女王(国王)を守りたまへ:

君に勝利を幸を栄光をたまはせ

御世の長からむことを:

神よ女王(国王)を守りたまへ

 

おお主よ、神よ、立ち上がられよ

汝と君の敵を消散せしめたまへ

打ち砕きたまへ

彼らが策を惑はしたまへ

彼らが騙し手を挫きたまへ

我らが望みは汝の上に!

神よ我等を救いたまへ

 

汝が選り抜ける進物の

君に喜びと注がれむことを;

御世の長からむことを:

我らが法を守りたまひ

絶えず理想を与へたまへ

声無きも声高きも謳ひぬ(歌ふ心で歌ふ声で)

我らが神よ女王(国王)を守りたまへ

 

神の御慈悲は

この御土のみでなく

そのくまなきに知らるる!

主はこの御国に、この広き世界の

全て人間は一つ兄弟たり、

一つ家族たることを知らしめす

 

闇に潜みし敵より

暗殺者の魔の手より

神よ女王(国王)を守りたまへ

君が上に汝が腕を広げ

ブリテンが為に防がむ

我らが母(父)にして君にして友

神よ女王(国王)を守りたまへ

 

主はウェイド元帥をして

その強き祐けにより

勝利をもたらしめむ

乱を制しめむ

轟々たる濁流の如くして

反逆せしスコットランド人を破らしめむ

神よ女王(国王)を守りたまへ

 

 

フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」

 

進め 祖国の子らよ

栄光の時が来た

我らに対し 暴君の

血塗られた軍旗は 掲げられた

血塗られた軍旗は 掲げられた

聞こえるか 戦場で

獰猛な兵士の怒号が

奴らは来る 汝らの元に

喉を掻ききるため 汝らの子の

※『市民らよ 武器を取れ

軍隊を 組織せよ

進め! 進め!

敵の汚れた血で

田畑を満たすまで

市民らよ 武器を取れ

軍隊を 組織せよ

進め! 進め!

敵の汚れた血で

田畑を満たすまで』

 

陰謀をめぐらす王とそれに仕える国賊の

奴隷連中はいったい何を望んでいるか?

この汚らわしい鉄の鎖は何のためにあるのか?

この長い鉄枷は誰のためにあるのか?

同志たるフランス人よ!これらは我らのためにあるのだ!

ああ!何たる屈辱!

それが、我らにどれほどの憤激を引き起こすか!

やつらは、明確に、

我らを昔のような奴隷に戻そうと企んでいるのだ!

※『』繰り返し (3番以降も同じ)

 

何と!外国軍がわが祖国を法で定めるというのだ!

何と!金目当ての傭兵どもが

我らの気高き戦士を打ち倒そうというのだ!

ああ!我らの両手を鎖で縛り

我らの首に頚木をはめるのだと!

下劣な暴君どもは我らの運命の支配者になるのだと!

 

戦慄せよ!暴君どもそして国賊どもよ!

あらゆる徒党の名折れよ!

戦慄せよ!貴様らの親殺しの企ては

最後にはその報いを受けるのだ!

国民すべてが、貴様らと戦う戦士だ!

たとえ我らの若き英雄が倒れようとも

大地が英雄らを再び生み出すのだ!

貴様らとの戦いの準備は整っているのだ!

 

フランス人よ、寛容な戦士として

認容と攻撃を慎むことも考えよ!

あの痛ましき犠牲者と

我らに武器を向けた事を後悔した

犠牲者たちを許すのだ!

ただしあの血に飢えた暴君と

ブイエ将軍の共謀者らは別である!

あの無慈悲で残虐な虎どもは

自分の母胎を引き裂くのである!

 

神聖な祖国への愛よ!

我らを復讐への道へと導きたまえ!

自由よ、愛しき自由よ

汝の守護者とともに、戦おう!

我らの国旗の下、勝利は我々の掌中にあり、

その雄雄しい声の下へと駆けつけよう!

我らの敵は絶望に打ちひしがれる中、

自由の勝利と我らの栄光を目の当たりにするだろう!

 

我らは進み行く、父祖の土地へと

父祖の遺骸と美徳が遺る土地へと

生きながらえることは本望ではない!

亡き父祖と棺をともにするのだ!

祖先の復讐をするのかさもなくば祖先の後を追い死ぬか

これこそ我らの気高き名誉よ!

 

 

ドイツ国歌「ドイツの歌」

 

統一と正義と自由を

父なる祖国ドイツの為に

その為に我らは挙げて兄弟の如く

心と手を携えて努力しようではないか

統一と正義と自由は

幸福の証である

その幸福の光の中で栄えよ

父なる祖国ドイツ

 

 

スペイン国歌

 

スペイン万歳!

武器を取れ、

スペイン人民の子供達よ

再び帰り蘇る人々よ

祖国に栄光あれ

海の青き流れと太陽の辿る道を知った祖国に

スペインの勝利!

金床と車輪が

韻律を奏でる

信念の賛歌を

それらと共に立ちあがり歌おう

困難と安息から生まれる力強い新たな生命を

 

 

タイ国歌

 

タイ国は国民であるタイ人の血と肉でできている

タイの領土全土は総て存続する

タイ人は純粋であるから

調和を愛し 平和を愛す

しかし、戦争となっても恐れはしない

独立は誰にも侵せない

一滴の血をも残さず捧げるであろう

タイ人が国を勝ち抜き再びの勝利が得られるまで

万歳!

 

 

※ 歌詞のない、曲だけの国歌もあります。

 

※ 君が代は世界一短い国歌ですが、1903年にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で一等を受賞しています。

あすなろ142 鳥のお話(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2013.08号

 

先日、我が家の四歳児に請われて一冊の本を買いました。
紙工作の本「NEOクラフトぶっく りったいとり館」です。

 

 

さて、それはいいのですが、できあがった鳥で遊び始めて、「白鳥ってなんて鳴くの?」と言われて困りました。
わたしゃ鳥はあまり詳しくないのです。

 

私の中の薄い知識に検索をかけてみたのですが、エサの取り合いをしているときに騒ぐ、ガーガー言う声くらいしかわかりません。
そこで、「確かガーガーいったと思った」と言ったのですが、四歳児様には、その鳴き方はお気に召さなかったようです。

で、結局は、「ハクハク」と鳴くということに決められてしまいました。

 

でも考えてみれば、ピカチュウがピカピカ鳴いてライチュウがライライ鳴くわけですし、それを思えば白鳥がハクハク鳴いてもいいか、ということにしておきます。

 

紙工作では、白鳥の前にはイヌワシを作ったのですが、イヌワシの鳴き声もよくわかりません。
ただ、鷲鷹類は一般にピーとかピャーとか鳴くことは知っています。
トビのピーヒョロロと同じ声です。

 

ですので、イヌワシもきっと同じように、ピーッと鳴くと思うよ、と四歳児にも伝えたのですが、もう既に人の話を聞いていない様子です。

まあいいんですけどね。

 

鳥に関してはですね、大学生の頃に一度、勉強したいなと思ったことはあるんですよ。
ですが、詳しい人を身近に捕まえられなかったために、結局その後10年くらい、そのままになってしまっていました。

 

しかし、その頃までは

 

「ウグイスの鳴き声を聞くと大興奮なマチの人」

 

だったのが、その後、家を買ったりするうちに

 

「ウグイスなんて聞き飽きたイナカの人」

 

となってしまいましたので、普段から鳥を見かける機会が増えて、少しはわかるようになってきました。

 

それでも、鳥は虫よりも難しいです。

 

虫ならば大抵、歩いていたり留まっていたりする様子を、顔を近づけてじっくりと見ることができます。
動きの速いトンボやチョウでも、網で捕まえてしまいさえすれば、図鑑と実物を並べて調べることができます。
網を張ったクモに至っては、一旦家に帰って図鑑を取ってから、また同じ場所に見に戻ってくることだってできます。

 

鳥は、そう簡単にはいきません。

なんせ近づくと逃げてしまいますから、遠くから目を凝らして見て、色などの特徴を必死で頭に叩き込んでおいて、ダッシュで帰って図鑑を開く、なんてことをしないと調べられません。
そんな状態ですから、なかなか見知った鳥が増えてこないのであります。

 

もう一つの難関は、鳴き声です。

 

私は、いわゆる鳴く虫が好きなのですが、実際にどれが何の鳴き声かは、図鑑を見てもわからないものが多いのです。
例えば、マツムシの鳴き声は図鑑では「チンチロリン」と書かれていますが、実際には「ピッピリリ」です。
クツワムシの「ガチャガチャ」は、「ガシャガシャ」と「シャカシャカ」と「シキシキ」の中間の音、といった具合です。

 

(こうやって鳴き声を日本語に書き落とすことを、「聞きなす」と言います)

 

そして、これは鳥も同じです。
「ホーホケキョ」のようなわかりやすいものならいいのですが、ホトトギスの鳴き声なんて、図鑑では「本尊掛けたか」「特許許可局」「テッペンカケタカ」ですよ。
それが実際に聞くと、「キョッキョッキョキョキョキョ」です。
どちらかといえば、「ホットットトギス」と鳴いていると聞きなすのが自然だと思うのですが。
 

 

そのホトトギスも、田舎に住み始めてから親しむようになった鳥です。
我が家の周囲では、家の上を飛びながら大声で叫んでいる声を聞くようになると、「ああ、夏も近いなあ」と季節を感じます。

 

ホトトギスは、季節限定で日本にやってくる「渡り鳥」の仲間です。
その中でも、ホトトギスやツバメのように、夏の間だけ渡ってくるものを「夏鳥」といいます。
逆に、ハクチョウのように、冬の間だけ日本にやってくるものは「冬鳥」です。

 

渡り鳥の中には、日本を通過するだけの「旅鳥」というものもいます。
シギなどのように、日本よりも北の地域で夏を過ごして、日本より南の地域で冬を過ごすために、旅の途中で立ち寄る連中です。

 

渡り鳥以外でも、移動をして暮らしている鳥は多いようです。

 

例えば、ウグイスやヒヨドリは、一年中日本国内で見られます。
しかし、暑い季節には山の方へ、寒い季節には平地へと移動して暮らしています。
こういう鳥は、「漂鳥」と呼ばれています。
これに対して、カラスやスズメのように、年中同じ場所で見られる鳥は、「留鳥」と呼ばれています。

 

 

ただ留鳥でも、地域によってはあまり移動しなかったりしている場合もありますので、「漂鳥または留鳥」という記述も多く見かけます。
また、留鳥といっても、その場に同じ鳥たちが留まっているとは限らないようで、ある程度の移動をしている場合もあるということです。
新潟で足輪を付けたスズメが、岡山で回収されたこともあるとか。

 

と、こんなことをウェブで調べていたら、ハクチョウの鳴き声を見つけました。
今はyoutubeなどがあるから便利ですよね。
聞いてみると、ああこれかって感じです。
なんというか、ガチョウのような声です。

 

早速、四歳児に聞かせてみました。

 

「めえめえだ」

「ひつじ」

「ひつじのなかまだ」

 

今日から、ハクチョウはヒツジの仲間です。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義


関連記事:あすなろ201 鳥の名の由来
→ホトトギスの名前などの話を、もう少しつっこんで書いています。


あすなろ150 イソップ(過去記事再掲)

あすなろ

 

 

 

2014.04号

「うさぎとかめ」ってご存じですよね。

 

日本人にとっては、「遅い動物=カメ」という共通認識を定着させるほど身近な話(注:西洋人にとっては、遅い動物=カタツムリです)ですが、これがイソップ童話と認識している人って、どのくらいの割合でいるものでしょうか。

 

日本の歴史も古いですので、昔話の歴史も相当長いです。

 

例えばかぐや姫(竹取物語)の話は、遅くとも平安初期の10世紀には成立していたと考えられています。

それ以外の代表的な昔話(さるかに、かちかち山、花咲じいなど)は、室町時代には完成していたようです。

桃太郎と浦島太郎に至っては、元ネタが神話ですから、古事記の完成した712年には、すでに日本のどこかに伝わっていた話です。

つまりこの2つは、1300年以上前からあった話だということになります。

 


古事記とは、日本各地に伝わる神話を一本化したものだと思ってください。

古事記の中には多くの神が登場しますが、一つの神に対して「またの名は○○といふ」と複数の名前が書かれていることがよくあります。

これは、別の地域で信仰されている別の神を同一の神として扱うことで、一つの流れに組み込んでいるためと思われます。

なお、神話と言えば日本書紀という書物もあります。
中に入っている話の内容もほぼ同じなのですが、こちらは
「だから天皇には日本を治める正統性がある」
と「証明」するための「論文」です。


 

これに対して、イソップ童話の作者といわれるイソップは、紀元前6世紀の人です。

現在は21世紀ですから、ということは、今から2600年くらい前のことです。

古事記では到底勝てそうにない古さです。


(6+21=26? さあ何故でしょう)


イソップさんは、元々はある主人に仕える奴隷だったそうです。

しかし、主人の行動に対して、

「これはこうした方がいいですよ。何故なら~」

と語る例え話が秀逸だったので、後に、その例え話(寓話)を集めたのがイソップ童話の原型だったようです。

 

と、ここで一応注釈しておきます。

 

奴隷という言葉を使いましたが、一言で奴隷といっても、様々な形態がありました。

奴隷と聞くと、足首の鎖に鉄球とムチなんて連想をするかもしれませんが、実際にはそんなものばっかりとは限りません。

借金、敗戦、犯罪などで売られた身分というだけで、労働内容は賃金で雇われた人と同じ、ということもよくありました。

 

また一般市民にとっては、高価な農機や自動車を買って使うようなものだったようです。

もちろん維持費がかかるのは当たり前ですし、大金を出して買った物ですから、荒っぽい使い方をして壊れてしまっては元も子もありません。

 

農耕馬のようなものと考えてもいいでしょう。

昔の農家では、馬や牛が大事な労働力で、家族同様に暮らした人もいる、ということを考えれば、家族同様に過ごした奴隷がいても変ではないということが、おわかりいただけるかと思います。

 

今回のイソップも、たびたび主人に意見していたようですし、主人もイソップの意見を参考にしていたようですから、この主従関係も良好なものだったのでしょう。

少なくとも、よく漫画などで見かける
 
「待ってください! この人は熱があるんです!」
 
「ええいうるさい! ビシッ!」
 
「ああっ!」バッタリ。
 
「フン。死んだか」
 
なんてイメージにはあたらない、ということです。

 

というように、イソップさん自体は実在の人物なのですが、その話が全てイソップ作のものとは限らないようです。

どうも、その周辺に伝わっていた様々な話を、あれもこれもイソップ伝説にしちゃった、というようなこともあったみたいです。

 

ただ、これは別に珍しいことではありません。

例えば、「一休さん」というテレビアニメの元ネタの大半が、実際には「彦一とんち話」を初めとする古今東西の話の引用だった、なんてこともありました。

もちろん、一休禅師は実在の人物なんですけどね。
※一休さんについては、こちらに詳しく書きました。

 

ともかく、そんなイソップ童話ですが、あまりにも日本にとけ込んでいて、まるで日本の昔話のような気がしてくるものまであります。

イソップ童話の中では、以下に挙げるあたりが有名どころかと思いますが、それぞれのお話を想像できますか?

 

「アリとキリギリス」

「田舎のネズミと街のネズミ」

「犬と肉」

「ウサギとカメ」

「オオカミと少年」

「北風と太陽」

「黄金の卵を産むガチョウ」

「キツネとツルのごちそう」

「金の斧と銀の斧」

「3本の棒」

「すっぱいブドウ」

「ネズミの相談」

「卑怯なコウモリ」

 

......もちろんまだまだあります。

 

このうち「3本の棒」は、毛利元就の「3本の矢」と、ほぼ同じ話です。

また、「ネズミの相談」は、誰がネコに鈴を付けるか、の話です。

ここから、「鈴を付ける」ということわざ?慣用句?にまでなっていますよね。

「オオカミ少年」は言わずもがなです。

 

では、なぜこれほどまでに日本に定着しているかというと、イソップ物語が最初に日本に伝わってきたのが、秀吉の時代にまで遡るからなのです。

その後の江戸時代には、翻訳本が庶民の読み物として多数出回っていました。

その名も「伊曾保物語(いそほものがたり)」です。

さらに、明治の初期にも新たな翻訳本「通俗伊蘇普物語」が登場して、しかもそれが修身(現在の道徳)の教科書に採用されたので、そこからは、ますます日本人におなじみとなったのです。

 

ところで、「伊曾保物語」は、およそこんな感じの本でした。

私が持っている「絵入り伊曽保物語を読む」という本からです。

 

 

上が「京都の鼠と田舎の鼠」、下が「鼠、談合する話(ネズミの相談)」です。

 

うん。

どう見たって日本の昔話ですね。

 

なお当時は、「いろはかるた」にも「京の夢大阪の夢」「京に田舎有り」とあるように、都会=京都でした。

 

また、伊曾保物語にはイソップ自身の話もいくつかあるのですが、そこにはイソップ本人も描かれています。

それがこちらです。

 

 

ほら、右上の枠内にちゃんと「いそほ」って書いてあります。

お、よく見ると帯刀していますね。

ということはつまり、いそほさんは江戸時代、ギリシャのお侍だったということですね。

 

学塾ヴィッセンブルク 朝倉智義

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